「何のために生きる」- 病気で変化した価値観 (2024)

何のために生きる 戯言

健常な人はあまり考えることはないかもしれませんが、私は持病の悪化に伴って「何のために生きる」のかを改めて考えることになりました。この疑問は、映画やドラマなどで語られることもありますが、そもそもは哲学の分野などで扱われるような、答えのない問題と言えるでしょう。人によって様々な考え方があり、何のために生きるのか、人生の目標は人それぞれです。

今回は、健常だった私が闘病生活の過程で考えが変化していった経緯と共に、現段階で「何のために生きる」についてどのように考えているかをまとめています。長い闘病生活で自死も考える程だった私ですが、この考えの変化によって、少なくとも今は明日を生きる事への悩みから解放されて、平穏な気持ちで過ごせるようになっています。

この問題に正解はありませんが、同じような悩みを持った人の役に立ったり、一つの考え方として参考になったりすればよいと思いながら書き綴ってみます。

治らない病気

私は病院に通って治療は続けていましたが、持病は悪化し続けました。

それまで、病院に行けば病気は治ると思っていました。しかし実際には、人類の医学の多くは「対処療法」でしかなく、病気の原因を取り除いて治すのではなく、病気による症状を緩和するだけの場合が多いことに、改めて気付かされました。

持病が悪化していっている間にも、医療の事や生活のことなど色々な考え方の変化がありましたが、基本的な人生観や死生観についてまでは変化はありませんでした。

ここでは、大きな考えの変化に至った状況を少しまとめてみます。

アトピー性皮膚炎が悪化して死にかける事態に

「アトピー性皮膚炎」は、日本に限らず世界的に患っている人の多い病気で、私も子供のころからアトピー性皮膚炎を持病として抱えていました。ただ成長し社会人になってからは、日常生活には全く問題がなく、病院や薬のお世話になることもありませんでした。アトピー性皮膚炎自体は、死に至るような病気ではなく、いわゆる「痒くなる皮膚の疾患」の一つです。

人生が転落し始めたのは、痒みが悪化していくことにより「眠れなくなる」ようになってからです。これによって、会社に朝出勤できなくなり、遅刻が多くなるようになりました。布団で眠ると痒みが強いため、遅刻の対策としてベランダの入り口で体育座りで仮眠を取るようなことをして、何とか仕事を続けようとしましたが、結局社長とも相談して、休職~退職の運びとなり、人生をかけて起業した職を失いました。

貯蓄は十分にあった上に退職金などもあったので、退職後も病院に通いながら治療を続けていくことはできていましたが、病状は徐々に悪化していきました。家計の事で家族にも助けを求めましたが、専業主婦業の長かった妻の協力は得ることが出来ず、結局家庭も失うことになりました。

以下の項目は、追い詰められた私が「何のために生きるのか」について考えを巡らせるに至った際の、自身の病気の症状の変化についてまとめた記事になっていますので、苦手な方は読み飛ばしてください。

病状の悪化までの症状の変化

私に大きな変化が起きたのは2022年の夏でした。(執筆時点は2024年なので、約2年前の出来事です)

2022年の夏は30度を超える真夏日が続いていましたが、私は奥歯がガタガタいう程に酷い寒気がしながら、生活のために在宅で出来る記事執筆の仕事を請けて、無心でパソコンに向かって作業している日々を過ごしていました。エアコンは故障していましたが、生活するお金を稼ぐことにも苦労する状況で、修理や買い替えができず、夜も暑い中で眠るという状況でした。どうせ痒みで寝ることができなかったので、「寝る時は疲労で気絶する時」で「起きる時は痒みが疲労に勝った時」という生活です。

そんなある日、目が覚めると、額に伝う一筋の液体の感覚に気づきました。暑くて汗をかいたと思ったその液体が、血だと気づいたときの驚きを、今も忘れることはできません。

アトピー性皮膚炎が「痒くなる皮膚病」と考える多くの人には、この症状の怖さが伝わらないかもしれませんが、同じ病気患っている人への注意喚起も含めて少しまとめておきます。この病状の変化は、概ね以下の経緯で起きていっています。自身の観察と、医者の指摘などを踏まえて分かりやすいように表にまとめてみました。

症状の段階症状状況
1皮膚が赤くなったり湿疹がでる痒みがある
2皮膚が乾燥してカサカサになる痒みと共に、皮膚がパラパラとはがれ始める
3乾燥が全身に広がる鏡を見て人と認識できない程酷い容姿になる
4発汗機能が完全に停止する体温調節機能が失われ、暑い日には寒気を感じる
5皮膚が融解する体温が上昇し続けて皮膚が溶ける
皮膚の症状の経緯

皮膚が融解して出血した時の状況

あまり思い出したくないことですが、恐怖の目覚めの後の事もまとめてみます。

額から伝う汗と思った水滴を拭うと「ぬるっ」とした感覚があり、それが血であることに気づいた私は、顔の状況を確認しました。既に顔面の全域は皮膚が乾燥してはがれる状況で、頭にフケがでているような感じで、顔全体が真っ白という状態でしたが、その日は額を中心にして顔の上半分の肉がむき出しになってえぐれた感じになっていて、そこから血が溢れているという感じでした。

元々人の顔とは言えない容姿になっていましたが、顔の上半分がなく出血している状況には流石に焦りました。とにかく出血を止めて皮膚を再生しないと外にも出れないなどと考え、手元にあったティッシュなどで止血を試みたのを覚えています。

ただ、動けなくなった原因は顔ではなく、脇(わき)の皮膚がむき出しになったことでした。風邪を引いて熱が出た時に冷やすような、皮膚が弱い部分が溶けたのでしょう。脇はソフトボールくらいの大きさで、丸く皮膚がなくなって、美しいピンク色の肉が見えており、出血は顔と違ってペタペタとした少し粘り気のある感じでした。問題は出血ではなく「強烈な痛み」でした。体を動かすと脇の肉が擦れてしまい、気が遠くなるような激痛があって、満足に動くことができません。滑りの悪いゴム状の床の上で転ぶと皮膚が引っ張られて痛いと思いますが、そういった肉を引っ張る痛みです。股関節も同じように肉がむき出しになっていて、左右の足の付け根には、幅2cm長さ10cm程度の桃色の肉が見えていました。股間周辺の皮膚からはヌルヌルとした血がにじみ出ているようで、下着はあっという間に水着のように血で濡れて、寝間着にまで染み出すほどでした。

まともに動くことができない体の状況を把握した後、助けを呼ぶための携帯電話を解約してしまっていることに気づき、呆然としながら天井を見つめていました。

やるべき事・やり残した事

動けない体で天井を見つめながら、生きるためにできることと、生き延びて行うことをゆっくりと考えていきました。焦りはあまりなく、比較的冷静に自身の状況を受け止めて、落ち着いていたように思います。

その中で考えていたことの一つは、自分の使命として「やるべき事」や「やらなければならない事」です。生きて、回復してから果たさなければならないことは何だろうと考えたわけです。幸いな事に、妻とも離婚し、娘は成人直前で妻が面倒を見てくれることになっていたので、家族に対する使命は概ね果たされていました。仕事は退職し、在宅の仕事も納品直後で次の仕事はまだ受けておらず、世の中はお盆休みに向けて仕事を調整しているようなタイミングでした。そういう意味ではキリのよいタイミングだったともいえるかもしれません。

次いで自分自身が「やりたい事」や「やり残した事」を考えました。幸いな事に、若い時分からそれなりに収入を得ることが出来ていたこともあって、やりたいことは直ぐに実行することができていて、欲しいものは直ぐに買ったし、自分のやりたい事をする会社も興して、世界各国に旅行にもいって、結婚から子育てもしてきて、ついには離婚まで経験してしまいました。あとこれ以上何をしたいのだろうと必死に考えましたが、厳しい闘病生活と天秤にかけて、それでもやりたい事というのはまったく思いつきませんでした。

やるべき事もやり残した事も見つからないまま、ただ動けずに天井を見つめながら、「何のために生きるのか」を自問し続けました。

ただ闘病のためだけに生きる人生

仕事を退職してからの2~3年程の間は、ただ病気を治して社会復帰を目指して治療をしていたものです。しかし、現代医療では病気を完全に治すことはできず、悪化したら抑える事しかできないため、常に爆弾を抱えて生きる事になります。

その後考えを改めて、「病気と共に生きる」と方針を転換し、元の職に戻るのではなく、病気をしながらでも生活費を稼いで生きていく道を探し始めました。その結果として見つけたのが在宅でできる単発の請負仕事で、収入は多くても元の稼ぎの5分の1程度ではありましたが、ギリギリ生きていけるかどうかという最低ラインではありました。ただ、家族を養うというのには無理があったため、離婚という結末になってしまいましたが。

それからの日々は、ただ病気の治療を続けて、生きるためのエネルギーを最低限摂取する、というのを目標に仕事を続けていました。食事は多くて1日1食で、収入が低い月は3~5日に一食ということもよくありましたが、まぁそれなりに生きていけていました。屋根がある家に住んで、薬も手元にあり、電気もある家にいましたし。

しかし、病状が悪化して動けない体で天井を見つめながら、その日々の生活を思い起こした時に、その人生に意味があるのかという疑問には、多いに考える余地があったわけです。ただ闘病のためだけに生きている人生には、残念ながら意味を見出すことが難しかったのです。

何のために生きる – 辿り着いた答え

天井を見つめながら、闘病するだけの人生に意味を見出せず、回復する目的・生きる目的を見失い始めていた中でも、体の回復の事も考えていました。皮膚が何故修復したり、体の病気が治癒するのかという生物の根源的な現象の事です。

生物の体内では、病気の部分を治療するために様々な動きがあるわけですが、それらは全て炭素と酸素の融合による化学変化によるエネルギーを基にしているのだと、動けない体で今更考えたりしていました。つまり、動けず助けも呼べず治療が困難なその状況であっても、呼吸をすることで体内のエネルギーを消費して自然治癒することが可能であると結論付けたわけです。

数日間気絶と覚醒を繰り返す中で、ゆっくりと深呼吸しながら生物の基本的な性質を噛みしめていると、人間だけでなく徐々に生物全体の事を考えるようになりました。そもそも地球上で生物と呼ばれるものはすべて「炭素と酸素の化学反応でエネルギーを生成して生きている」のであって、それ以外は未だ発見されていないのです。

生命

そんな数多存在する生物種の中で、「何のために生きる」とか「生きる意味」なんてものを人間だけが考えているのだと気付かされるに至りました。

地球上のありとあらゆる生物は、生まれてから死ぬまでただ「食べて・眠り・繁殖する」を繰り返しています。これは人間的に言うと三大欲求というものでもあります。ただ、人間以外の野生の生物は、常に危険と隣り合わせで、必死で食べて、危険におびえながら眠る日々を過ごしています。そこには使命感や目的意識はなく、ただ生きているのです。知恵を持った生物である人間は、崇高な「生きる意味」などという疑問を掲げ、悩みを増やしてしまっていますが、元来生物は「ただ生きている」ものなのだと考えるようになりました。

この考えに至った結果、「人間だけが特別な生き物」という扱いや考え方に対して、嫌悪感のようなものを感じるようになりました。自然の摂理はあって然るべきという考えは変わらないため、ヴィーガンのような過激思想になった訳ではありません。ただ、家に迷い込んだ羽虫を駆除する際にも、「虫も必死に生きているだけで悪意がない事」を思いながら、それでも強い生物の住処に侵入したら命を失う事になるのだという自然の摂理を思いながら、「ごめんね」と呟きながら駆除している自分がいたりします。地球上には人間よりも強い生物は少ないですが、同じように人間が他の生物の住処に侵入したら殺されても仕方がないのだ、と思うようになっています。

人が生きるということに「最初から意味なんかない」という考えに至ったことで、生きる事にも死ぬことにも抵抗がなく、ただ一つの生命体の生死という現象として自身の行く末を客観的に受け止めることになりました。

衰弱していく肉体

生物の事や生きる意味の事を考えている間にも、体内のエネルギーは消耗していっており、肉体は徐々に衰弱していっていました。最終的には10日間後に母親が訪ねてきたことで命を繋ぎとめることになったのですが、その間に体重は20Kg程落ちて30Kg台となっていました。

人は呼吸ができないと3分で、水がないと3日で、食料がないと3週間で命を落とすと言われています。

私の場合、7日ほど食料のない日々を過ごした段階で、この前提が平均値であることを思い知らされます。体を動かした際に視界が真っ暗となって呼吸と心拍が異常に速くなり、それは動いたことで筋肉にエネルギーを配分した結果、生命維持のために不要な部分をシャットアウトしたのだと理解できました。それほど体内の炭素が欠乏している状態なのだと思い知らされたわけです。3週間つまり21日程度は食事なしで生きられると思っていたのが実は平均的な値で、どちらかと言えば痩せ型の自分の場合、もう少し短くて15日とかで命を落とすことになるのかもと、改めて自身の死が近いことを考えました。

収入が安定しないため食事を摂らないことが多い生活をしていた私は、人間が餓死する状況についてもある程度調べて知っていました。それは酷く痛く、苦しみが長く続く悲惨な死に方で、亡骸は残酷な容貌となるそうです。

自身の死が近いことを悟った私は、そんな苦しみを味わいたくないため、まだ辛うじて動く体を使って刃物を置いて、その上に首を乗せることで自決することを決めました。残念ながら、刃物を自身に振るう力はもう残っておらず、簡単に自決することができないことの悔しさから涙を流したことを覚えています。死ぬことの悲しみなどではなく、もっと早く決断しておけばよかったと思ったのです。

安楽死・尊厳死に賛成

少し話が逸れますが、自分の死を考えた時に一番悩ましかったのが「人に迷惑をかけたくない」という考えでした。

自分が病気を理由に死を迎えることについては、自分の選択なので迷いはありません。ただ、逃れることが出来ない苦しみからの解放を望んでいるのです。

ただ、自分の死によって、例えば遺体の処理であったり、契約中の家や電気などの解約の手続きなど、そういった「人への迷惑」をかけることが気になって仕方がありませんでした。まぁ私の場合は、最終的には「どうしようもない」ということで諦めてしまっていたわけですが。

法務省

ただ、ある程度回復している今も、安楽死や尊厳死という制度は、日本でもあったらいいのにと思うのです。

それがあれば、生きている間に解約の手続きもできるし、資産がある間に自分の遺体の処理などの手配も可能ということになるわけで、後顧の憂いを断つ、飛ぶ鳥跡を濁さないといった段取りができて、晴れた気持ちで旅立てるというものです。

今の日本では、自由に生きる権利は認められていますが、自由に死ぬ権利は認められていないといった、個人の自由に対して歪な法制度となってしまっています。人の生死に関することで、絶対に望まない死があってはならないため、慎重な対応が必要なことは分かりますが、個人的には前向きに検討していくべきだと考えています。

執筆時点の2024年10月には、丁度衆院選前の党首討論などが行われていて、国民民主党の玉木代表が尊厳死について触れたところ、様々な意見が溢れているようです。色々な意見はあるかと思いますが、タブー視して触れないのではなく、まずは議論をするところから始めるべきだと思うので、個人的にはこの発言は肯定的に受け止めています。

前向きな無気力

死の淵で色々な考えを巡らせた結果、自身の価値観や死生観には大きな変化がありました。今は病院を変えて治療も変えたことが功を奏したのか、比較的軽度な症状に抑えられていて、日々の治療と通院は欠かせませんが、人としての日常生活(買い物や食事など)が送れています。特に自分の命を一度諦めてしまったことは非常に大きな影響があって、日々生きていることに疑問を抱くような不思議な感覚に長く捉われていました。前向きに日々を生きているつもりの今でも、基本的には「今この瞬間が終わりでもいい」と思う程です。

人にはそれぞれ悩みや葛藤など様々なことがあるものです。また、人の苦しみを理解することはとても難しい事です。悩んでいる人を励ましたり力になりたいと思っても、残念ながら人類は万能ではなく、現代の科学や医学の力では解決できないことも多くあるものです。

自分を含めて「何のために生きる」のか迷いがある人に伝えたいのは、「ただ生きる、でいいじゃない」ということです。昆虫や魚など他の生物と同じように、目的もなくただ生きる、それが生物本来の姿であって、人間だけが目的を探しているのです。

でもそれだと死んでるのと同じだと思う人もいるかもしれません。生きていることに意味を見出せないならば、死ななければならないといったような論調で、やる気に満ち溢れたやりたい事が沢山ある人から聞きそうな台詞です。私の場合先にも書いた通り、「別に今死んだって構わない」と思うのです。死ぬ必要がないから生きているだけで、病状悪化して危なそうだったら早めに死を選ぼうと思うくらいです。少なくとも生きている状態は、死んでいる状態とは異なっていて、その違いが分からない人は色々と浅い人なんだろうと感じるだけです。

終わりでも良いと考えていると、何事にも頑張ろうという気にはなれず、無気力な日々を過ごすことになります。しかしそれは同時に、死ぬ努力もしないことになり、ただ食事をして睡眠をとるという、いわば前向きな生を享受し続けることもなります。その日々には意味はないのかもしれませんが、そもそも生物の生というものに意味があるのであれば、教えて欲しいものです。

ネコ

野生の生物や、人間に飼われているペットのように、食事と睡眠をするだけの日々こそが生きるという事であって、ただそれだけでいいと思うのです。その上で、今日は何かを食べたいといった「些細なやりたい事」があれば、そのために必要な行動を取るということを繰り返していった先に、もしかしたら生きてどうしてもやりたい事が見つかるかもしれません。

私自身は一般的な社会人として40年以上の人生を歩んできた中で、健康な生活を送っている間はこのような考えは持っていませんでした。今回、死を受け入れた後に回復して2年間経った、2024年時点での私個人の考えをまとめてみました。闘病生活は続いているものの、病状が少し安定していることもあってか、今は少し前向きになって、こうやって自身の経験を文章にまとめたり、少しずつ社会活動を始めていこうという気力が湧いてきています。

この記事に辿り着いた人も人生に行き詰ってしまっているのかもしれませんが、そういった方々に、この記事が少しでも役に立ったり参考になれば幸いです。