トウモロコシが変えた世界の歴史と将来への不安

トウモロコシ 雑学
トウモロコシ

日本人の私たちはトウモロコシと聞くと、お祭りや海の家なんかで見かける「焼きトウモロコシ」や、ラーメンなどのスープに浮かぶ黄色くて甘みのある実が思い浮かびます。英語ではCornですが、日本語でも「コーン」はとても馴染みのあるトウモロコシの名前です。

炭水化物に興味を持った私がトウモロコシについて色々と調べていくと、とても不思議で興味深い穀物であることが分かり、来世があったらトウモロコシ農家になろうかという程に惹かれてしまっています。

今回はそんなトウモロコシについての記事となっています。不思議なトウモロコシの世界への興味を共有できればうれしいです。

トウモロコシの基本情報

不思議なトウモロコシのお話をする前に、まずはトウモロコシという穀物について基本的な情報を確認しておきましょう。日本の食卓ではあまりお目にかかることがないトウモロコシですが、実は世界的にみると私たちの世界はトウモロコシに満ち溢れています。

トウモロコシ 横

世界最大収穫量の主食穀物

トウモロコシは世界で最も生産・収穫されている主食穀物です。以下は2024年のWikipedia「主食」に掲載されていた表で、主食作物10種の生産高順位が示されています。

主食穀物 Top10
主食作物10種 年間生産高 (Wikipedia)

主食というのは炭水化物を多く含んだ穀物や食材のことで、人間が生きていくために必要となる貴重なエネルギー源です。

日本人の感覚では、米・小麦が上位にあるだろうと想像することはあっても、トウモロコシが世界一位と想像する人は少ないのではないでしょうか。実際には、1位のトウモロコシに続いて小麦、米と続きます。

アフリカ等では主食として食べられている

日本で食べられているトウモロコシは「スイートコーン」と呼ばれる甘い品種ですが、世界的には甘さの少ない品種が多く生産・消費されています。

特にアフリカや中南米などの地域では、日本の米やヨーロッパのパンの代わりにトウモロコシの粉を使って作られるシマやウガリといったものが日常的に食べられています。日本に滞在しているアフリカ系の方々がご自宅でも現地と同じ主食を食べられるように、日本でも粉のトウモロコシが販売されたりしているそうですが、残念ながら私は人生で一度も食べたことがありません。

ウガリ
参考画像 : ウガリ
(from Wikipedia – 2024)

近年Youtubeなどの動画配信が盛んになったおかげで、自宅でトウモロコシの粉をどのように調理をするのかを知ることは容易になったので、興味のある方は是非挑戦してみてもいいかもしれません。甘くておいしそうな香りが漂う柔らかい御餅のような感じらしいです。

家畜の飼料には欠かせない

トウモロコシは世界最大の生産量を誇る穀物ではありますが、人間が食用としているのは30%程度で、60%程度は家畜の飼料と使われています。トウモロコシを混ぜた飼料を使い、豚や牛・鶏などを育てて、食肉、卵や牛乳などが生産されています。

従来の資料に比べてトウモロコシを混ぜた飼料を使うことで、家畜が早く育って早く出荷できるようになるなど、多くの恩恵を得られているようです。

家畜

人間も食べることができる穀物を家畜に与えているというのはとても贅沢なことではありますが、穀物を安定して大量に生産することができるようになった現代ならではと言えるかもしれません。一説によると、イスラム教でのブタの家畜化と食肉の禁止は、中東の厳しい食糧事情を鑑み、人間の食料も食べつくす雑食のブタを禁止にすることで、飢える人の数を減らそうとしたという話もあります。

工業用途でも使われている

トウモロコシは食用に用いられる他、燃料のエタノールや工業用の接着剤としても利用されています。ゲームや映画の世界などでは、「バイオ燃料」といった物が登場したりしますが、トウモロコシはまさに現代のバイオ燃料としても活用されていると言えるでしょう。

石油や石炭などの化石燃料は、地球上に長い年月かけて蓄積してできたもので、一朝一夕に製造することができない有限なエネルギーですが、トウモロコシは人類が比較的容易に生産することができ、バイオ燃料は化石燃料の代替エネルギーとして近年非常に注目されています。

トウモロコシの不思議

さて、トウモロコシの基本的な情報を再確認したところで、ここからは私がトウモロコシに興味惹かれた点についてまとめてみます。

発見から伝来の歴史、そして植物としての不思議についてまとめてあります。博識な方にとっては常識なのかもしれませんが、恥ずかしながら私はこの歳になるまで知らないことだらけでした。世界は未知に溢れています。

実は最近までなかった穀物

最初に驚いたのは、トウモロコシという穀物が私たち文明社会にもたらされた時期がとても遅かったことです。世界で初めてトウモロコシが発見されたのは15世紀末頃で、日本はその頃戦国時代だった頃の話です。

もうお気づきの人もいるかもしれませんが、この時期に起きた世界を揺るがす一大事と言えば「新大陸発見」です。新しく発見され、後にアメリカ大陸と名付けられた大陸からは、私たち文明社会に生きる人類が知らない文化や動植物など多くのものが発見され、もたらされました(コロンブス交換)。トウモロコシは私たちの世界(ユーラシア大陸やアフリカ大陸)には存在しておらず、アメリカ大陸から持ち込まれた穀物だったのです。

新大陸から持ち帰られたトウモロコシは、当初奇妙な形状をしていて遠ざけられましたが、当時ヨーロッパで課せられていた十分の一税の対象穀物ではなかったこともあり、徐々に栽培する人が増えていきました。

人類の長い歴史の中では一瞬ともいえる「たった500年ほど前」に見つかった穀物が、今や世界で最も生産されている穀物になっているのです。

日本へ伝来したのは江戸~明治時期

アメリカからヨーロッパに伝来したトウモロコシは、長旅の果てに日本にも伝えられます。江戸時代頃に中国経由で伝えられた未知の穀物Cornは、中国方面の地名をつけられモロコシやトウモロコシと呼ばれるようになり、米の栽培が難しかった地域などで少しづつ広まったようですが、一般的に知られるほどには至らなかったようです。

その後明治時代になって、アメリカから北海道に改めて伝えられたスイートコーンは、現代と同じように日本人にも受け入れられていきます。お祭りで焼きトウモロコシを食べる習慣ができたのはこの頃からのようです。

本州でも食されるようになったのは大戦が終わった後からになります。昔から当然あるような顔をして私たちの身近なところにあるトウモロコシですが、実際には令和世代のおじいちゃん達が少年の頃になってようやく食べられるようになった、とても新しい穀物なのです。

自生・自家受粉しない植物

トウモロコシの有名な性質として、「自生しない」というものがあります。これは、野生の状態では存在しない植物という事です。現在では、品種改良の末に自生する能力を失ったとする説が一般的のようです。

この話には少し面白い逸話があって、新大陸でトウモロコシを栽培している原住民に、「これは野生には生えていないけど、あなたたちはこれをどこから手に入れたのか」という質問に対して「神が与えてくれた」と回答されたというのです。確かに、野生に生えていない植物を人類がどうやって入手できたのか、理屈で考えると人類の品種改良のせいなのでしょうが、そうでないと考えるととてもロマンが溢れています。

そして、トウモロコシは「自家受粉しない」植物としても知られています。おしべとめしべが離れているため、自分自身で種を成すことができないのです。こういった受粉方式を他家受粉といい、子孫を残すことが難しくなる半面、他の遺伝子を取り込むことでより良い種になる可能性がある、という特徴があります。

自生もしない、自家受粉もしないと聞くと、生物として生き残り・繁栄するつもりがあるのか分からない謎の植物に思えてきますが、現在は人間の手によって最も多く生産されているのです。

進化の過程がよく分からない独特な形状

私たちは、トウモロコシの形状が他の穀物とは大きな違いがある事を知っています。ただ、一般の人は植物の事をあまり知らないので、「そんな植物もあるよね」くらいに思い、あまり気にならないかもしれませんが、植物の研究をしている人からすると、この不思議な形状はとても興味深いようです。

そもそもヨーロッパに伝えられた際には、その不気味な形状から気味悪がられていたという話もある程です。他にあまり類のないトウモロコシの形状から、その進化の過程について長い間論争が繰り広げられ続けることになります。

テオシントとトウモロコシ
参考画像 : テオシントとトウモロコシ
(from Wikipedia 2024)

2024年現在では、概ね「テオシント」という植物が進化したものであるという説で落ち着きつつあるようです。一般人の私には上記画像のテオシントとトウモロコシのどのあたりが同じなのかよく分かりませんが、興味のある方は是非学術論文などを漁ってみると面白いかもしれません。このテーマについては研究者の方々が驚くほど多くの論文を発表されています。

あまりに不思議すぎて「神」とか「宇宙」が持ち込んだという説まで出る程盛り上がったようです。

私たちの生活を支えるトウモロコシ

トウモロコシを最後に食べたのがいつなのかちょっと思い出せませんが、個人的には味噌ラーメンなどに入っているコーンが大好きです。焼きトウモロコシもおいしいですが、ちょっと食べにくいのと、手がべたべたになるのが少し苦手です。

そんな不思議な穀物のトウモロコシですが、私たちの生活や日本にとってはどのような影響を与えているのかも確認しておきましょう。

日本のトウモロコシ輸入依存度は100%

日本のトウモロコシは、小麦と同じく輸入に完全に依存しています。輸入元は、なんと70%以上がアメリカからとなっています。

日本でのトウモロコシの使用用途は65%が家畜の飼料用となっていて、私たち人間が直接食べているスイートコーンなどとは比較にならない程の量が、豚や牛に与えられているということになります。

日本は世界最大のトウモロコシ輸入国

トウモロコシを輸入している国は世界に多くありますが、その中でも最も輸入している国は何と我らが日本です。以下は令和6年に農林水産省がまとめた資料[世界の食料需給の動向]からの抜粋です。

トウモロコシ輸入

(参考資料) https://www.maff.go.jp/primaff/seika/attach/pdf/240329_2033_01.pdf

この資料は、世界最大のトウモロコシ生産国であるアメリカから、日本が大量のトウモロコシを輸入している状況が、数値を含めてとても分かりやすくまとめてある資料だと思います。興味のある方は是非ご覧ください。同資料には大豆についてや、世界の需給についてとても詳しくまとめられています。

日本に住んで普通に生活していると、日本が世界で最も多くトウモロコシを輸入している国だと感じることは少ないように思います。確かに現代の私たちの食生活の中で肉や卵といった家畜由来の食品は必要不可欠なものとなっていますが、それと共に日本から海外に向けての食肉等の輸出も盛んなようです。

トウモロコシは日本でも生産されるけど自給率は0%

日本に輸入されたトウモロコシの多くは家畜の飼料用に使われているのですが、日本の一部畜産農家は飼料用途としてのトウモロコシの生産も営んでいることもあります。

ですが、それらのトウモロコシはそれぞれ自家消費されてしまうため、市場には出回ることはなく、統計上の自給率には加味されません。そのため、日本のトウモロコシの自給率は0%を維持し続けています。これは平地が少なく湿度も高い日本ではある程度しょうがないのかとも思います。あまり知識がない状態で、日本の食料自給率がーといった発言をすると、恥ずかしい思いをすることになりそうなので、発言には注意しなければなりませんね。

それでも、米の生産量がどんどん低下していき、小麦・トウモロコシが輸入に頼りきりになっている日本の現状を考えると、将来の我が国の食糧自給能力について不安を感じずにはいられません。

トウモロコシ配合飼料の威力

余談ではありますが、トウモロコシを混ぜた飼料を使うことでどのようなメリットがあるのかも確認しておきたいと思います。

トウモロコシを飼料に混ぜることで、その高い栄養価から早く太って品質が良くなったり、育成速度が早くなることで出荷までの期間が短くなるといった効果が認められているようです。専門でない私たちには分からないことも多いですが、要するにトウモロコシを与えることで、「早くて旨い」肉が食べられるようになると理解して良さそうです。

牛などでは、小さいうちは牧草などで育ててから、大きくなって肉を付けさせる段階になると配合飼料を与えるといったことも行われているようです。また、配合飼料を国産化しようとする動きもあるようで、トウモロコシではなく米を使った配合飼料などの研究・販売といった試み(飼料用米)も進められているようです。

家畜が消費する食料のエネルギー量は人間の5~10倍

少し暗いお話もまとめておきたいと思います。

家畜の育成によって消費されるエネルギーは、人間が肉や卵などから得られるエネルギーよりも大きいことに留意しておかなければなりません。つまり、食料を得るために食料を使っていて、その過程でエネルギーのロスが起こっているという状況な訳です。特にエネルギーロスが大きい牛や豚では10倍程度、小さな鶏なんかでも3倍程度のエネルギーが必要とされるようです。以下の図は、1kgの畜産品を得るために必要な穀物の量の概算です。

一方で世界では毎年1500万人くらいの人が餓死でなくなっており、一日当たりに換算すると4~5万人の方が亡くなっていることになります。

私は根っからの資本主義者で、働いた人がその分恩恵を得るのは当然の権利だと思っている人間ですが、先進諸国の裕福な人がおいしい肉を食べるために、人類が生きるための糧を家畜に与えているという状況を知ると、少し複雑な心境です。これを知った皆さんはどのように感じるのでしょうか。

逆に言うと、畜産業に使用しているトウモロコシを人類の食料に回すと、今の5倍10倍の人口を支えることができるくらいの食料が生産されているということになります。まぁ栄養失調になったり、人口過密になったりと、別の問題が噴出するのでしょうけれども。

トウモロコシに関する日本の将来への不安

最後に私たち日本人の未来について考えてみることにします。

日本はトウモロコシを輸入することで、おいしい肉や卵を使った食事をすることができています。私は炭水化物至上主義のような人間ではありますが、溶き卵をラーメンに入れたり、ごはんと目玉焼きのような食事を日々楽しんでいます。

子供たちが生きていくことになる将来の日本でも、同じような食生活をおくることができるのでしょうか。

トウモロコシが輸入できなくなると変わる食生活

トウモロコシは前述のようにアメリカからの輸入に頼り切っている状況にあります。一部国内での生産も行われていますが、日本の畜産業での輸入依存度が高いことは確かです。

2024年現在、世界は戦争に揺れています。アメリカはまだ直接的な軍事行動には出ていませんが、ウクライナやイスラエルに対しての軍事支援を続けていて、今後どのような状況に発展してくのかは未知数です。

もしもアメリカが戦争状態に突入するなどが原因で、トウモロコシの輸入が滞るようなことになってしまうと、日本の肉・卵・乳製品といった畜産由来の食品は、数が減って値上がりしたり、場合によってはお店からその姿を消すといったこともあるかもしれません。同様に小麦も輸入に頼っている状況のため、輸入自体が不安定になってしまうと大変です。国内では過去に起こったような米の奪い合いが始まるかもしれません。

小麦・トウモロコシの輸入が止まってしまうと、炭水化物は米や蕎麦から、タンパク質は魚から摂取していかねばならないことになります。つまり、江戸時代のように寿司や蕎麦などといった食事にしなければならないのですが、戦後日本での米の生産高は令和時代には半減してしまっています。人口増減など現実には様々な要因が複雑に絡み合うことになりますが、単純に考えると日本人の半分は食料を得られないということになってしまいます。

まぁそんな状態になっていたら、そもそも燃料や他のものも入ってこないことになるし、さすがに日本国民の命のためなので、日本も何らかの行動を起こしていることと思いますが。

トウモロコシが食糧危機の備えになるかも

家畜の飼料として消費されることで、食の多様性を創出する優秀な穀物であるトウモロコシは、アフリカ等では人々の主食としても活用されています。

日本でも、戦時などの緊急時にはトウモロコシが人間の食料を支えることができるのではないかと考えます。潤沢な食料が確保できている平時は家畜の飼料とすることで食の豊かさを確保しつつ、緊急時の対応などを整備しておけば、食糧危機に陥った時の備えになるように思うのです。

もしかしたら類似した産業があったり政府の施策があるのかもしれませんが、私の少ない知識の中にはそういった情報が今のところありません。以下のようなイメージです。

ですが、この方式には簡単に多くの問題点が思いついてしまいます。まずそもそもの話、日本ではトウモロコシを主食として消費する文化がなく、日本人に粉末状のトウモロコシを与えられても、緊急時とはいえそれを常習的に食べるということに抵抗を持つ人は少なくないでしょう。

また、そもそも農業に従事する労働者の絶対数が減少傾向にある事も、日本を悩ませる大きな問題でしょう。そういう私も農業従事者ではなく、何なら農業を体験したこともない人間なので、お米はお店にいけば買えるものくらいの認識になってしまっています。典型的な平和ボケなのでしょうけれども、食料やエネルギーの輸入が不安定になり高騰することで、食料品が日に日に値上がりしているのを目の当たりにすると、我が国の食料生産について改善すべきなのではと思いながらも、思うだけの日々を過ごしています。

このような状況を打破する場合は、社会主義体制の方が強いのだろうとも思ったりします。特に日本は「職業選択の自由」が憲法上認められているので、誰も農業をしなくなって食料がなくなったとしても、国が強制的に農業をすることを国民に強いることができないのです。それでも私個人としては、自由が認められた日本に生まれてよかったと思ってしまうのですが。

トウモロコシは人間の食を支える重要穀物

自生せず自家受粉もしない不思議な穀物ではありますが、トウモロコシは世界で最も生産されている主食穀物で、現代社会に生きる私たち人間や家畜の重要なエネルギー源になっています。

私は体力もないし虫も嫌いで、皮膚も弱い脆弱な人間なので、農業をやりたいとは全く思いませんが、農家の方々が米や肉を生産してくれているおかげで今日も生きていけています。もしお店から食料品がなくなったら、自分で生きていくための食料を確保することは難しいので、おそらく長くは生きていけないでしょう。

味噌バターラーメン

そんなことを考えながら、今日もおいしいご飯をいただけていることに感謝しながら、また犠牲になってくれてる動物の命に対して、「いただきます」と口にせずにはいられません。