令和6年の12月にこの記事を執筆しています。ここ数年の間に、世界的に男女平等(Gender Equality)が叫ばれるようになり、日本でも内閣府に男女共同参画局が設けられ、様々な改革が推し進められています。
本来男性と女性も同じ人間であるにも関わらず、歴史的には男性優位な社会が作られてきており、女性にも同じ権利・機会が与えられるべきである、というのが現在進められている男女平等・男女共同参画の流れの根源と言えるでしょう。個人的にも「性別に関係なく平等であるべき」と思いますし、社会的にも一定の理解があるものと感じます。
しかし、実際にはこの男女平等に対する批判的な声もあがっているのが現状です。これには基本理念ともいえる本来の「人間としての平等」から各政策が乖離していっていることが原因のように思います。今回は、私が感じる「現在の日本の男女平等に関する政策に潜んでいる矛盾」についてまとめながら、今後の男女平等について改めて考えてみます。
推し進められる日本の男女共同参画
女性も男性と同じように社会で活躍できるようにと、古くから多くの女性たちが声をあげ続け、今は「男女雇用機会均等法」や「労働基準法における男女同一賃金の原則」など、男性と女性が就労する場合の条件に関する法律的な規定が整備されています。
しかし、日本は世界的には男女共同参画が進んでいない国であるとして、よくジェンダーギャップ指数というのが示されます。ジェンダーギャップ指数は世界経済フォーラムが算出している数字で、日本は2024年6月12日発表で118位(146か国中)となっています。内閣府の男女共同参画局のホームページでも掲載されており、この数字の順位を上げることも政策方針の判断基準になっていると思われます。
出典 : 男女共同参画に関する国際的な指数 | 内閣府男女共同参画局
男性と女性が同じ権利を持ち、機会が均等に与えられるべきと考える私ですが、個人的に現在の男女共同参画の方針には批判的です。女性だからという理由だけで、様々な支援や優遇措置を与えるべきではないでしょう。それは新たな性差別を生み出しているだけだという考えです。
「優秀な人」ではなく「女性」の割合を増やすことを目標に掲げる現状
ちなみに欧米諸国など多くの国は、このジェンダーギャップ指数の数値を重要視しており、国会議員や企業の役員の数などを男女同数にすることを推し進めています。日本もその動きに合わせようとしており、男女共同参画局の目標には、一部の上場企業において役員の女性割合を上昇させることも掲げられています。
出典 : 第5次男女共同参画基本計画~すべての女性が輝く令和の社会へ~(令和5年12月26日一部変更閣議決定) | 内閣府男女共同参画局
個人的にはこういった取り組みは男女平等とは関係のない「無駄な事」としか思えません。国会議員も役員も男女で枠を決めるのではなく、「男女に関係なく優秀な人」がやるべき事で、それこそが本来の平等でしょう。この歪な平等を進めれば、国や企業を推進させる力が弱まり、その集団全体が不幸になる未来が簡単に予測できます。
固定的な性別役割分担意識を打破
男女共同参画局は「男女の役割分担意識」の改革に意欲的です。
出典 : 「男女共同参画社会」って何だろう? | 内閣府男女共同参画局
男女を性別によって「役割分担」を決めてしまうことを、英語ではGender rolesと表現します。Gender Rolesとは以下のように定義されているようです。
(英語)
Gender roles are the behaviors, attitudes, and expectations that society has for people based on their assigned sex.
(和訳 by Google翻訳)
Gender rolesとは、割り当てられた性別に基づいて社会が人々に対して持つ行動、態度、期待のことである。
要するに役割分担意識というのは、男だから力仕事、女だから家事のように、先入観や思い込みで性別ごとに役割を決めてしまうことのことです。
男女共同参画局はこの役割分担意識を改革していくべきであるという考え方です。内閣府から発表されている以下の文書でも、再三に渡ってこの固定概念を打破していこうということが述べられています。
出典 : 第5次男女共同参画基本計画 [PDF] (内閣府 – 男女共同参画局)
以下に上記文書から一部を抜粋して紹介します。同文書では「固定」という単語は同じような意味で46回も使用されており、この意識改革に対する強いメッセージを感じます。
(一部抜粋 – P.113より)
男女平等を推進する教育・学習の充実
( -中略- )
固定的な性別役割分担意識や性差に関する偏見の解消、固定観念の打破を図るため、学校教育や社会教育で活用できる学習プログラムを開発し、活用を促す。【文部科学省】
ちなみにこの文書のサブタイトルは「~ すべての女性が輝く令和の社会へ ~」となっています。前述の女性割合を増やそうという施策と同じように、男女平等ではなく女性にスポットを当てていることには違和感があります。
この役割分担意識の是正はそれなりに社会に迎合されているようで、特に若年層では男女平等意識が強く根付いているようです。デートの代金を男性が支払うかどうかの「奢り奢られ論争」のような、昭和平成ではあまり耳にしなかったようなことが議論されるようになっているのも、この役割分担意識の改善によるものだと考えられますし、「専業主婦の否定」が進み「共働き」が当たり前の価値観となりました。順調に「生涯未婚率」は増えて、少子化は加速していっています。
出典 : 専業主婦世帯と共働き世帯の推移 [PDF] – 厚生労働省
男性が働き、女性が家を守るという固定概念が払拭され、男性も女性も同じように働くようになったことで、国全体の生産力は高まったと言えるでしょう。しかしその対価は「未来」である結婚・出産・子育てです。現在の労働力は増えた代わりに、結婚・出産を「コスト」と考える意識が根付いたことで、少子化が進んでいるとも考えられます。そういう意味では、男女共同参画と少子化対策は矛盾しているとも言えます。
労働基準法では女性への配慮
男女共同参画によって固定的な役割意識の払拭を進める一方で、男女の身体構造が異なることを理由に、労働基準法などでは女性の運べる荷物重量に男性と異なる制限が設けられています。男性と女性は筋肉量などに差があるため、これは当然の配慮と言えるでしょう。
しかし、これは「役割分担意識の打破」とは全く逆で、男性は重い荷物を、女性は軽い荷物か別の仕事をするといった、「役割分担することを助長する取り決め」であると言わざるを得ません。
性別による役割分担意識を打破していくと言いながら、女性には重たい荷物は運ぶ役割は与えてはダメと法律で取り決める、これをダブルスタンダードと言わずして何と表現していいのか分かりません。男女平等について今は意識改革の途上でもあり、政府も人々も「どこが適切な落としどころ」かを探っているようにも見えます。
若い世代のアルバイトなどでは、女性にも重たい荷物を運ばせるというのが「当たり前」という考え方が定着していっているようです。具体的には、スーパーなどで販売されている10Kgのお米の袋などを「男女平等」に運ぶのが当然というのです。雇用条件(賃金含め)が同じである以上、男性と女性は同じ仕事量をこなすのが「当然」ということでしょう。これまでの社会で、男性が女性へ配慮するという暗黙の了解が、制度によって封殺されたこの状況は、逆に女性にとっては生きずらいものとなっているようで、ネット上では男性に対する批判などもよく目にするようになりました。
事例の一つとして、分かりやすくまとめられているYoutube動画を一つだけ紹介しておきます。
この事例のように、この意識改革の途上において様々なことが起きていっています。
能登災害では炊き出しも問題に
2024年の1月1日に、石川県能登半島沖を震源地とする大きな地震が発生し、1年近く経った今も復旧が終わっていないことが問題視されています。
同災害復旧において、2024年の5月には「女性に炊き出しをさせる」ことなどに対して、馳浩石川県知事に性別による役割分担意識についての提言が行われたことがニュースにもなりました。
出典 : ケア労働は女性が担って当たり前? 能登の復興にジェンダーの視点を:朝日新聞デジタル
このニュースについてSNSなどインターネット上では、復旧を進めるために「女性が炊き出し、男性は瓦礫の撤去など役割分担するしかないだろう」という批判的な意見もあがっていました。
災害などの緊急時では、各人が出来る事に率先して取り組み、協力するしかないでしょう。一般的に男性よりも力のない女性が、力を必要としない作業に従事することが多くなるのは自然な事のようにも思います。男性側から力仕事に割り当てられていることに対する提言や意見書などは出ていないことから、役割分担意識の改善を求めているのは女性側に多いことが想像されます。
問題なのは「女性でも力仕事ができる」ではなく、「女性だから炊き出しをさせられた」という被害意識になっていることでしょう。以下の、フェミニズムの変化に関する有名な画像そのものと言えます。
ただ、現場はおそらくもう少し複雑で、力仕事もしない男性が、女性に対して雑事を命令する様な「役割の強制」をしていたのではないかとも考えられます。そういった現状を現場から知事に伝えたというのが実際なのかもしれません。
特に昭和の時代は、男性の身の回りの世話を女性がするという風習があり、高齢者の中にはそういった「主婦を顎で使う」という価値観が根強く残っていることが多く、地方などではその傾向が強いという話も耳にします。
この件は、性別によって役割を決めてしまう固定概念を払拭しようとした意識改革が、実際に女性たちの行動や結果に繋がった例ともいえるのかもしれません。
しかし、この意識改革によって問題となるケースも起きています。
中学生の体育の授業では女子生徒が骨折
驚くべきことに、現在の教育現場では体育の授業のほとんどを男女共同で行っているそうです。男女の体つきは年齢と共に違いが顕著になっていくものなので、聞いただけでも危なそうだと感じてしまいます。
2024年の11月には、実際に授業中に女子生徒が男子生徒に足を蹴られて骨折するということが起き、Yahooニュースにも掲載されました。
出典 : ジェンダー教育で男女混合サッカー、骨折した女子中学生の家族が怒り 「虐待じゃないのかこれ」(ENCOUNT) – Yahoo!ニュース
この記事では、市の教育委員会は以下のように述べているとされています。
文部科学省から学習指導要領にのっとり、コンタクトスポーツ含む体育の授業を男女共修することと定められており、そこから外れたことをすると市から指導が入るようになっているから、現場ではやめさせることはできない
(中略)
男女共生社会を築くために体育を通して男が強くて女が弱いという固定概念を払拭していく狙いがある
この発言は、先に引用した男女共同参画の基本計画に則っていて、間違いないでしょう。政府の大方針である以上、教育現場では従うしかありません。
しかし、「男が強くて女が弱い」は固定概念なのでしょうか。
権利は平等だが「男女が違う」ことも認めるべきでは
男性と女性は同じ人間であり、等しく同じ権利が与えられるべきという考えには全く依存はありません。人類は平等であるべきです。しかし、男性と女性は体の構造が異なっている以上、何もかもを同じにすることはできないし、するべきではないでしょう。
「男が強くて女が弱い」は科学的に証明された純然たる事実であり、固定概念ではないと言わざるを得ません。特に男女共同参画の方針は、女性の身体的な弱さを「制度によってサポートする」様な案が散見されますが、これは平等とは異なるため、意見が分かれるところでしょう。
「男と女は同じ」と教育し、社会に出たら「女は弱いから配慮」はあまりにも矛盾が過ぎます。
それよりも、男性と女性は権利は等しいことは大前提で、身体的構造の違いを認めた上で、尊重し合えるような社会づくりを進めて欲しいものです。そういう意味では、男女同一賃金の原則についても、もう少し柔軟性が必要なようにも思います。女性が男性に比べて力が弱いのであれば、力仕事(力仕事を含む仕事)においては賃金に差を付けざるを得ないでしょう。それが平等であって、曲げれば反発があって当然だと思うのです。
個人的には筋力を使わない仕事なんて存在しないのではないかとも思ったりもします。私自身はIT分野の人間で、主にパソコンを相手にする仕事で女性も多く働いていますが、現場では「重たいサーバーを運ぶ」といった力が必要な仕事もあります。こういった物は男性が運ぶことが多いですが、男女の賃金は同じため、人によっては不満に思うこともあるでしょう。何もかも制度化しようとしたため、融通が利かず、配慮もされないような世の中になりつつあるといえるかもしれません。
男性や女性といった性別だけでなく、人はそれぞれ能力が異なり、それが個性でもあるものです。男性の中でも背が低い人もいれば、力が強い人もいます。そういった能力の違いを認めた上で、社会の中で「自分の能力の活かし方」を真剣に考えて努力した結果、よりよい社会が形成されてきたのではないでしょうか。
背の低い人がバレーボールやバスケットボールで活躍するのが難しいからと言って、背の低い人を優遇するルールなどは作られることはありません。それは努力することを否定し、競争力を失わせることに繋がるからです。
今の社会での「女性優遇措置」は、まさにこれと同じことが行われていると言えるでしょう。
女性への優遇措置が生み出す「新たな差別」と「社会の弱体化」
男女共同参画における以下のような取り組みは、社会全体の生産性を損ない、結果として全ての人が不幸になるだけに思えてなりません。
(以下の資料P.3より引用)
女性がキャリアを継続し、キャリアアップしていくためには、仕事と家事・育児等の両立支援に加えて、女性特有の症状を踏まえた健康への理解・支援等が求められる。
出典 : 令和6年版 男女共同参画白書 [PDF] – 内閣府男女共同参画局
女性だからという理由だけで支援等の優遇措置をするということは、その逆の集団に対する差別と同じことです。
ハーバード大学などで行われていた黒人優遇措置が、2023年にアメリカ最高裁で違憲(逆差別)とされたことは記憶に新しいです。1978年にアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)として黒人優遇を決めてから、45年経って「法の下での平等に違反」しているいう判断に覆っています。
今の日本は、45年前のアメリカと同じこと(逆差別)を進めていると言っていいでしょう。
日本での「法の下での平等」は、日本国憲法第14条に規定されています。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
女性だから優遇するというのが「性別によって差別している」と、日本の最高裁判所が判断するには、アメリカと同じように45年かかるのかもしれません。個人的には、性別に依らず全ての人が活躍できる社会が理想で、性別に依らず就労が難しい人には支援をする制度を目指すべきなのではないかと思うのです。
今の男女共同参画局の進める「固定的な性別役割分担意識の打破」は悪い事ではないと思いますが、同時に「性差による配慮」を求めることは矛盾することも多く、注意深く進めなければなりません。特に「過度な女性優遇」を進めることが、「能力のない人の登用」を推進し「社会全体の弱体化」に繋がっているのではないかと懸念しています。
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