なぜチューリップでバブルが起きたのか ― 江戸時代の裏で揺れたオランダ黄金期

チューリップでバブル(日本は江戸時代) 歴史

花の球根ひとつに家1軒分の価値がつく――そんな奇妙な「バブル」が、江戸時代の裏でヨーロッパにありました。

17世紀オランダは、東インド会社(VOC)を中心に世界貿易を支配し、黄金時代を迎えます。その繁栄の象徴とも言える事件が、1630年代に起きた「チューリップ・バブル(チューリップ狂時代)」です。

平和な鎖国期の日本からは想像しにくい、資本主義の先駆けともいえるこの出来事を、オランダの歴史背景とあわせて見ていきましょう。

オランダ黄金時代の幕開け

17世紀、オランダは小国ながらも世界の海を支配し、貿易と金融の中心地として「オランダ黄金時代」を迎えました。その背景には、スペインからの独立戦争と宗教対立の中で生まれた自由貿易精神と、北海・バルト海を拠点とした海運業の発展があります。

特に1602年に設立されたオランダ東インド会社(VOC)は、当時としては世界最大級の企業であり、国家レベルの経済力を持つ存在でした。VOCはアジア各地で香辛料や茶、絹などの貿易ネットワークを築き、莫大な富をもたらします。アムステルダムは国際金融都市として発展し、世界初の証券取引所が誕生しました。株式や先物取引など、現代につながる金融の仕組みがこの時代に形作られていきます。

この時代、オランダはスペインやポルトガルを凌ぎ、世界貿易の覇者となりました。その繁栄の象徴であり、後世まで語り継がれる「チューリップ・バブル」も、この経済的背景があってこそ生まれたのです。

日本にオランダの船(リーフデ号)が漂着するのもこの頃です。
アジア進出を目指すオランダが日本に辿り着いたことをキッカケに、両国の友好的な関係が始まります。鎖国時代、ヨーロッパ唯一の貿易国だったオランダとの関係については、以下の記事で詳しく紹介しています。
👉 関連記事:なぜオランダだけ?江戸時代の鎖国と日蘭関係の歴史 | Fragile Archives

チューリップがもたらした熱狂

チューリップは元々トルコを中心としたオスマン帝国で愛された花で、16世紀後半にヨーロッパに伝わりました。珍しい花の姿や品種改良による独特な色彩が評判となり、17世紀初頭にはオランダの富裕層の間でステータスシンボルとして高値で取引されるようになります。

特に、ウイルス感染によって花びらに複雑な模様が現れる「ブロークンチューリップ」は非常に珍重され、その希少性がさらなる価値を生み出しました。当時のオランダは富裕層だけでなく市民階級も豊かで、投資熱が高まっていたため、珍しいチューリップ球根は投機の対象になっていきます。

投機とは、株式や商品などの金融商品の短期間での価格変動を予測し、その差益を得ることを目的とした売買取引です。
長期的な利益を期待する「投資」と対義的に使われますが、その境目は明確ではなく、リスクを伴いながら短期で大きな利益を狙う行為とされます

17世紀前半には、アムステルダムやハールレムの市場で球根の先物取引まで行われるようになり、チューリップは単なる園芸品から「金融商品」に変わったのです。

先物取引(さきものとりひき)とは、ある商品(原資産)を、将来の特定の日(期日)に、現時点で決めた価格で売買することを約束する取引です。
将来の価格変動リスクを回避する「リスクヘッジ」の手段として、また価格変動を利用した「差金決済」による利益獲得の目的でも利用されます

1637年 チューリップバブル崩壊

1636年末から翌年初頭にかけて、チューリップ球根の価格は急騰しました。珍しい品種は家1軒分の価値で取引されることもあったと伝えられます。

チューリップの価格が急騰 : 家一軒ほどの価値へ
チューリップの価格が急騰 : 家一軒ほどの価値へ

しかし、1637年2月、ハールレムの競売で突然買い手がつかなくなり、市場は一気に崩壊しました。先物取引の契約は次々と破棄され、投資家や中産階級の市民が大きな損失を抱えます。とはいえ、当時のオランダ経済全体が極めて強固だったため、国家レベルでの経済危機には発展しませんでした。

それでも、この事件は世界初の投機バブルとして記録され、後世の経済史で象徴的なエピソードとなったのです。

バブルの背景にある繁栄と影

チューリップ・バブルは単なる「珍しい花を巡る狂気」ではなく、オランダ黄金時代の繁栄そのものを映し出す現象でした。世界初の本格的な株式市場や金融取引システムが整備され、一般市民でも投資が可能になった社会で、豊かさと金融の革新が新たなリスクを生んだのです。

この時代、オランダはアジア貿易だけでなく新大陸との取引でも利益を上げ、世界各地に植民地拠点を築きました。しかしその繁栄は長続きせず、18世紀以降はイギリスとの覇権争いで徐々に国力を失います。チューリップ・バブルは、そんな繁栄の裏側に潜む脆さを象徴する事件だったとも言えるでしょう。

江戸時代の日本と世界の時間軸

チューリップ・バブルが起きたのは1630年代、日本で言えば徳川家光の時代です。江戸幕府は国内の安定を固めつつ鎖国政策を進めており、太平の世が始まった頃でした。
一方、地球の裏側のオランダでは既に株式市場や先物取引が成立し、資本主義の萌芽が見えていました。この同時代性のギャップは、世界史を俯瞰して見る面白さを感じさせます。

ちなみに、この時代のオランダはすでに東インド会社を通じてアジアに勢力を伸ばし、日本とも長崎・平戸で貿易を始めています。

オランダと日本の出来事を並べて確認してみましょう。

年代オランダ・ヨーロッパの出来事日本の出来事
1600年リーフデ号日本に漂着リーフデ号九州・豊後に漂着
1602年オランダ東インド会社(VOC)設立江戸幕府成立(家康)
1609年平戸にオランダ商館設置
日本との正式貿易開始
江戸初期、鎖国前の国際交流
1624年台湾にゼーランディア城建設
植民地支配開始 (後述)
スペイン船来航禁止令
1630年代前半オランダが黄金時代のピーク
チューリップ人気高まる
江戸幕府、参勤交代制度化(1635年)
1636年チューリップ球根の価格が急騰長崎出島完成、オランダ商館移転準備
1637年チューリップ・バブル崩壊島原の乱
1641年オランダ商館を出島へ移転
以後対日貿易を独占
鎖国体制確立

鎖国下の日本で唯一交易を許されたヨーロッパの国であったことを考えると、チューリップ・バブルは単なる遠い国の話ではなく、日本と世界がすでにつながっていた証でもあるのです。

オランダは台湾にもアジア交易の拠点を作っていましたが、明の遺臣らの侵略を防ぎきれず、放棄しています。詳しくは以下の記事内「台湾への移民の歴史」で紹介しています。
👉 関連記事:台湾に中国人が多い理由 ― 歴史から見る移民政策と現代への教訓 | Fragile Archives

まとめ:バブルが語るオランダ黄金期

チューリップ・バブルは「花の価格が高騰した奇妙な事件」として語られがちですが、その本質は資本主義社会の黎明期を象徴する歴史現象です。豊かさがもたらした投資熱、金融の進化、そしてその裏に潜むリスク――現代の仮想通貨や株式市場のバブルと比べても共通点は多く、歴史は繰り返すことを感じさせます。

この事件を理解することで、オランダがかつて世界貿易の覇権を握っていたことや、江戸時代の日本とも深く結びついていた事実がより鮮明になります。

また、友好国だったオランダに、第二次世界大戦で日本は宣戦布告して敵対することになります。その詳しい経緯については以下記事にまとめてありますので、是非ご覧ください。