本記事を執筆している2024年現在は、世界的に多様性という言葉が横行しており、多様性の名のもとにこれまで否定的だった物事を受け入れようとする動きが多く起こっています。それによって、立場の弱かった人が救われたりすることがある一方で、歪が顕著になっている分野などでは社会的な問題となっている場合もあるような時代です。
私は自分の主張や信念を持つことは大事だと思う人間ですが、それと共に相手の立場や考えを十分に尊重し、認めることも大事だと思っています。信念が強ければ強い程難しくなり、ビジネスの場面などでは譲れないこともあるでしょう。今回は、そんな状況で、私が考えるようにしている「正義の反対もまた正義」というお話をまとめてみます。
紛争や戦争の両者の言い分
具体的な日常生活の話をする前に、分かりやすい例を考えてみましょう。人間は長い歴史の中で多くの戦争や紛争などを経験してきており、2024年現在でも世界では戦争によって罪のない人が苦しい思いをしている国や地域もあります。
こういった話を聞くと、自分たちの価値観に近い方の立場に立って、相手側が「悪」であるとし、自分たちの「正義」を一方的に主張する論調をよく耳にします。しかし、これでは何も解決しないでしょう。それは長い歴史が証明しています。
こういった一方的な主張をする人は、「何故相手は正しいことをしないのか」と憤り、事象を理解できないままである事がよくありますが、これは当然の事なのです。何しろ「相手も同じことを思っている」からです。そうした考え方の違いが表面化し、紛争や戦争に至っているのです。自分たちの主張が正義だというように、相手もまた自分たちの主張こそが正義であると言っているのです。
本当の意味で第三者としてその事象を分析すると、それぞれの立場の正義が見えてくるもので、どちらかに傾倒すると、一方が正義で反対は悪に見えてしまう事でしょう。こういった場合、相手を非難するだけでは解決せず、双方の立場で何が必要なのか、落としどころなどこなのかを考えないと、解決することはありません。
これは、日常生活の些細な衝突にも当てはまります。
日常生活における正義
国家間や民族間のような規模の大きな衝突に限らず、人間が生きている中で日常的に遭遇する些細な衝突の中でも、正義と正義のぶつかり合いは起こっています。
映画やアニメなどの架空の物語の世界では、主人公たち正義の反対は悪者で、正義が悪を成敗するといった勧善懲悪な物語も多くあります。ですが、現実世界は物語のように分かりやすく「正義と悪」に分かれてくれてはいません。何故なら、正義の反対もまた正義であることが多いからです。
意見や価値観の相違
会社内や取引先との会議や打ち合わせなどでは、意見が衝突してしまうこともあるでしょう。時には自分の信念に基づく主張で、絶対に譲れないと熱心に相手を説き伏せようとすることもあるでしょう。
こういった場合に、人は良く「何で分からないんだ」と相手の事を卑下し、自分の方が正しいと思ってしまいがちです。こんな記事を書いている私も、過去には上司に企画案を却下された際などには、同じように「この分からずや上司」「時代が見えていない」とか、頭の中で罵詈雑言を吐き捨てたものです。
しかし、こういった意見や価値観が異なる場合に起こる衝突では、必ず「相手の言い分」があります。悪意があって反対の主張をしている場合もあるかもしれませんが、今回はその場合は除外して、相手も自分たちの主張を通そうとしている場合について考えます。
こういった局面で、自分たちの主張を通すには、自分たちの主張や正義が正しいと声高に叫ぶのではなく、相手の主張を理解し柔軟に対応することが必要になります。相手が馬鹿で分からず屋だと思っているのであれば、それは「あなた自身が相手を理解していない」ことを証明しています。相手が悪いと思っている状況は、概ねあなた自身の未熟さが原因でしょう。
相手の主張を正しく理解し、自分の主張との相違点を考え、改善案を立案するという建設的な考え方が出来なければ、何事も前に進んでいきません。
正しさを主張をするなら自分の未熟さを知ろう
自分はこうするべきだと思うという主張をする場合、それと同時に必ず「自分の思いが及ばない事象」の存在を考慮する必要があります。つまり、「自分が未熟で気づいていない事」があるかもしれないと、常に警戒して考え続けるのです。
そうすると、人は自然と謙虚に「今の自分はこう考える」といった主張の仕方に変化していくものです。その上で、相手の主張・正義を聞くと、自分の主張との折り合いを見つけていくことができるでしょう。
最初から「絶対自分が正しい」「反対意見は許さない」といった姿勢で推し進めようとすると、大きな反対意見に押しつぶされてしまうこともあるかもしれません。こういった人は、「失敗したのは反対した人のせい」として成長しないため、また同じことを繰り返します。いわゆる他責思考そのものです。
自分は甘く未熟かもしれないけど、その上で尚自分の信念に沿って行動する、といったことはあっても良いでしょう。その姿勢からは、相手の意見や価値観についても考慮された、よりよい施策が生まれてくるでしょう。
相手を認め、受け入れることの大事さ
何事も自分の考えを押し付けるだけにならないように注意しなければなりません。
今回こんな考え方についての記事を書いているわけですが、この考え方も一つの例にすぎません。一人の人間が生きてきた中で培われた、一つの考え方であって、最善でも最良でもありません。しかし、物事を自分の描く未来に進めたいのであれば有効な手段の一つでもあるため、処世術の一つとして紹介しています。
この考え方に対する反対意見もある事でしょう。それは人が生きて色々な経験をする中で、全ての人が異なった価値観や考え方を持っているので当然の事です。大事なのはその反対意見を「否定するのではなく、受け入れる」ことが大事という話です。受け入れるというのは「考えを改める」ではなく、「認める」ということです。そういう考え方の人がいることを知って、自分自身が成長し、その上で自分の考え方や主張を成長させていけば良いのです。
そういう意味では、自分に賛同してくれる意見はありがたいし嬉しいものではありますが、反対意見こそ自分を成長させてくれる要素だとも言えます。反対意見のない、自分に従順なだけの組織では、残念ながら自分を成長させることが出来ず、日に日に盲目的になってしまいます。適度に風当たりの強い環境に身を置くことが出来れば、人はより成長出来る事でしょう。
多様性に対する懸念
相手の主張もまた正義だと散々述べてきていますが、近年の多様性を追い求めた結果発生している様々な社会問題についても触れておきたいと思います。
相手の主張を尊重することは大事です。しかし、その主張を「鵜呑みにする」ことは避けなければなりません。何故ならそれは、「相手を正義、自分たちを悪」としていることと同じことだからです。相手も正義ではありますが、自分たちも当然正義なのです。現在起きている様々な社会問題の多くは、少数派の意見を正しいとして取り入れた結果、多数派の社会生活に支障が出ているようなものがほとんどでしょう。
相手の言っていることを全て肯定してしまうのではなく、自分たちの考え方や既存の価値観と照らし合わせながら、適切な落としどころを模索しないと、現在のような歪んだ社会になってしまいます。人によって考え方は千差万別なため、全ての人の主張を叶えることは不可能です。優先順位をしっかり考えて、何が大事で、何を守るべきなのかから、最終的な結論を導き出していかねばなりません。
第三者視点で考えよう
日々の仕事に限らず、ニュースを観た時や、物事の歴史や由来を知った時なんかにも言える事ですが、必ず両方の立場で物事を考えるようにする癖をつけると、全体を理解しやすくなるでしょう。その上で、相手の立場も考えながら「どうするべきか」を考えなければ、物事は進まないか、おかしな方向に進んでしまうでしょう。
喧嘩や戦争が起こった際に、どちらか一方が悪いと決めてしまった、勝った方が正義とするのではなく、両方の立場で「何故そうなったのか」を考えなければ、解決も再発防止もできないのです。会議で自分の提案が通らないのは、相手の立場や考えを汲み取れなかった自分の落ち度・失敗であり、決して相手が馬鹿で未熟だからではないと、謙虚に考える事こそ必要です。
常に「相手には相手の正義がある」と考えて、相手を認めて考えを深化させることで、よりよい未来を築いていけると思うのです。
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