近年は、社会的な通念や常識を改善していくべく、凄まじいスピード感で物事の判断基準が覆されていくような出来事や議論が巻き起こり続けているように思います。多様性の時代と簡単に表現されることがありますが、これまで認められなかった少数意見を受け入れることで、大多数から批判の声が上がるというようなニュースも見慣れてきてしまいました。
今回は、そんな社会的な変化の中でも特にニュースが絶えない、男女平等に関する話題から、ポジティブな差別について改めて考えてみます。
女性半額サービスで炎上する牛角
2024年9月、大手焼き肉チェーン店の牛角が女性半額のサービスを提供しようとしたところ、SNSにおいて大きな波紋を呼んで、炎上と呼べるほどの盛り上がりになっています。その状況を取り上げた報道の中から、ANNの動画を以下に引用させていただきます。
このサービスは男性差別とする声が多いようですが、牛角側としては「女性は消費が4皿少ない」というデータに基づいて、金額を安くするサービスを打ち出しただけとしています。
批判の大半は男性を差別しているや、映画などのレディースデイなどを引き合いに出して時代に合わないとするような声も聞こえてきます。逆に、別に構わないと感じる声や、好きにしたらいいじゃないかというような声もあるようです。
炎上の渦中には、男性差別だと批判する声に対して「そのくらいで器が小さい」とか「彼女がいないもてない男」といった誹謗中傷のような声があり、更にヒートアップしていっているようです。
世界的に社会全体で男女平等が進められていっていますが、今回のこの牛角の女性半額は差別で、本当に認めてはならないものなのでしょうか。
急速に進む男女平等
2024年、時代は令和六年ですが、本当にここ数年男女平等を取り上げた報道やSNSでの炎上が目につくようになったと感じます。元々は、女性も男性と同じように社会で働けることを目指して動き出し、日本では男女雇用機会均等法という法令が施行されることとなりました。更に今は、男女の給与に格差を設けることも法令で禁止されていて、男女の社会的な立場に差はなくなりました。ヨーロッパでは女性も徴兵義務があるような時代になっていることに、本当に驚かされます。
しかし、今も残る男女格差や男女差別は多く、それらを見つけては批判する人たちが多く、特にSNSなどで猛威を振るう彼らの事を「ツイフェミ」と揶揄し、批判する人を批判するといったニュースや炎上が日常的な風景になりつつあります。
個人的には、この差別を指摘する行為は悪くない、むしろ良いこともある程度に感じています。「自分も知らずに差別していた」と感じ、自身の行動を顧みるキッカケになることもあるからです。良くないのは、彼らの指摘する方法で、特に調べもせず脊髄で批判してしまうという流れを何度もみてきました。それを有識者に指摘されると逃亡するという何ともみっともない結末は、第三者としてみているとただのコントで面白いのですが、当事者であった場合は迷惑でしかありません。
男女平等なのに批判された例
個人的に「勉強になって面白かった」ので覚えている件をいくつか紹介します。意外と炎上している話題から学べるところも多くあります。
プロの棋士(将棋)は、男性のみで女性はおらず、女性には女流棋士という別のプロ制度があります。そのため、私のような世間知らずは、「プロ棋士は男性、女流棋士は女性」と勝手に解釈してしまいがちですが、実際には「プロ棋士は男女だが、女性で強い人がいないため、男性のみなのが現状」という状況とのことです。女流棋士のトップがプロ棋士の試験に挑戦して落ちたというニュースは記憶に新しいです。体格差が出る競技ではないのに、男女にそれほどの差があるのは謎ですが、この事実を知らないと大きな過ちを犯してしまうかもしれません。
これと似た炎上事件をまとめられた面白い動画を一つ引用させていただきます。
上記動画は、サッカーの日本代表の話題となっています。これも将棋と同じく日本女子サッカーもあるため、サッカーの日本代表を、日本男子サッカー代表と批判する声が上がっていました。しかし、サッカーも将棋と同じように日本代表は男女どちらでもなることが出来る制度でありながら、女性が選ばれていないだけという状況にあって、この指摘は自分の無知を晒しただけという結果になりました。
反射的に批判すると自分の恥を晒すだけになるので、慎重に、そして何より謙虚に指摘して、目的は攻撃ではなく、よりよい社会であるべきでしょう。
そもそも差別は悪い事か
人類は歴史上様々な間違いを犯してきましたが、様々な国や地域で行われてきた差別は、改善を進めている現在に至ってもなおその意識や風習が多く残っており、社会的な問題になっています。代表的な物をいくつか考えてみましょう。
人種差別
人類史上最も最悪で、今も一部地域などで続いている差別というと、多くの人が真っ先に人種差別を思いつくのではないでしょうか。特に歴史上では、イギリスの三角貿易などで有名な黒人差別では、黒人を貿易商品として扱い、多くの黒人が開拓中の新大陸に送られました。新大陸アメリカでは人種差別の是正を訴えて南北で意見が割れて戦争にまで発展しています。
近年では差別を過剰に指摘する風習として定着しつつあるポリコレ(Political Correctness)の影響で、人魚姫の主演が黒人でもいいじゃないかという批判まで出るほどにまで激化していっています。
性差別
世界的にもそうですが、日本は元来間違いなく男尊女卑社会であり、これは日本が江戸時代に教育制度として推進した儒教が背景にある事は間違いありませんが、その影響で社会的に男性優位の制度が多く残っていました。今は男女平等に雇用する機会を与えなければならないルールがありますが、昭和初期には女性には選挙権もなく、実際に男女平等が進められるようになってからまだ100年も経っていないのです。高齢者の中には、女性が不遇だった時代を生きてきた人も多いでしょう。
近年ではそれを是正する動きが社会的通念にまで影響し、今では「男らしく」とか「一家の大黒柱」のような男女特有の言葉すら発言を許さない風潮にまでなってきています。
これらはいずれも特定の集団に対してネガティブな扱いをする「差別」として、現在は許されない行為とされています。では今回の牛角の件はネガティブではなく優遇措置なので差別ではないのでしょうか。
優遇も差別の一種
まず差別のそもそもの定義を確認しておきましょう。
「差別」とは「人やものの取り扱いに差をつけること」 (広辞苑)
差を付ける事には、ポジティブなものとネガティブなものがありますが、定義からするとどちらも差別に該当します。特定の集団に対して優遇措置をするようなポジティブな扱いをするということは、その逆の集団に対して相対的にネガティブな扱いをしていることになります。
例を挙げて考えてみると分かりやすいでしょう。
かつて人種差別が酷かったアメリカでは、バスに白人専用の座席というのがありました。通常の座席には白人も黒人も利用することができましたが、白人専用の座席は白人だけが利用することが出来ました。白人だけが利用できるという白人優遇措置ではありますが、当然これは明らかな人種差別行為で現在の社会では許されません。
この白人専用座席には、白人を特別に優遇する処置であると同時に黒人の利用を制限するという、ポジティブな効果とネガティブな効果があります。
何か特定の集団に対して優遇したポジティブな措置をするということは、それは即ち差別(差を付ける事)であり、特定の集団以外に対してはネガティブな効果を与えるものでもあるということは、大前提として知っておかなければなりません。
差別全てが悪いわけではない
現在の価値観や考え方は、とても流動的で変化の多い時代と感じます。特に少数派を受け入れていく多様性の時代ともいわれるほどに、これまでは認められなかった社会的な弱者などへの配慮が急速に進められています。
そのため、人の価値観には大きな隔たりも生じていて、各所で様々な議論が行われいる最中ではありますが、基本的には差別することそれ自体には、良いものと悪いものがあるのだ、と個人的には考えています。
同じような優遇措置の例として女性専用車両を取り上げてみます。
女性専用車両というのは鉄道会社のサービスで、痴漢等の犯罪から女性を守ることを目的として提供されていて、主に都市圏など人口過密地域で多く見受けられます。これは間違いなく性差別事例ではありますが、裁判ではサービスの提供が認められる結果となっています。
このトリックは、「女性専用車両は名ばかりで、男性も利用できる」という点にあり、鉄道会社としては、出来るだけ女性へ配慮してくださいという「男性への協力依頼」としたことで、認められており、これが本当に男性が乗車できない女性専用車両であった場合は、裁判の結果は変わっていたかもしれません。この事を知らずに女性専用車両の利用者である女性が、乗ってきた男性に暴力を振るって排除を試みて逮捕された事件が発生していることから、個人的には名称は変更すべきだとは思います。
このように、合理的な理由がある場合などは、差別は認められるべきでしょう。特に自由な経済活動が認められている資本主義社会では、商品やサービスを売る側としては、買い手を自由に選ぶ権利があって然るべきだと思うのです。
特定集団へのサービスは有って然るべき
海外ではレディースデイのような女性優遇のサービスは、既に明確に差別として許されない風潮になっているようで、今回日本で起きた牛角の女性半額サービスは、そういう意味では前時代的な差別サービスと言えるのかもしれません。
そのため、価値観のアップデートが早い人たちを中心に、今の時代に女性優遇のような差別は許されないと、SNSなどで大きな批判が相次いだのだと思います。しかし、個人的にはこの批判には否定的です。それは、サービスを提供する側の権利として認められるべきだと考えるからです。
これと同じような議論が度々起こるのが「不動産会社の外国人への貸し渋り」です。
これは、外国人に部屋を貸すと、日本人に貸す場合と比べて住居の破損や苦情の対応など、リスクが多い傾向があるために、貸す側がリスク回避のために外国人に部屋貸さないという選択をしるために発生しています。これは、住居を貸すサービスを提供する側の最低限の権利で、認められるべきだと思うのです。それと同時に、そういった外国人の人向けに対して部屋を貸すサービスを提供することも認められるべきでしょう。これらはどちらも差別ではありますが、自由な資本主義社会としては認められなければならないと思います。
レディースデイや女性半額だって、企業側の提供サービスとしては自由であれば、対抗して男性向けのサービスも展開することが出来、そこに自由な経済的な競争が生まれ、活発化するというものでしょう。これらを禁止して均一化していって先には、社会主義の計画経済のような停滞化した生産・消費社会しか待っていないようにも思います。どこの店に行っても同じサービスしかないのは、自由経済においては致命的でしょう。
女性半額は許可して、男性半額を禁止する様な法律やルールは男女平等から逸脱するため許されるべきではありませんが、女性半額や男性半額を自由に実施する権利は認められるべきでしょう。
個人的には、時代に完全に逆行した「女性限定の飲食店」や「日本人限定の宿泊施設」といったサービスで成功する様な事例があってもいいように思います。需要があって、供給側のメリットもあるサービスではあると思いますが、声の大きな平等主義者の人たちの妨害が凄いかもしれません。
差別は悪い事ではない
差別と聞くと、イコール悪い事とされる風潮があります。しかし、個人的には「差別自体は悪くない」と考えます。それは、差別とは「特定の集団に対して特別な扱いをする」ということに過ぎないからです。
差別を悪いこととするのであれば、高齢者を優遇したり、年少者を保護するといった措置も、分類としては間違いなく差別であるため、批判しなければならなくなります。しかし、差別を批判する多くの人たちは、これらのことを差別ではないと言うでしょう。つまり、彼らは自分たちが言語の支配者で、差別という言葉の意味を勝手に違えて解釈しているとも言えます。
根本として、差別する事自体は問題ではなく、その内容にこそ私たちは着目し、おかしいと感じる物には批判し、正しいと思うものには批判しなければならず、求められるのは、その定量的な判断指標であると思うのです。
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