この記事は2024年の7月に執筆されています。
現在世界は気候変動の影響で大雨や洪水による多くの被害がもたらされ、人々が暮らす社会では多様性の名のもとに従来の文化や常識が破壊されていっていて、日々のニュースは混沌の様相を呈しています。また、ヨーロッパや中東では紛争や戦争が起こっていて、各国は経済的な影響を受けて物価高などに苦しみ、特に欧州では政情不安定な状況が続いています。
そんな状況に生きている私は、この紛争や戦争が起きた要因の一つとして、戦争当事国ではない国々の外交方針が影響しているのではないかと考えています。特に、価値観を共有する国との連携を強化していくという外交は、とても大事なことだと思う反面非常に危険なのではないかと思い、今回はそんな考えをまとめてみます。
価値観を共有する国との連携強化という外交方針
価値観を共有する国との連携強化という言葉は、現在の日本の内閣総理大臣である岸田首相や、アメリカ合衆国のバイデン大統領が使っていた表現で、アメリカは主に中東諸国、日本はアジア太平洋の諸外国との外交などに言及する際に使われていたように思います。
以下は昨年2023年のニュースですが、対中国を念頭にしたマレーシアとの防衛分野での協力に関する会談です。アナウンサーの発言の中でOSA(政府安全保障能力強化支援)について触れられており、その制度について「日本と価値観を共有する国の、軍の能力向上を目的にした」と説明されています。
これは、特に中国を仮想的とした場合、戦争にならないように抑止力を示すという意味では非常に重要な事だと理解しています。
岸田・バイデン両氏の外交方針は、「仲間との協調」路線に一貫しているように思います。
以前の外交方針との違いについて
岸田・バイデン時代の今と、安倍・トランプ政権時代について比較して考えてみることにします。
トランプ大統領は型破りな行動を起こす事で賛否両論ある人物ではありますが、難しい外交にもチャレンジして世界的な協調路線を諦めなかった人のように思います。
特に個人的には、トランプ大統領が北朝鮮と3度も会談を行っていることは、成果があった無かったを別にして、それだけでとても評価できることだと思います。北朝鮮はミサイルの実験などは現在も続けてはいますが、当時トランプ大統領が約束を取り付けた大陸間弾道ミサイルの発射実験は一貫して行っておらず、彼の国にとって「アメリカと対等の外交関係」はそれだけ重要な意味を持っていると考えられます。
当時はアメリカにとって、大陸間弾道ミサイルの開発により標的となる可能性が出てきたため、北朝鮮も「新たな脅威の一つ」であったことから、一概にトランプ氏が積極的に「仮想的との交渉を進めた」と評価することはできませんが、少なくとも「脅威に対して味方ではなく敵との対話」を進めている外交方針は、岸田・バイデンとの大きな違いと感じます。
味方を選ぶことは敵を決める事
味方を決めて連携を強化することで、敵が攻めてきにくい「抑止力」を強めることになることは十分に理解できますし、とても重要な事だと思います。しかし、この方針は同時に「敵を決める」ことになることに注意しなければなりません。
もちろん野心を持った国家を相手にする場合、こちらも準備万端なのだと示して思いとどまらせることは非常に重要でしょう。しかし、その野心と決めつけた行動の真意は、その国家しか知り得ません。
もちろん勘違いでしたで済まされるような事案ばかりではなく、実際の脅威として扱わなければならない状況であるため、抑止力の強化が急がれている訳であって、悠長に手をこまねいて対話などしていられない段階でもあります。
しかし、相手と疎遠になり、味方とだけ連携する様な絶交状態となってしまうと、改めて対話をすることも難しくなり、意思の疎通がなければより一層疎遠になっていくことになるでしょう。
これはつまり、「世界を敵と味方に分ける行為」と同じだと思うのです。
「汝の敵を愛せよ」の思想はどこへ
少し宗教の話を持ち出してみますが、イエス・キリストは「汝の敵を愛せよ」と説いたことで知られています。
この言葉は難しい言葉ではありますが、「自分を愛してくれる人を愛すことは簡単な事」だけど、「自分を嫌っている人こそ頑張って愛せ」と説いていて、それが人々の平和や安寧のためになることだとイエスは伝えたかったのだと思います。争いを避けるためにも、敵と思う人こそ愛して歩み寄る精神が大事なのだということです。
私はキリスト教徒でもないし、何なら神の存在も信じていない無神論者の一人で、完全な無宗教人間ですが、宗教の中には人々に大切な倫理観や道徳など、人が生きていく上でとても大切な考え方や振る舞いの指針が示されていると考えています。
アメリカ合衆国の現在の外交方針は、「敵を愛する」というキリストの教えとは全く異質のものと言わざるを得ません。アメリカはキリスト教徒が多い国だと思っていたのですが、違ったのでしょうか。
国という概念がある限り
私は時々「国」という概念に疑問を抱くことがあります。私自身は日本の伝統や文化などは大切にすべきと思いますし、日本以外の外国の文化や歴史を学ぶことも大好きな人間です。国という形がある事で、その国ごとに歴史や文化が培われて行っていることは確かで、特に日本は世界的に見ても非常に長い間作り替えられることなく一つの国が続いている珍しい例であり、それだけ独特で伝統的な文化が育っていると言えるかもしれません。
しかし、国という概念があるがゆえに、国同士の様々な争いがあるようにも思えてしまうのです。
国家間が、資源の奪い合いや思想の違いなどによって、紛争や戦争という強硬手段に出てしまうといったことは、人類の歴史の中でも繰り返されてきました。もちろん国の中でも同じような事が起きるので、国だけに問題があるというのではありません。
「八紘一宇」は夢のまた夢
終戦前の昭和時代に日本人の間で流行した「八紘一宇」という言葉は、初代天皇の神武天皇の言葉として知られています。今の日本人の中にはこの言葉を知らない人も多いように思いますし、私自身も歴史に興味がなければ一生知る事もなかった言葉かもしれません。
八紘一宇とは、世界が一つ屋根の下で家族のように共に助け合って生きていくことを意味していて、元々は日本が日本になる前の時代の言葉なので、「日本という国」として一つの家族になろうという意味合いだったのかもしれませんが、先の戦争の際には、世界に対してこの概念を持ち込んだことから、多くの日本人に共感され、流行したようです。欧米諸国の植民地となっていく東亜諸国を一つの家族とするべく掲げた大東亜共栄圏は、まさにこの八紘一宇の精神から来ているように思います。
しかし、人間とはとても欲深い生き物です。自分が所有しているものは大事ですし、人が持っているものは欲しくなってしまいます。例え家族であっても、兄弟が持っている面白いゲームやお洒落な洋服を欲しがるといったことはあるでしょう。
利害関係抜きで国家間で協調することは、現実問題としてはかなり難しい、夢のまた夢と言えるのかもしれません。
「先に生まれた者」の所有権や財産
新しく生まれてきた人が、現代の社会を正しいと思えない場合でも、新しい国を作ることは難しいでしょう。既にこの地球上にあるすべての土地は、先に生まれた人たちの手によって所有されてしまっているからです。新しい国を作るためには、国土が必要ですが、もうその土地はないのです。
国という概念には、国土といった独特の領域があり、地球上の一定の範囲をその国が所有することを認めるという考え方になっています。地球の大地に線があるわけではないので、人同士の暗黙の了解で、ここを境界線にしましょうという取り決めです。
この取り決めは今を生きる人間にとっては理にかなっていますが、後から生まれる人はその理屈に強制的に従わされることになり、世代間の公平性は皆無です。先に生まれた者勝ちなのです。
今の世界には、「かつてその土地は自分の先祖が住んでいた」という名目で領土を奪い取り、そこに国家を樹立した国があるわけですが、当然奪い取られた国や追い出された多くの難民・その子孫はその暴挙を許すはずがありません。この例からも、今の世界で新しい概念の国のようなものを樹立していくことは、人々の所有権や財産のことを鑑みると、必ず誰かが不幸になることになり実現は困難でしょう。
人は、未来の誰かではなく、自分の幸福が一番大事なのです。
強いものが正義となる根本的な問題
人は国という概念に縛られ、固執し、現代の社会を構築・維持しています。これは各国毎の権利を守るために必要な概念なのでしょう。
人々は先の大戦後に国際連合という国際組織を立ち上げましたが、現在のところそれは国の集合体であって、強制力や実行力も乏しい団体になってしまっています。国際法という言葉をよく耳にしますが、実際に明文化された国際秩序の定義などは存在せず、社会通念や倫理観などといった曖昧な価値観で定義づけられているのが現在の国際法と呼ばれるもので、現代のような世界的な秩序を乱す行いがあった場合にそれを押しとどめる事さえ叶いません。
国際連合の組織力を高めるのが良いのか、新しい国際的な組織が必要なのか分かりませんが、何かしら地球上の人間社会全体を統治する新しい概念のようなものが必要なのではないかと思うのです。
ただ、こういった社会的な大きな課題について考えると、いつも同じ言葉に辿り着いてしまいます。「勝てば官軍」と言われるように、この世界の歴史は力の強いものが正義とされてきていて、それは今後も変わらないでしょう。東条英機の遺言「力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない」がまた思い出されてしまいます。
難しい事だからこそ対話をすべき
人との関係性が悪くなったとき、対話を避ければ更に人間関係は疎遠になっていき、修復はどんどん難しくなるものです。逆に、早めに勇気を振り絞って話し合えば、意外と簡単に仲直りできてしまうこともあるでしょう。
トランプ大統領や安倍首相の時代には、思想やイデオロギーが異なる国々とも話し合い、折り合いを付ける外交を行っていたように思います。その間も、世界に小さな紛争や衝突などはあったかもしれませんが、少なくとも今のような大規模な紛争・戦争はなく、現状よりは平和だったようにも思います。
仲の良い人や国とお付き合いするのは楽でしょう。仲の良くない人と対話をするのは大変なことでしょう。全員と同じように接することは簡単ではありませんが、一部とだけ親密になっていけば、それ以外とは疎遠になるのも仕方がない事です。
味方を決めて連携を強化するということは、敵を決めて疎遠になるということでもあり、その溝が深くなった結果が今回のような紛争や戦争に繋がった、という一面もあるのではないかと、考えてしまいます。
八紘一宇ではないですが、世界中の人々が本当の意味で家族のように仲良く平和に暮らすことができ、争いのない社会というのは実現可能なのでしょうか。人が欲のないロボットのような無感情な生き物にでもならない限り、難しそうな気がします。