三大栄養素の中で「炭水化物だけは別格」 – 生物が生きるには

炭水化物 戯言
炭水化物

日本の義務教育過程では、食事には三大栄養素があると教えられますが、生物が生きるということを考えた場合、それらの重要度は並列ではありません。しかし、私たちの日常生活の中ではそのような事を考えることは少ないでしょう。健康な生活をする上では「バランスの良い食事こそが重要」というのが社会的通念であることは疑う余地はありません。

人は動けなくなったりして、食事を摂ることができないと死んでしまいます。人は食事をすることによって、生きるために必要な栄養を得ているわけです。

今回は、とある経験を通じて私の食事に対する価値観や考え方に起きた変化と、改めて気づかされた「生物が生きるには炭素を摂取する必要がある」ということについて語ってみます。

生物が生きるには炭素が必須という話

炭水化物というのは栄養素の名前であって、人間は炭水化物を消化して炭素を取り出しています。炭素は酸素と結びつくことでエネルギーを生み出し、結果として二酸化炭素を生成します。

人間は、食事によって炭素を、呼吸によって酸素を取り込み、それらを化学変化させて生じるエネルギーによって、心臓や脳など様々な器官を動かして生きています。その際排出される二酸化炭素は、呼吸によって体外に排出されます。

ここでは、この地球規模での循環について少し考えてみることにしましょう。

地球上では、全ての生物が炭素と酸素で生きている

この炭素・酸素から二酸化炭素の循環は、人間だけに限った話ではありません。魚や昆虫、クラゲや細菌類に至るまで、地球上で生物と分類されるものはすべてこの摂理にのっとっています。異なる生命体が発見されたら人類史上の大発見です。

生物が生きることで排出された二酸化炭素は、地球上の植物によって再度酸素と炭素に分解されて、酸素は空気中に、炭素は穀物などの実になって、また生物に還元されるというのが、この地球上で起きている生命の大いなる循環という訳です。

炭素の循環

肉食生物など穀物を食べない生物は、草食生物が摂取して体内に貯め込んだ炭素を間接的に摂取しているに過ぎず、肉食生物を食べる肉食生物となると、毒性の強まった炭素をさらに間接的に摂取しているという状況です。

いかなる生物も炭素と酸素の呪縛に捉われており、生きている限り必死で炭素を摂取し続けるのです。

妄想 : 炭素と酸素のエネルギー生成を活かせれば

記事の序盤ではありますが、どうしても妄想が止まらないのが炭素と酸素のエネルギー生成ロジックを、新しいエネルギー供給源に出来ないかなぁという考えです。

人権や動物虐待などの倫理観の問題がありそうで、研究すること自体が難しそうではありますが、地球上で完全に持続可能なエネルギー源として、そして有限な化石燃料の代替品として、生命のエネルギーから電気エネルギーに変える方法が発見されれば、1800年頃に電気を発見して以降人類を支えてきたエネルギーを、半永久的に供給しつづけることができそうだと思ってしまうのです。

話が逸れてしまったので少し本題に戻っていきます。

炭水化物 – 「生きる」ために必要な三大栄養素の一つ

日本人は、義務教育過程の中で栄養素について学ぶ機会を得ます。あまり鮮明には覚えていませんが、三大栄養素というものがあって、それは「炭水化物、タンパク質、脂質」と習った記憶があります。

当時は「そうなんだ」程度に聞いて機械的に覚えただけで、その後の人生においては肉と野菜をバランスよく食べるくらいの感覚で、細かな栄養素のことなど考えずに生きていました。この三大栄養素は並列なもので、優先順位があるなどとは考えたこともなかったのです。

しかし、私の身体を襲った病のせいで、この考えは大きく変化させられることになりました。何の変哲もない朝、起床すると大量に出血し、ほとんど動くことができなくなっていたのです。

病床で体験した炭素の欠乏と死の予感

動けない体のまま何日も天井を見つめながら、自分の状況を分析し、状況を打破する方法を考えて行く中で、最初は食事の事はあまり頭にありませんでした。

というのも、人間は食事をしなくともそう簡単には死ぬことはないと知っていて、それまでにも3~4日に一食とかいう生活を度々経験していたので、焦りはありませんでした。むしろ空腹感が消えた後に感じる体の軽さや、ほのかに香ってくる甘い匂いが好きと思えるくらいでした。

しかし6~7日目あたりに突入したところで、体に更なる異変が起き始め、焦りを感じることになります。水分を枕元に持ってきておくために、這うようにして立ち上がった際に、視界がなくなり、心臓の鼓動が感じたこともない程速いスピードになった上、立ち眩みと違ってそのまま待っていても状況が改善されないのです。焦りました。

飢餓状態

おそらく体内の炭素は尽きて脂肪分を分解して生成する炭素も底をつきかけているため、心臓・脳以外の生命維持に関係ないところの器官の優先順位が下がっている、と沈みかけの船のような状態だったのだろうと思います。

とにかく食事…というより炭素を体内に摂取しなければと強く感じました。

人は食事をしないと「3週間程度で死に至る」は個人差がある

人は呼吸ができないと3分で死ぬ。
人は水を接種できないと3日で死ぬ。
人は食事をできないと3週間で死ぬ。
という3の原則があることは、知っていました。

私は前述のように食事を摂らない日が多かったこともあって、人が餓死するということについてもある程度調べて知っていました。徐々に体の器官が停止していき、最後の1週間くらいは酷い痛みと苦痛の果てに死が訪れるという、何とも残酷な死に方だと思ったものです。

7日目に目が見えなくなることを体験した私は考えました。食事なしで死んでしまう3週間というのは平均的な値で、誰しも3週間生きられるものではないと。よく考えたら3分も呼吸止められないし…と。

自分の場合、3週間よりもう少し短いのかもと思った時、その時間は何で決まるのかを考えるに至ります。

動けない時に生き延びられる時間

そこで思い出したのが「基礎代謝」です。基礎代謝はダイエットの話題などで耳にすることがある単語です。運動をして筋肉をつけると、何もしていない時にも脂肪を燃焼させる「基礎代謝」が向上するため、無理なくダイエットできるというものです。

人間は動いくことが困難な状況に陥った際、筋肉量が多く基礎代謝能力が高い人ほど生き延びられる時間は短くなる、ということに気が付きましたが、よく考えたら運動嫌いな私はそれほど筋肉質な体はしていません。

しかしその後すぐに、自分が「男」であることに気が付くのです。人が食事なしで生きられる3週間という平均は、男性・女性を含めた平均値であって、一般的に筋肉量の多い男性は、女性に比べて生き延びられる時間が短くなるのは道理です。

余談 : 飢餓状態の経験を通して変化した価値観

それからはとても悩みました。人が生きるという事、何のために生きるのかという事、這ってでも外に出て命乞いをして生きる未来やその後の人生など、色々と考えた結果、そこまでして「やりたい事も、遣り残したこともない」ので「終わりにしよう」と、完全に死を受け入れてしまいました。

食事が出来なくなって10日目の夜に、飢餓状態の苦痛が酷くなって完全に動けなくなる前に、刃物を置いてその上に体重をかけることで、何とか命を絶とうと決断します。残念ながら腕は肉がむき出しの状態で痛みがひどいため力が入らず、自死の方法すら選択肢がないような状況でした。ですが、その日に限って誰も訪れることのない我が家に奇跡的な訪問があり、命を救われ、今も生きています。

今は、こういった文章を書けるほどに回復していますが、この過程で仕事も妻も娘も、車も家も資産のほとんど、何もかもを失うことになりました。残った資産が尽きたら今度こそ終わりなのでしょうが、何とか生存する道を模索しながら日々それなりに生きています。

この経験は、私の人生で培った価値観を大幅に変えることになりました。生き延びた私は、完全に炭水化物教と言ってよい程、炭素に執着するようになってしまったのです。それと、上記のような状況において、携帯電話さえあれば違う状況になったことは明白です。今は、闘病と炭水化物、そして非常時のための携帯電話を維持することが、私の「生きる」ということになっています。

主食 – 炭水化物が豊富な穀物

炭水化物が含まれる植物の事を穀物と言い、人間がエネルギー源とする食物の事を主食と言います。言葉は違って若干の意味合いは異なりますが、ほとんど同じものを指しています。

「炭水化物を接種することが、それ即ち生きること」になった私は、主食について改めて学ぶことになります。それまで適当に好きな物を食べて生きてきたこともあって、知らないことも多かったので、ここで少しまとめてみます。以下は2024年のWikipedia「主食」に掲載されていた表です。

主食
主食

三大穀物は「米・小麦・トウモロコシ」

日本は言わずと知れた米を主食とする国ですが、今は米の収穫高は下がり続けていて、輸入で仕入れた小麦から作られた製品も多く消費するようになっています。

ヨーロッパは小麦大国で、パンを日常的に食べる文化と知られています。私は幼いころにパンが好きだったので、ヨーロッパの人がうらやましいと思ったものです。

トウモロコシは日本に住んでいると主食として食べている国がある事が想像できなかったりしますが、アフリカや中南米などでは広く主食として食べられています。粉上にしたトウモロコシを水と混ぜてこねたものを、地域によってウガリとかシマと呼ぶようです。

ウガリ
ウガリ

ここでいうトウモロコシは、日本のお祭りなどで食べる所謂スイートコーンとは違って、甘さがあまりない種類のようです。家畜の飼料に使われることもあって、世界で最も収穫される穀物となっています。

続いてイギリスなどで主食とされるイモ類

ヨーロッパは小麦大国と言いながら、イギリスは歴史上ジャガイモが主食とされている国の一つです。イギリスの代表料理として知られる「Fish and Chips」も、よく考えたらパンも米はなく、イモ類を揚げたものと魚です。ジャガイモを始めとしたイモ類は、世界的に見ても、人間のエネルギー源として貴重な穀物です。

Fish and Chipsは、魚(タンパク質) + イモ(炭水化物)の組み合わせなので、日本でいうところのお寿司(魚 + 米)に相当する食事とも言えるでしょう。

Fish and Chips

ちょっとした語学的な雑学ですが、Chips(チップス)というと日本ではポテトチップスのような薄いジャガイモを揚げたものを想像しますが、イギリス英語でのチップスは、日本のフライドポテトのような形状のものを指します。アメリカ英語に慣れた人がChipsと聞いて勘違いするのは、イギリス英語との違いにおける定番ネタの一つでもあります。

私のイモのイメージは、戦時中など貧しい時期や、火山の近くの痩せた土地などで、そこに住む人々を支える穀物という印象です。おそらく、3大穀物を育てるのには適さない土地でも、短い期間で収穫できるなど、様々な良い特徴があるのだと思います。

ただ、私自身はイモは「呼吸が苦しくなる」感じがして、あまり好きではありません。まぁ追い詰められれば何でもいいのですが、選択ができるうちは米か小麦で生き延びたいものです。

キャッサバ、プランテンは日本では珍しい

世界の主食の中には、日本では馴染みの少ない穀物もあります。

キャッサバ

キャッサバ(Cassava)というのはイモ類で、トウモロコシと同じく「コロンブス交換」によって、新大陸からもたらされた、人類の歴史の中では比較的新しい穀物です。トウモロコシと同じくアフリカなどを中心に食べられており、切ったキャッサバをフライにして、フライドポテトのような形で食されたりするようです。キャッサバは、日本で一時期流行した「タピオカ」の原料としても知られています。

プランテン

プランテン(Planten)と聞くと、私はTerrariaというゲームのプランテラ(Plantera)を思い出してしまうのですが、実際にはバナナに似た植物です。私は食べたことがありません。日本でも食用バナナといったような名前で売り出されていることもあるらしいですが、私たちに馴染みのある黄色いバナナではなく、緑色をしていて、甘みは少ないそうです。

炭水化物中心の食生活は意外と楽しい

炭水化物教に入信して以降、私は殆ど炭水化物しか接種しておらず、野菜というものは全くと言っていい程食べていません。タンパク質についても取らなくてもいいかと思っていたのですが、数か月でごみを捨てに行くのさえ筋肉的に辛さを感じるようになったので、今は一日卵一個くらいを目安に摂取しています。

ふりかけご飯に目玉焼きや、袋ラーメンに溶き卵のように、飽きが来ないように米と小麦をバランスよく食べています。

病気をしたら野菜などの重要性が分かるのだと思いますが、今のところ食べなくても大丈夫みたいです。もうしばらくは、この炭水化物主体の食事で生きていこうと思っています。コストを掛けず、限られた選択肢の中で色々工夫しながら食べるのは意外と楽しいです。

コーンラーメン

炭水化物に対する理解が深まると、例えば「コーンラーメン」のようなものが実は「炭水化物(小麦) + 炭水化物(トウモロコシ)」の組み合わせであることに気づいたりもします。日本では主食というと米や小麦が思い浮かびますが、トウモロコシやジャガイモは立派な主食で炭水化物です。主食はエネルギーでありカロリーなので、生きるためには必要ですが、ダイエットをしたい人は気を付けなければならないでしょう。

「当たり前」の中に潜む勘違いに注意しよう

今回は炭水化物に関して価値観が大きく変わった私の体験談をまとめてみました。三大栄養素として学んだ「人間に必要とされる栄養素」は、生物が「生きる」ことを考えた場合、並列ではないことに改めて気付かされました。日常生活の中にある「当たり前」の中には、勘違いや新しい発見がまだまだ潜んでいるように感じています。

「普通は」とか「当たり前」といった凝り固まった考え方は視野を狭め、人生の選択を誤らせる危険性があるので、十分に注意したいと思う今日この頃です。そういった言葉が頭に浮かんだ時には、是非一度立ち止まって考えを巡らせてみてください。