外国人が知っていて驚いた「もののあはれ」 – 失われた日本の美的理念

もののあはれ 雑学

令和時代の現代は、インターネット上のYoutubeやXのようなサービスを通じて、海外の人との交流がとても身近なものとなりました。パソコンやスマートフォンで画面を操作するだけで、簡単に海外の人の英語を聞くことができる現在の環境は、語学の学習や異文化への理解を深めることに役立つこともあって、日本人でも多くの人が海外のコンテンツと触れ合うようになっているように感じます。

そんな環境の中、私も自分の興味のある分野に偏ってはいますが、様々な海外のコンテンツを日々楽しんでいるわけですが、何気なく再生していたYoutubeの動画にて、海外の人の口から「もののあはれ」という単語が出てきて驚きました。歴史への興味から、物事の由来や宗教、言語などに広がっていった私の知識の中で、特に「現代の日本」を作り出した重要な転換点の一つだと考えているものがあり、それが「もののあはれ」や「古事記伝」を作り出した本居宣長という人だったからです。

今回は、現代の日本人からは忘れ去られ、失われてしまった「もののあはれ」について再確認しながら、日本人より日本の事を知る外国人をみて、自分も日本の事をもっと知らなければと感じたことなどについてまとめてみます。

「もののあはれ」 日本古来の美的理念

「もののあはれ」というのは、江戸時代に国学の研究を行っていた本居宣長の提唱した価値観として知られています。

「もののあはれ」とは、外界の事物にふれて生じるしみじみとした情趣や哀愁を意味する言葉です。平安時代の文学的・美的理念の一つで、日本の自然観や無常観と結びついています。
(by Google Search Lab | AI)

寂しかったり、悲しかったりするようなものに対して「美しい」と感じる感性の事で、特に本居宣長が研究していた平安時代の文化にはそういった物が多かったことから、彼はその感性に対して「もののあはれ」という名前を付けました。

「もののあはれ」と聞いて、最初に私個人がイメージするのは日本庭園のような広く寂しい中に美しさがあるような空間や、水墨画のような色使いの少ない質素な絵の中にも、芸術性や儚さのような雰囲気が描かれているようなものですが、本居宣長自身は平安時代を主に研究しているので、厳密には異なるイメージなのだとは思います。ただ、日本のいわゆる「伝統的な」芸術のようなものには、こういった「どこか儚く寂しい風情が美しい」とする感覚が、今の日本人の心にもあるように思います。

本居宣長といえば古事記伝

本筋からは少し逸れてしまいますが、本居宣長といえば日本の学校教育で習う有名な人物で、機械的に「本居宣長 = 古事記伝」といった暗記をした人も多いのではないかと思います。

本居宣長は、江戸時代中期(1750~1800くらい)の人物で、時代的にはペリー来航50年前といった時期です。日本国内は、江戸幕府による仏教・儒教といった価値観の教育が進められており、日本人の生活が苦しいのは政府(幕府)の教育方針が間違っているからだ、というのが基本的な本居宣長の主張です。

平安時代頃は、男女ともに優雅で文化的な華やかな時代だったのに、なぜ江戸時代は人々は貧しく苦しい生活を強いられているのかというのが、医者だった本居宣長の最初の疑問だったため、彼は源氏物語など平安時代期の文化を研究していきます。

そして、十分に知識や経験が備わったところで、当時解読不能になっていた日本の創世神話「古事記」の解読に着手し、自身のコメントを付けた「古事記伝」を完成させるに至るというのが大まかな流れです。

古事記を解読し、「日本民族とは何か」「天皇陛下とは何か」といったことを解き明かしたことは、その後の日本(現在を含め)に大きな影響を与えています。

本居宣長の国学思想が、その後の尊王攘夷思想から大東亜戦争へと繋がっていっていると考えることもでき、その件については以下の記事にもまとめてありますので、興味のある方はそちらもご覧ください。

そんな本居宣長が、人生をかけて解き明かした日本の伝統的な美的理念こそが、「もののあはれ」なのです。

禁止された「国学」

私たち現代人は、「国学」という学問を義務教育では習いません。しかし、大東亜戦争(太平洋戦争)前までは、「国学」は学校で普通に習っていた学問でしたが、私たちはその事実すらも知らないことが多いでしょう。

「国学」は、敗戦後のGHQ統治下において、「日本が戦争に向かった理由」の一つであるとされ、学校教育から排除された経緯があります。驚くべきことに、戦前の小学生たちは天皇陛下のお名前を初代から現代に至るまで全て暗記させられていたとも言われています。「日本という国は、神様がお創りになられて、神様が地上に降りてこられた後、その子孫こそが天皇陛下なのだ」というのが日本の創世神話であり、古事記をベースにした国学は、まさに日本神道という宗教そのものの教育・学問と言っても過言ではなかったでしょう。

特に明治期に入ってからの教育勅語に見られるように、国民は自分の身を顧みず天皇陛下や国のために尽くすものだという儒教的な国づくりが積極的に行われており、アメリカを中心とした戦勝国としては、日本のその宗教的な思想を食い止める必要があったことは理解が出来ます。

しかし、これに伴い日本の信仰の対象であった神は失われ、伝統的な価値観も失われたり、変化させられることになったのは言うまでもありません。

「もののあはれ」を外国人が知っているという驚愕

冒頭でも少し触れましたが、「もののあはれ」という価値観を外国人が知っていることには、一人の日本人としては驚かずにはいられませんでした。

「もののあはれ」を語っていたのは、VSPO(ぶいすぽっ!) EN(English)に所属している美暮ナリン(Narin Mikure)さんという方です。私が拝見した動画は、彼女の配信を切り抜いて日本語字幕が付与された以下のYoutube動画です。本当に素晴らしい編集をされている動画なので、以下に紹介させていただきます。

【ENGsub】Nairin immediately thinks of Kokage senpai just from the word ‘bath’【NarinMikure/VSPOEN】

日本の「儚い」という表現が好きだという話から、次に出てきた単語が「もののあはれ」という言葉が語られています。同動画は本当に素晴らしい編集がされており、概要欄にはTime Stampの記載があります。「もののあはれ」の件は、07:40 Pathos of Thingsの部分になります。

続く言葉からは、その言葉の意味までも理解しているように見受けられ、日本人より日本の事を勉強されている真面目な方なのだろうという印象を受けました。

日本人ですら忘れつつある美的理念である「もののあはれ」を知っていて、なおかつその意味すらも理解しているというのは、本当に驚きました。おそらく現代では、日本語をネイティブに話す日本人でも知らない人が多いと思われます。日本の「教育」の変化が、日本人の価値観や知識に変化を与えているともいえるでしょう。

美暮ナリン(Narin Mikure)さんについて

美暮ナリン(Narin Mikure)さんはVSPO所属という事で、E-Sports振興を掲げたVirtual Youtuberとして活動をされているようです。VSPOの中でもEN(English)部門の一人で、普段の配信などでは英語で話されていますが、語学としては韓国語と少しの日本語なども話されるようです。E-SportsとしてはValorantをプレイされているようです。

ここでは全てを紹介しきれませんので、彼女に興味のある方は、是非Youtube Channelを訪れて配信などをご覧ください。

URL : 美暮ナリン(Narin Mikure) – Youtube Channel

英単語 – pathos

上記Narinさんのお話の中には、日本人としては見慣れない「pathos」という英単語が出てきています。英語ではペイトスかペイタスに近い発音で、元々はギリシャ語に由来する言葉です。発音記号はGoogleによると以下のようになっています。

pathos pronounciation

意味は「哀愁」や「苦悩」のような感情で、「情熱」といった意味でも使われることもあります。

似たような単語には、sorrow(悲しみ), grief(悲しみ)などがあり、pathosという感情は、辞書などでは「特にpity or sorrow(憐みや悲しみ)」といった解説がされることがあります。

少しネガティブすぎるイメージな気がしますが、「もののあはれ」に共通するイメージはあるようにも感じます。

懐古ではなく知識

昔は良かったのだという懐古的な意味ではなく、私たちが今生きている日本という国がどういった国なのか、外国の人たちからはどのように見えているのかなど、知識として「知っておくこと」は重要だと、私個人は考えています。

「無知は罪」と表現されることもありますが、そこまでではないにしろ、「間違えて恥をかきたくない」とは多くの人が思うのではないでしょうか。色々な事を知ることで、恥をかく可能性を減らせるだけでなく、物事に対する考え方や見え方も変わってくることもあり、私たちはもっと多くを学ぶべきなのだろうと常々考えてやみません。

今回の「もののあはれ」と似た様な価値観には、有名な「侘び寂び」というものがあります。しかし、多くの日本人は何となくは分かっていても、「侘び」「寂び」というものが具体的にどういった物なのかを言語化して表現することに苦労するのではないでしょうか。また、「もののあはれ」との違いを聞かれた時に、日本人としてその説明が十分できるでしょうか。

少なくとも私は回答に困ってしまう状態だったので、これを機に調べてみたのでここで共有しておきます。(ネット上で分かりやすく解説されていた方の言葉を引用して掲載しています)

言葉意味
侘び貧しく不足のなかに、心の充足をみいだそうとする意識
寂び極限にまで無駄を削り、緊張感を生み出そうとする工夫
侘び寂び無駄省いて足るを知る
もののあはれ盛んなものが廃れて行くことを惜しむ思い

どれも物が無くて寂しい様子ではありますが、それぞれの心境には違いがあるようです。平家物語の諸行無常を思い出します。

侘び寂びの事を知っていくと、その中身が「道教」という中国の宗教に似ている考え方だなと思ってさらに調べてみると…。

侘び寂び in Google

しっかりと道教由来でした。侘び寂びは日本独自の価値観だと思っていた自分の不明を恥じ、ここに晒して今回の記事を締め括らせていただきます。

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