結婚は人生においての大きな節目であり、相手の選択は慎重に行われます。結婚相手に求める条件には、年収や身長など様々な要素があるようですが、男女の出会いの場などではイケメンや美女に人気が集中するようです。
「サクヤ」と「イワナガ」は古事記に登場する姉妹です。醜い姉と美しい妹の姉妹は、同じ男性に嫁ぐことになりました。今回は、古事記に描かれた「人の容姿」と「結婚」に関するエピソードから、人の美しさに関する価値観について考えてみます。
古事記に描かれる「結婚」
「サクヤ」と「イワナガ」は、二人とも日本の「古事記」に描かれている女性です。
二人は姉妹で、二人とも「ニニギノミコト」に嫁ぐ予定でした。ニニギノミコトは神様で、天から地上へ降り立ったため「天孫」と呼ばれ、天皇陛下の祖先にあたるとされています。
古事記には、姉妹との結婚においてニニギノミコトは一人だけを娶り、もう一人は拒否して実家に帰らせるというエピソードが記されています。
サクヤヒメ – 「美しさ」で選ばれた女性
サクヤはサクヤヒメとも呼ばれ、漢字では木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)、本名は神阿多都比売(かむあたつひめ)で、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)とも記述されます。父は大山津見神(おおやまつみのかみ)という神様です。
日本神話の中で、最も「美しい女性」とされるサクヤは、ニニギノミコトと結婚して3人の子供を出産しています。その子孫が初代天皇である神武天皇に繋がっているとされています。
サクヤヒメは、古事記のエピソードから「安産」の神様とされることが多い他、「富士山」や「桜」の神様としても知られています。
「サクヤ」が「桜の語源」という説
桜の語源には複数の説があり、その一つに「サクヤが桜の語源」とする説もあります。
サクヤの名前が変化して「サクラ」となったとする他、サクヤは「桜の美しさや短命さ」を象徴するものであるともいわれます。
また、コノハナサクヤの名前の一部である「コノハナ : 木花」も、短歌など様々な場面で用いられ、「美しい桜の花」を意味します。(単に「花」を意味する場合もあります)
現代も使われる「サクヤ」という名前
現代においては、「サクヤ」という名前はゲームやアニメなどのキャラクター名として使われることがあります。代表的な作品をいくつか列挙して紹介します。
- 十六夜咲夜 (いざよい さくや) : 東方Project
- 皇サクヤ (すめらぎ さくや) : コードギアス
- サクヤ : ソードアートオンライン
- サクヤ : エンバーストーリア
- サクヤ : シャイニング・ブレイド
- サクヤ : 世界樹の迷宮 など
2020年に発売されたゲーム「天穂のサクナヒメ」も、サクヤがモデルとなっているとも言われています。
また、静岡県の魅力を発信する地域活性系VTuberとして活動中の「木乃華サクヤ」さんは、「コノハナサクヤ」の名前をそのまま冠しています。静岡新聞社などが中心となったマスメディアグループによる公認のVTuberは日本初とされています。

イワナガヒメ – 「醜い容姿」で選ばれなかった女性
イワナガはサクヤの姉で、父は同じ大山津見神(おおやまつみのかみ)です。古事記では石長比売、日本書紀などでは磐長姫と記されています。
妹のサクヤと共にニニギノミコトに嫁ぐ予定でしたが、美しい妹と違って醜い容姿だったイワナガは結婚を拒否され、父の元に送り返されてしまいます。
イワナガを送り返された父はニニギに対して怒り、二人を嫁がせた意味を以下の様に説明します。
イワナガは「岩のような永遠」を、サクヤは「花のような繁栄」を与えるものである。
このエピソードから、イワナガヒメは「岩石」の神様とされ、不死や長寿を表す存在とされます。

イワナガの呪い – 「神に寿命」「人は短命」に
「永遠」を意味するイワナガを拒絶した天孫ニニギは、神でありながら寿命が生じることになりました。
また日本書紀では、妊娠したサクヤをイワナガが呪ったことが、人が短命となった起源と記されています。
心は美しい? – イワナガヒメの実像
現代では、イワナガヒメは「本当は心が美しい」存在だとする説なども聞かれます。
また、地域によっては、送り返されたイワナガはニニギの子を身籠っていたとする逸話が伝えられていたり、後日別の神様と結婚した女神がイワナガの別名であるとする話もあるようです。
こういった諸説はいずれも古事記や日本書紀には記述はなく、イワナガを不憫に思った後世の人たちが作り上げた「救いのエピソード」ではないかとも考えられます。
変わらない「人の価値観」
「美しさ」の判断基準は時と共に変化し、流行なども生み出しますが、「美しいものを好む」という価値観は変わりません。異性を選ぶ際にも、「美しい = 容姿が優れた」人が好まれる傾向がある事は、昔から現代まで変わらないようです。
結婚相手を容姿で選ぶなという「戒め」
古事記に描かれたサクヤとイワナガのエピソードからは、「結婚相手を容姿で選ぶ」ということが、1000年以上前の日本でも行われていたことが伺えます。
また「神に寿命が生じた」件からは、人に「容姿で人を判断するな」という戒めを与えているようにも感じます。
現代においてもルッキズムのような外見を重視する価値観は存在しています。ルッキズムを否定する主張は古事記の戒めと共通している部分があるともいえるでしょう。容姿で人の優劣が決まるものではないでしょう。
しかし、人が美しいものを好むことは変えられません。「美しいものを好きになる人の習性」を認めつつ、美しさに惑わされて「本質を見誤らないようにすること」こそが大事なのかもしれません。
人は老いると美しさが損なわれていくもので、そのことを嘆く心理もまた変わりません。美しさの劣化を嘆いた世界三大美女の一人「小野小町」に関する以下の記事も是非ご覧ください。
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