いじめやハラスメントの被害を訴えた人が、逆に名誉毀損で訴えられる──そんな逆転現象が現代日本の司法で起きています。証拠を重視する仕組みの裏で、声を上げた人が不利になる社会の構造と、その先にあるプライバシーとのせめぎあいを考えます。
いじめ被害者と加害者
いじめやハラスメントの被害に苦しんだ人が、学校や職場に訴えても改善されないことは少なくありません。出口を失った末に、SNSやインターネットで自らの境遇を発信する人が増えています。

SNSなどでの「いじめ被害」の訴え
いじめの問題解決は簡単ではありません。身近な人に相談するなどしても、適切な処置が行われずに被害を受け続けるケースも少なくありません。
対処に限界を感じた被害者本人やその家族が、一縷の望みにかけてSNSでいじめ被害を訴えることがあります。世の中に注目してもらう事で対処が変わり、加害者の行動が止められたり是正することを期待するのです。
SNSなどで多くの人の目に留まると、人々からの共感や支持を集めることが多く、社会的に大きな話題となることもあります。
加害者による「名誉毀損」の訴え
SNSでいじめの訴えが拡散されると、いじめ加害者の情報が特定されたり、社会的地位を脅かすような大きな動きが起こることがあります。「正義感」が強まるほど人は過激な言動に走りやすいとされ、実際に加害者に危害を加えるような、まるで犯罪予告のような言葉まで飛び交うこともあります。
批判の矛先となった加害者は、社会活動に悪影響が及ぶこともありますが、世間の目は冷たく、「自業自得」という空気感の中で批判は継続していきます。
こうして加害者は、不利益の元凶とみなした「SNSでのいじめ被害の投稿」を事実無根の名誉毀損として、法的措置に踏み切るケースが生まれるのです。
これは、次に見るように、司法の証拠主義が生み出す逆転現象へとつながります。
「証拠主義」がもたらす逆転現象
日本の司法は「証拠主義」を重視します。
そのため、実際に被害があったかどうかよりも、証拠が存在するかどうかが結論を大きく左右します。ここに制度的な逆転の仕組みが潜んでいます。
被害者が有罪となる仕組み
証拠がなければ「いじめ」は立証できません。
とりわけ、いじめの立証は極めて困難です。
多くの場合は教室や部活動など、閉じた空間で繰り返し行われ、映像や音声といった決定的な証拠が残りにくいのです。被害者の証言だけでは限界があり、加害者側が否定すれば「言った言わない」の水掛け論になりやすい構造があります。
立証できなければ「いじめはなかった」とみなされ、いじめ被害者の訴えは「名誉毀損」として扱われます。
しかも、名誉毀損の証拠──すなわち存在しないとされた「いじめ」を告発した投稿──は、SNS上に明確に残っているのです。
結果として、いじめ被害を訴えた人が、司法の場では加害者の名誉を毀損したとして有罪判決を受けるという逆転現象が起きるのです。
典型的なケーススタディ
・地方の首長が議員の恫喝を訴えたものの、証拠が提示できず、逆に名誉毀損で敗訴したケース。
・学生がいじめ被害をSNSで告発した結果、加害者とされた側が名誉毀損で訴えるに至ったケース。
これらはあくまで典型例ですが、同じ構造が繰り返されていることを示しています。
テクノロジーで変わる証拠の在り方
では、この問題を解決する道はあるのでしょうか。
交通事故においては、ドライブレコーダーの普及によって「言った言わない」の争いが大幅に減少しました。これと同じ発想を人間関係のトラブルに応用できるのではないでしょうか。
ドライブレコーダーが変えたもの
ドライブレコーダーは事故の瞬間を客観的に記録し、加害・被害の立場を明確化しました。証拠が可視化されたことで、司法判断も安定し、被害者救済が進みやすくなったのです。
ボディカメラと監視社会の可能性
人間関係におけるいじめやハラスメントも、ボディカメラやウェアラブル端末などによる常時記録で立証が容易になるかもしれません。

アメリカでは、警察官にボディカメラの装着と記録を義務付ける州もあり、取り締まり時のトラブル回避や透明性の確保に役立てられています。しかしこういった対策を進めると、「監視社会」へとつながる大きなリスクを孕みます。プライバシー侵害や、日常生活における自由の萎縮をどう回避するかという新たな課題が生まれるでしょう。
捜査に役立てられる防犯カメラ網
日本でも街中に設置された防犯カメラが、犯罪捜査や事件解決に役立てられる例は数多くあります。駅や商店街、公共施設などに設置されたカメラ映像が容疑者特定や事件の全容解明につながるケースは日常的に報じられており、「記録があるかどうか」が司法判断に大きな影響を与える時代になっています。
防犯カメラ網の活用でスピード逮捕した事例と共に、最新のカメラ技術などが紹介されているYouTubeの動画(MBS NEWS)を一つ紹介します。
中国の事例に学ぶ
中国では顔認証カメラや社会信用スコアを用いた徹底的な監視体制が導入されています。
治安維持や犯罪抑止といったメリットがある一方、表現の自由や個人の尊厳が大きく損なわれていることも事実です。日本がこの方向に進むべきかどうかは、社会全体で慎重に議論しなければなりません。
証拠かプライバシーか
声を上げた人が不利になる社会は健全といえるでしょうか。
すでに接客業などでは常時会話を録音する取り組みが進められ、個人でもスマートフォンやボイスレコーダーを使って自己防衛を図る人が増えています。しかし、やましいことがなくても、監視や記録には不快感を抱く人も少なくありません。
「証拠を重視する司法」と「プライバシーを守る社会」──この二つの価値はしばしば衝突します。科学が発展した時代に生きる私たちは、証拠とプライバシーのどちらをどこまで優先すべきなのか、改めて考える必要があるのではないでしょうか。
関連記事:スパイ防止法をめぐる議論
日本は、国際社会では当たり前のように整備されている「スパイ防止法」が存在しない数少ない国の一つです。
この法律をめぐる議論では、必ずといっていいほど「プライバシー」の問題が反対理由として挙げられます。監視社会に近づくのではないか、という懸念です。
以下の記事では、日本と世界を比較しながら、日本で制定が進まない構造的な背景を整理しています。興味のある方はぜひご覧ください。