2024年、今年も暑い夏の時期がやってきました。近年の気候変動が関係しているのか、今年の暑さは特に厳しく感じます。体温を超えるような気温だと、上がった体温が下がらなくて命の危険があるという話も聞こえてきて、しかたなくエアコンを使って猛暑に対抗せざるを得ない状況です。
そんな暑い夏の時期、特に8月が近くなってくると、日本では戦争や終戦に関する報道や番組も多く目につくようになります。
今回の記事では、若き頃に知らず、歳を取って知って驚いた「終戦記念日の世界との違い」についてまとめてみます。
日本での終戦記念日は8月15日
日本では義務教育で「終戦記念日は8月15日」と習います。この8月15日というのは、1945年の8月15日に「玉音放送」と呼ばれる天皇陛下の声によるラジオ放送が行われ、日本国民全体に戦争に負けたことが伝えられた日です。
もう少し詳しく見ていくと、日本は8月14日に「無条件降伏」の最後通牒であるポツダム宣言の受諾を決定し、連合国に通達しています。その翌日に国民に、負けを認めたことを伝えた形になります。
太平洋戦争(大東亜戦争)と呼ばれる主にアメリカ合衆国と太平洋の島々で繰り広げられた過酷な戦争は、1941年の12月から始まって、1945年の8月に敗戦した形で締めくくられました。
ポツダム宣言は7月には受け取っていたが黙殺
日本が受諾したポツダム宣言は、実際にはその前月である1945年7月には日本に届けられており、時の政府によって受諾の是非について検討が行われています。しかし、7月時点では日本はまだ戦争継続を求める声が強く、ポツダム宣言については受け取っても回答しないという、いわゆる黙殺するという決定を行います。
しかしこの後、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾が投下されたうえ、ソビエト連邦が参戦してきたため、急ぎポツダム宣言について再度検討して受諾を決定したというのが背景にあります。
原子爆弾投下の是非については様々な意見があり、アメリカの新兵器の実験であったとか、等価の必要性はなかったとする分析なども聞くことがあります。大量殺りく兵器である核兵器が実際に使われて多くの命が失われたことは、非常に痛ましいことですし、犠牲になった多くの人は、武器を持たない一般の人たちというのが辛すぎます。
しかし、敗戦濃厚と思われていた日本が、7月に受け取ったポツダム宣言を黙殺して戦闘を継続しようとしていたことは確かな事実で、原子爆弾が投下された後に受諾を決定したこともまた事実であることは忘れてはならないでしょう。
宮城事件 – 玉音放送を巡っておきたクーデター未遂
8月14日にポツダム宣言の受諾を決定した日本は、天皇陛下の声で国民に敗戦を伝えることを決めます。そして、伝える内容を閣僚たちで話し合いながら詰めていき、有名な「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」を含む玉音放送の文面が出来上がります。
出来上がった文面を昭和天皇に読んでいただいたものを録音し、翌日(8月15日)正午の放送日程に備えていました。
しかし、陸軍の若い将校たちは戦争継続を強く望んでいました。全国民で玉砕してでも必勝するという目的のため、この玉音放送の録音盤を奪ってしまおうと画策します。8月14日の深夜から8月15日の早朝にかけて、陸軍内で決起した数名が武力によって宮中や周辺を抑え込み、玉音放送の録音盤を捜索しますが、隠し通すことに成功し、翌朝から本格的になった対抗部隊によって追い詰められた若手将校たちは自害するなどして、最終的には完全に鎮圧されました。
この事件は宮城事件と呼ばれ、日本で起きた最後のクーデター未遂事件ともいえますが、私は若いころはこの事件についてまったく知りませんでした。
「日本のいちばん長い日」という映画
宮城事件や、ポツダム宣言受諾・玉音放送前後の日本政府の動きなどについては、ノンフィクション小説を基にして制作された映画である「日本のいちばん長い日」が勉強になります。
戦争に関する映画ではありますが、よくある銃や戦闘機でドンパチするような映画ではなく、政治的な駆け引きや心情描写を中心とした作品になっています。
同小説の映画化は、1967年に行われた後、2015年にもリメイクされていて、私はカラーのリメイク版しかみたことがありませんが、とても考えさせられた作品で、夏になると思い出します。興味のある方は是非一度観てみてください。
世界的な終戦の日は9月2日
日本では終戦記念日は8月15日ですが、世界的にみると8月15日は何の記念日でもなく、戦争終結の日というと9月2日となります。
これは、日本が「降伏文書の調印」を行った日です。
アメリカの戦艦に赴いて調印式に臨み、ポツダム宣言の受諾を正式に認めた、つまり無条件降伏することを外交上の約束として取り交わしたということです。
連合国を含めた戦争に参加していた各国は、日本が降伏文書に調印した9月2日をもって、戦争が完全に終結したことになったのです。そのため、テレビやラジオで大々的に放送され、歓喜の大歓声で戦争終結と平和の再来を喜んだのです。まさに終戦記念日と言えるでしょう。
日にちの違いがもたらす認識の齟齬
日本に住んでいて、日本人としか交流のない日々を過ごしていれば、この世界との終戦記念日の違いについて実感することもないでしょう。
しかし、旅行などで海外に行くことがある人だけでなく、今やインターネットを通じて世界中の人との距離が縮んでいることもあり、多くの人が日本人以外の人と交流する機会があることでしょう。そういった際に、ちょっとした認識の差がコミュニケーションにおいて弊害となったり、険悪な空気になったりすることもあるため、日本と世界での歴史に対する認識を知っておくことは大事です。
「どちらの歴史が正しい」といった話ではなく、それぞれの認識を知っておいて、できればその理由についても正しい知識を持っていることが望ましいという話です。
日本では8月15日に終戦記念日のイベントがあるということを知った海外の人が、終戦は9月2日だと反論・指摘してきた場合に、今回紹介しているような「歴史的な事実」を添えながら、日本が何故世界と違って8月15日に記念日としているのかを説明できればよいと思うのです。それができなければ、日本だけ自分に都合の良い歴史認識を広めているといったような誤解を与えかねないでしょう。
北方領土の問題
この日付の差異に関する大きな問題の一つに北方領土の問題があります。
北方領土というと、北海道の択捉島などを4つの島が、ソ連(現ロシア)に占領されていて、日本が返還を求めている土地の事です。私は義務教育過程などでこの問題の事を習いましたが、現在の教育過程でも習うのでしょうか。
この北方領土問題は、日本の歴史認識の違いが問題の解決を困難にしてきた経緯があります。4つの島のうち、日本が降伏文書に調印する前に占領されていたのが2島、調印後に占領されたのが2島という、すこし複雑な状況にあります。
基本的には、日本の立場としては、北方領土は降伏(8月15日)後に占領されたのだから返還されるべきだという主張ですが、ロシア側は正式な降伏(9月2日)前に占領したのだからロシア領だとする主張です。
しかし、9月2日の調印後に占領した2島については返還されるべきだという主張に対して、ロシア側の主張は通らないため、「2島先行返還」という外交交渉が進められました。これは、先に返還されるべき2島について返還要求を行い、残り2島については外交上「返還をお願い」していこうとする交渉です。
この「2島先行返還」の交渉は順調でしたが、日本国内の世論は反発しました。日本の終戦は8月15日なので、4島とも返還されるのが筋だというのです。世論に押されて、日本政府は仕方なく4島返還を交渉しますが、当然ロシアは態度を硬化させ、2島先行の返還も白紙になり、今に至っています。
これは、日本の歴史認識が世界とずれているために起きている「領土奪還機会の損失」と言わざるを得ません。そして昔の私もそうですが、この認識のずれについて、今を生きる日本人の多くは認識すらしていないのではないでしょうか。
自分の常識を過信しないようにしよう
日々当たり前のような日常を過ごしていると、自分の中の常識が世界の常識であるような錯覚をしてしまうものです。何の弊害もなく、安心平和に過ごしていけていれば、疑問を持つことも少ないでしょう。
この過信は時に人に対して失礼になったり、気が付かないうちに自分に不利益をもたらしていたりします。いずれも自分は気が付かないので、この認識が修正されることもないでしょう。
「普通は」とか「常識として」といった言葉が出てくるようなときは、眉をひそめて注意深く見つめ、よく考えて行動しなければなりません。その常識は、本当に正しいものでしょうか。こういう話をすると「日本に住んでいるのだから」といった声を聞くこともありますが、知らないで日本独自の価値観で動くことと、知っていて同じ行動をすることには大きな違いがあります。
無知は罪と言われることもありますが、自分が恥をかいたり、他人を傷つけてから初めて「自分の愚かさ」に気付かれ、後悔するものです。そうならないためにも、日ごろから様々な事に興味をもって知識を蓄えていきたいものです。
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