“マナ”や“ノア”――これらがユダヤ教由来だと聞いて驚く人は少なくないでしょう。日本では古くから神道や仏教のような宗教が広まっていましたが、意外とキリスト教やユダヤ教に由来する物事も多く広まっています。今回は、身近なユダヤ教に関するちょっとした雑学を紹介します。
意外と身近なユダヤ教とは?
ユダヤ教と聞くと、中東諸国の事や先の大戦のことなどを思い浮かべる人が多いかもしれません。逆に、それ以外の事で「ユダヤ教」や「ユダヤ人」の事を日本で耳にすることは少ないようにも思います。
ユダヤ教は、「世界最古の一神教」とも言われ、宗教界における「革命」的な存在です。現代においても、キリスト教やイスラム教を通じて世界の広い範囲でユダヤ教の物語は知られています。
今回は、その中から「日本人がユダヤ教だと思っていなさそうなもの」をいくつかピックアップして紹介してみます。
「ノアの箱舟」と旧約聖書の大洪水
「ノアの箱舟」の物語は、ユダヤ教旧約聖書の「創世記」に描かれている物語です。
「ノアの箱舟」は、神が地上を大洪水で滅ぼす際に、ノアとその家族、そしてすべての動物のつがいを乗せるために造られた巨大な箱舟の物語です
映画『ノア 約束の舟』との関係
2014年には、「ノアの箱舟」の物語を基にした映画「ノア 約束の舟」が公開され大きな話題を呼びました。

引用 : パラマウントピクチャーズ 「ノア 約束の舟」
※ご注意 上記引用リンクは、パラマウントピクチャーズ公式サイトがサービス終了していたため、Bru-ray販売ページになっています。
トヨタ「ノア」の名前の由来
「ノア : noah」の名前は英語の人名としても使われることがあります。
勘違いされることも多いようですが、トヨタの車「ノア : NOAH」は、箱舟の物語からではなく人名から付けられた名前とされています。
マナ:ゲームの魔法力は旧約聖書に登場する食糧だった?
ゲームやアニメなどのファンタジー世界において、現実には存在しない魔法という超常現象や能力が描かれることが多いです。そういった世界観において、魔法を使う際のエネルギー源として、魔力・魔法力などと同じような意味合いで「マナ」という力が描かれます。

出エジプト記の背景
マナという言葉や概念は、ユダヤ教旧約聖書の「出エジプト記」に登場する食べ物に由来しています。
出(しゅつ)エジプト記は、エジプトで奴隷として暮らしていたユダヤの人々が、モーセの導きによってエルサレムに向けて脱出する物語です。着の身着のまま逃亡生活をすることになったユダヤの人々は飢えに苦しみますが、その際に神から与えられた食料が「マナ」とされています。マナは、ユダヤの人々がカナンの地に辿り着くまでの40年間、ユダヤの人々の食料とされました。
霧のような形状で、蜜を入れた煎餅の様に甘く、食べずにおくと腐敗して悪臭を放つ食べ物とされ、現代まで「実際には何だったのか」という議論が続けられています。
「マナ」と「サプリメント」との類似点とは?
旧約聖書に登場する「マナ」は、現代のサプリメントと類似している点がみつかります。
「マナ」の特徴
- 出典:ユダヤ教・キリスト教の旧約聖書『出エジプト記』
- 概要:エジプトを脱出したユダヤ人が荒野で飢える中、神が天から降らせた食物
- 特徴:
- 毎朝現れる(保存できない)
- 蜜入りの煎餅のような甘い味
- 栄養を満たす主食代替
- 神が与える、超常的な供給物
- 40年間、彼らの命をつなぐ生命線だった
サプリメントの特徴
- 目的:通常の食事で不足しがちな栄養素を補う
- 形状:錠剤、粉末、ドリンクなど多種多様
- 特徴:
- 少量で高栄養
- 持ち運びや保存がしやすい
- 現代人の食生活を補助する“補完的”な食物
- 一部は「完全栄養食」として主食代替を意識
マナとサプリメントの類似点
マナとサプリメントの類似点について、表にまとめてみます。
類似点 | 解説 |
---|---|
栄養価の高さ/完全食的性質 | マナは40年間の食生活を支えた。サプリメントや「完全食(例:BASE FOOD、Huel)」も、必要な栄養を効率よく摂れることを重視 |
最小限の摂取で命をつなぐ | マナもサプリも、食の「補助」や「代替」によって命を支えるという点で共通 |
保存性・持ち運びの容易さ | マナは“毎日現れてその日限り”という点がむしろ「フレッシュ配給」に近く、サプリは保存可能な点で対照的。ただ、どちらも「軽く、かさばらず、旅に向く」食物 |
非日常的・テクノロジー的側面 | マナは「神が降らせた超自然的食物」、サプリは「科学が生み出した人造栄養」→どちらも“通常の食”を超越したイメージがある |
信頼や依存性 | マナに対しての信仰心と、現代人がサプリに寄せる「健康維持への信頼感」は心理的に類似 |
マナは「配給」型の完全食、プリミティブな「未来食」です。まさに現代の「ミールリプレイスメント(完全食)」の原点的な発想に近いとも言えます。
ダビデ像とユダヤの英雄譚
ミケランジェロがルネサンス期に作ったダビデ像は、ユダヤ教旧約聖書のサムエル記や列王記に登場する男性「ダビデ」を描いた作品です。若々しく美しい肉体美が表現されたこの像はミケランジェロの傑作として、現代でも多くの人に愛されています。
ミケランジェロの「ダビデ像」とは?
制作年代:1501~1504年、ルネサンス期イタリア
特徴:
- 聖書的ダビデではなく「人間的・英雄的」なダビデ
- ゴリアテとの戦いの直前の緊張感ある姿
- 完全な裸体、理想的な肉体美 → ルネサンス的人間観の象徴
- キリスト教的「信仰」よりも、人間の知恵・力・勇気を強調
ゴリアテとの戦い
エルサレムの地を目指すユダヤ人の戦いの最中、大きな体をした敵兵「ゴリアテ」を倒すために、体の小さなダビデが「石を投げる」工夫をして勝利を勝ち取ったとされており、この像は石を投げる前のダビデが表現されています。

ダビデがゴリアテを倒したことで敵軍(ペリシテ軍)は総崩れとなり、イスラエル軍は大勝利を収めました。
羊飼いだったダビデがイスラエルの王となり、劣勢だったイスラエル軍が勝利していく英雄譚は、まるで現代の少年漫画やヒーローアニメに通じるような「熱い展開」の連続で、娯楽の少なかった当時はきっと大流行だったことでしょう。
キリスト教とユダヤ教のダビデ像の解釈の違い
キリスト教の新約聖書『マタイによる福音書』1章では「ダビデの子イエス」という記述が象徴的で、キリスト教では「ダビデ=イエスの祖先=救いの系譜」という意味を持ち、ユダヤ教とは違いが見られます。
ダビデ像については、ユダヤ教とキリスト教には以下の様に解釈に違いがあります。
観点 | ユダヤ教の視点 | キリスト教の視点 |
---|---|---|
ダビデ像の意味 | 本来、偶像は避ける。精神的・内面的価値が中心 | 救いの歴史に連なる重要人物として象徴化 |
彫像への態度 | 否定的(偶像崇拝の禁止) | 肯定的(宗教的寓意や人間性の表現として活用) |
重視されるダビデの側面 | 神との契約、律法への忠誠、悔悛、内面的信仰 | 勇気、英雄性、神の導きに従う意志、血統 |
美術での表現 | 基本的に行われない/戒律違反となり得る | 文化的・神学的意義を持ち、美術・建築で頻出 |
ミケランジェロの「ダビデ像」は、ユダヤ教の宗教感とは相容れない面が多く、むしろキリスト教文化圏(特にルネサンス以降)の人間賛歌的解釈が強く反映されています。
ユダヤ教における「ダビデ」は、像にして眺めるよりも律法の物語と精神性に学ぶ対象です。
宗教は意外と日常に溶け込んでいる
実は私たちの「常識」や「当たり前」は、古代宗教にルーツがあるかもしれません。それを「知る」ことは、世界の見方を少し広げる第一歩になるのではないでしょうか?
世界最古の一神教という革新的なユダヤ教は、キリスト教、イスラム教とアップデートを重ねて、現代でも世界の「常識」を形成する大きな要素の一つになっています。遠い中東地域を中心にした宗教であるユダヤ教は、日本に居ると「関係がない」ように感じてしまいますが、実は意外と身近な物や考え方の中にも由来しているものが多くあります。
特に、人々の「常識」の多くは一部の人が考えた「宗教」を基にしたものが多いことに、私たちは注意し、疑問を持ってみることも大事なのではないでしょうか。