インターネット時代の現代では、様々な映像作品を家に居ながら楽しむことが出来る便利なストリーミングサービスを簡単に利用することが出来ます。そういったサービスを長い間契約していると、最近何も視聴していないので、「何か観なくては」という謎の強迫観念に駆られることがあります。私は、最近利用頻度が下がっていたアマゾンプライムを使わなければと考え、数多く配信されている作品の中から一本アニメを選び、何となく視聴していました。
今回は、そんな時に突然耳に入ってきた仏教用語「六根清浄」に驚いたというお話と共に、その言葉の意味やちょっとした雑学を紹介しています。作品を視聴しながら、アニメなどの作品を創作されている方々の情報の扱いや見識の広さに、改めて感銘を受けました。視聴を始めた動機は後ろ向きでしたが、結果として、アニメ作品も楽しむことができた上に、私の向上心も大きく刺激されました。
六根清浄とは
六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、仏教の用語で「六根から起こる欲望を断ち切って、心身が清らかになること。」とされています。略して「六根浄」とも呼ばれます。
六根というのは、私欲や煩悩、迷いといったことを引き起こす原因となる、「目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官」のことを指します。
清浄は、煩悩や迷いを遠ざけて、清らかで汚れのない境地(こころもち)の事です。
日々の生活の中で、悩みが増えていく原因は、目や耳などの器官の汚れにあるので、その汚れを落として清めましょうという考え方です。意訳すると、悪口を聴いて嫌な気持ちになったり、変な事ばかり考えてしまうのを止めるために、一度心身リフレッシュしましょうという事です。
登山の際の掛け声
昔は多くの山に神仏が祀られており、山全体も信仰の対象となっていました。これは仏教だけでなく神道などでも同じで、女人禁制の神山などは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
仏教の修行などで山に登る際には、衣服や心身を清めた上で、登山の安全を祈願しながら「六根清浄」の掛け声をかける風習があります。六根(目や口などの器官)を清浄(清める)ことにより、人間性を高めるという修行で、真言宗などでよく行われているようです。

過酷な登山を通して「煩悩を鎮め、心身清らかになる」という気持ちは、仏教を信仰していない登山愛好家の方々にも理解されやすい気持ちなのではないでしょうか。人知を超えた壮大な自然の美しさの前に立つと、人は言葉を失い、自身の悩みの小ささに気付いて前向きな心持ちになるといった話もよく耳にします。
宗教の教えから得られるもの
宗教というのは、現世に生きる人々を支え、前向きに生きていく活力を与えるためのサポート役でもあります。特に仏教では、現世は悩みや苦しみが多いという世界観でもあります。迷い苦しむ現世の人々を救う(助ける)ために、様々な考え方や行動を示しています。山登りの修行もその一つと言えるでしょう。
私のような宗教(神や仏)を全く信じていない人間でも、心身をリフレッシュしたり、悩みを解消するヒントを得るなど、宗教から得られる「学び」は多いです。私の個人的な宗教観は、人によっては嫌悪感を抱かれるかもしれませんが、以下の記事に少しまとめていますので、興味のある方はご覧ください。
仏教用語が飛び出すアニメ
冒頭で少し触れた通り、仏教用語である「六根清浄」がアニメ作品の中で使われていたことに驚いたことについて紹介していきます。映画やアニメを視聴する際には、まさかそんなに一般的でもない宗教的な言葉が使われるなんて思ってもみないので、台詞で仏教用語が飛び出してくると、本当にびっくりします。
そんな驚きをくれたアニメは、「甲鉄城のカバネリ」です。
驚きの直接的な原因は、単純に原作者や脚本家の方が、「とても学ばれていて博識である」ことにあります。その驚きようは、思わず視聴を停止して、「凄い」と感銘を受けると共に、「自分も一層学ばなければ」と心新たに思ったほどです。
「甲鉄上のカバネリ」というアニメ作品

物語は蒸気機関が発達した極東の島国・日ノ本(ひのもと)を舞台に、装甲蒸気機関車・甲鉄城に乗る人々と、不死の怪物・カバネとの戦いを描く。「スチームパンク」「時代劇」「バトルアクション」「ゾンビ」「ロードムービー」といった要素が込められている。
(from Wikipedia)
出典 : 甲鉄城のカバネリ – 公式サイト
世界観については上記引用にある通りで、時代劇風なのにスチームパンクな道具や乗り物などが登場するという一風変わった感じです。要素てんこ盛りなのにも関わらず見事に調和されており、個人的には不思議と違和感を感じず、あっという間に世界に引き込まれました。
主人公はゾンビ(同作品ではカバネと呼ばれる)ものにありがちな、「感染したけど克服して能力を得る」というパターンではありますが、物語冒頭で、「感染したことにより人に恐れられるも、信頼を得ていく」という過程が丁寧に描かれており、登場人物たちの色々な立場に共感できました。アニメOPの冒頭にある台詞「貴様、人かカバネか?」「どちらでもない。俺はカバネリだ!」からも、人の猜疑心や信念のような、作品で描かれる魅力が詰まっているようにも感じます。
また、物語全編にわたって派手なアクションも多く、過度なグロ表現もないため、いわゆるゾンビ作品の「鬱蒼とした感じ」は少なく、どちらかというと爽快な作品の部類です。カバネの心臓が固い膜に覆われているという設定のため、戦闘シーンは中・近距離戦が主体となっていて、見ごたえがあるのも特徴でしょう。
映画 – 「甲鉄城のカバネリ 海門決戦」について
作品は2016年にアニメ放送(全12話)されており、2019年には映画「甲鉄城のカバネリ 海門(うなと)決戦」という作品が公開されています。2025年3月には同映画がAmazon Primeで配信されていたので、アニメ本編に続けて視聴することができました。
アニメ本編のその後が描かれており、映像も内容もとても楽しめました。本編で描かれていた猜疑心や信念のようなものに加え、信頼やほんの少しのロマンスが描かれており、殺伐とした世界の中での安らぎという対比は心地よく、視聴後の満足度は非常に高い作品でした。

作中に登場する女性キャラクター「無名(むめい)」は、本当にかわいくてカッコいい魅力的なキャラクターで、作品のレビューやネット上でも高い人気があるようです。上記シーンはアニメ本編の引用ですが、海門決戦では主人公との共闘アクションや信頼・恋愛などの会話などが多いため、彼女が主人公と言っても良い程です。無名の活躍シーンをもっと見たいという人は、海門決戦も観た方が良いでしょう。そうでない人も、観終わったころには無名ファンになってしまう程に、彼女が大活躍する内容になっています。
アニメ内での「六根清浄」
アニメ「甲鉄城のカバネリ」について簡単な紹介をしてきましたが、アニメ内では「六根清浄」という台詞や仏教式のお葬式、死者を弔って手を合わせるといった宗教的な描写が所々に見られます。歴史的な考証と共に宗教的にも入念な調査研究を行っていることが伺えます。その上で、ゾンビやスチームパンクの世界観とうまく融合させるために、大変な苦労をされたことだろうと思います。
アニメ内での「六根清浄」は、決戦に勝利した時などの「勝ち鬨」や、これから死地に赴く際の「掛け声」として登場します。
カバネと呼ばれる汚れ(穢れ)を打ち払った、または打ち払い清めるという思いが、六根清浄という言葉に込められているように感じました。宗教的な言葉が選ばれていることで、キャラクター達の心情に「深みを感じる」ようになっているように思います。ただ単純に「行くぞ」とか「勝った」という気持ちだけでなく、そこには不浄なるものを打ち払う覚悟や信念、勝ち取った清浄や安寧といったものを感じるのです。
全体では宗教色が強い作品ではないのですが、こうして一部に宗教的な要素が散りばめられていることで、世界観としても深みがでているようにも思います。海外の人や宗教に詳しくない人には気にならない程度のスパイスとして隠し味的に盛り込まれているので、分からなくても作品理解を妨げるものではないところも、とても考えられていて素晴らしいと感じました。
世界的には「宗教は教養」と表現されることもありますが、この作品からは「面白い」だけでなく、原作者さんたちの高い教養も感じられました。
パチスロや「六根清浄」グッズ展開も
最近では映像作品を基にしたゲームやパチンコ・パチスロといった展開も多く見られますが、甲鉄城のカバネリも同じような展開作品がリリースされています。2022年にはパチスロがリリースされており、スロットの演出の盛り上がる場面で「六根清浄」が使われているようです。

また面白いことに、同作品では「六根清浄グッズ」というものも販売されているようです。グッズには、目覚まし時計やTシャツ、アクリルキーホルダーなどがあるようです。アニメ作品のファンの人向けなのか、それとも宗教的なグッズなのか、ターゲット層が正直ちょっと分からないのですが、そういう部分も含めてとても興味深い商品だと感じました。アニメのグッズ等を購入することが無い私も、少し気になってしまう不思議な魅力があります。
グッズは、アニメのノイタミナショップやパチスロのサミー商店の他、Amazonなどでも販売されているようなので、気になる人はチェックしてみてください。
雑学 : 六根清浄が「どっこいしょ」の語源説
仏教用語の「六根清浄」には面白い雑学があるので少し紹介します。
私たちが日常生活をする中で、何か重たいものを持ち上げたり、疲れて腰を下ろす際などに、「どっこいしょ」という言葉を発することがあります。この「どっこいしょ」は「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が訛った形だとする説が有名です。

この語源説の真偽は定かではありませんが、山登りなどで使われていた「ろっこんしょうじょう」の掛け声を聞いた人が、よく分からなかったために聞き間違えたのだとか、疲れて徐々に訛っていったのだという説には、妙な説得力があります。この「どっこいしょ」の語源として、他には「どこへ」が変化・なまったものという説も唱えられているようです。
不意にこの言葉を発すると「年寄り」扱いされかねない世の中ではありますが、言葉の由来や語源は大変興味深く、言葉の育まれてきた長い歴史を感じずにはいられません。
アニメからも「学び」はある
幼い時分には、アニメばかり見ていると馬鹿になるといった事を言われることもありましたが、大人になるとアニメや映画といった娯楽作品からも多くの学びを得ていることに気付きます。
アニメを作っている原作者の方たちは、本当に色々な事を学び、知識を作品に活かしていると感じます。作品中に登場する台詞だけでなく、描き出される料理や小物のような細部にまでこだわって作られている作品も少なくありません。自身で資料などを読み解くことなく、娯楽を楽しみながらそういった知識と触れ合うことが出来ることには感謝しかありません。
しかし、娯楽を「娯楽としてしか受け止めない」こともあるでしょう。人にもよりますし、娯楽を楽しむ状況にもよるでしょう。結局のところ、学びを得られるかどうかは、その人自身の向上心や興味関心といった「気持ち」が大事という事でしょう。関心のない人にいくら知識を教えようとしても難しく、関心のある人は教えられなくとも学びを得ていくものです。
どんなものからでも学びを得ようとする、貪欲なまでの知的探求心と、自身の知識に驕らない謙虚さを、常日頃から忘れないようにしたいものです。
コメント