江戸時代には様々な学問や思想が登場します。事件や出来事について学ぶ際、行動を起こした人たちが学んだ学問や思想を知ると、その出来事や人物についての理解が深まります。また、江戸時代の学問や思想は、現代の私たちの「常識」や「価値観」にも大きな影響を与えています。
江戸時代の学問・思想とは(総論)
江戸時代は、武家社会を支える朱子学だけでなく、国学・蘭学・陽明学・水戸学など、多様な学問が並び立った時代でした。
これらの学問は、政治や社会制度、教育、文化、さらには幕末の尊王攘夷思想に至るまで、幅広い領域に影響を与えています。
この特集では、江戸の学問を「時代の変化」と「学問の系統」という二つの視点から整理し、思想がどのように広がり、相互に影響し合ったのかを分かりやすくまとめます。
時代で見る江戸の学問と思想
江戸時代の学問や思想は、時代ごとにその役割や広がりが大きく変化していきました。
朱子学が社会秩序の基盤となった前期、多様な学問が成熟した中期、そして思想が政治や社会運動と結びつく後期。
ここでは、江戸の学問を「時代の流れ」に沿って整理し、それぞれの時代がどのような思想を生み、どのように次の時代へつながっていったのかを見ていきます。
江戸前期(1600〜1700) ― 学問の萌芽
江戸前期は、幕府の統治体制と社会秩序を支えるための「学問の土台」が整えられた時代です。
朱子学が武家社会の規範として位置付き、水戸学の萌芽もこの時期に生まれました。
思想そのものの広がりよりも、後の江戸社会の基盤が形作られていった時代といえます。
江戸中期(1700〜1800) ― 学問の成熟
江戸中期は、多様な学問が成熟し、新しい価値観が次々と生まれた時代です。
国学は本居宣長らによって体系化され、蘭学が西洋科学の窓口として広がり、陽明学も静かに受け入れられ始めます。
この時期の思想の積み重ねが、後の幕末の動きにつながる重要な背景となりました。
江戸後期〜幕末(1800〜1868) ― 学問から政治思想へ
江戸後期から幕末にかけて、学問は「社会を動かす思想」へと変化していきます。
陽明学は行動の哲学として広まり、水戸学や国学は尊王攘夷思想と結びつき、政治や社会運動に強い影響を与えました。
学問が現実の変革と密接に関わるようになった、激動の時代です。
学問・思想の系統で理解する
江戸時代には、朱子学・国学・蘭学・陽明学・水戸学など、多様な学問が並び立っていました。
それぞれが異なる背景や目的を持ちながら、時に対立し、時に影響し合い、江戸社会の思想を形づくっていきます。
ここでは、学問そのものの系統に注目し、それぞれがどのような特徴を持ち、どのようにつながっていくのかを整理します。
江戸幕府の官学「朱子学」と水戸藩の「水戸学」
江戸時代の学問といえば、まずは「朱子学」です。
幕府は統治を安定させるため、朱子学を武士階級の正統な学問と位置づけ、昌平坂学問所などで広めました。朱子学の倫理や価値観は、武士教育や藩校を通じて社会全体に浸透していきます。
朱子学の価値観は、現代の私たちにも大きな影響を与えています。
また、水戸藩では『大日本史』の編纂がはじまります。
水戸学は朱子学を基盤とした学問ですが、やがて国学や陽明学の要素も吸収します。
しかし1700年代に入ると、社会の変化や幕府の権威低下もあって、朱子学以外の学問も広がり始めました。陽明学や国学、蘭学、心学など、多彩な思想が花開きます。
1790年に幕府は「寛政異学の禁」で朱子学以外を禁止しますが、勢いを止められませんでした。
外来思想を批判した本居宣長の「国学」
国学とは、日本の言葉・神話・古典を手がかりに、日本人の心や文化の源を探究した学問です。
本居宣長が古事記を解読して注釈をつけた「古事記伝」は、日本の庶民(国民)に創世神話や天皇陛下という存在を伝え、水戸学や幕末志士達の精神的な基盤になっていきます。
本居宣長は、仏教や儒教といった外来思想を「からごころ」として批判し、日本の古来から伝わる「やまとごころ」を大切にするべきと説きました。また、宣長は和歌の研究などを通じて、日本人の情緒「もののあはれ」を提唱します。
大塩平八郎や幕末志士を動かした行動主義の「陽明学」
陽明学は儒学の一派ですが、その特徴は「行動主義」にあります。
中心思想のひとつに「知行合一(ちこうごういつ)」があり、正しいと知ったことは、結果が不利でも実際に行わなければ本物の知ではないと説きました。
この考え方は、ときに人々を「死をも恐れず正義を貫く行動」へと駆り立て、歴史に大きな事件を引き起こす原動力となりました。
代表的な事件には、「大塩平八郎の乱」や「桜田門外の変」などがあります。
近代化の先駆けとなった西洋科学「蘭学」
江戸時代の日本はオランダとだけ交易していたことが知られています。
オランダとの交易を通じて日本に伝わった西洋科学である「蘭学」は、しばしば医学や解剖学のイメージで語られがちです。しかし本来の蘭学は、自然科学・天文学・測量・化学・兵学などを含む総合的な西洋科学でした。
思想どうしのつながり(相関図・フローチャート)
江戸時代には、朱子学・国学・陽明学・水戸学といった学問が展開しました。
その思想の積み重ねが、幕末に尊王攘夷というスローガンに結びつきます。
単純化すれば、朱子学から水戸学への流れが本筋となり、国学が精神的基盤を与え、陽明学が行動を促した、と整理できます。
日本という国家を揺るがすようになる「尊王攘夷」思想は、学問・思想の流れを簡単に図示すると、以下のような流れで形成されて行きます。

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