私はテレビを持っていないのですが、それでも毎日のように世界中のありとあらゆるニュースを入手することが出来ており、本当に便利な世の中になったものだと感じます。また、入手した情報に関連した情報や歴史、地図など、パソコンやスマートフォンで何でも調べられてしまいます。
そんな現代の環境で生きている私の眼には、毎日のように「日本の政治」の動きが飛び込んできます。国民の声と政治家の声が、大きなうねりの様にも感じられます。今回は、そんな政治に関する大きなうねりの根本には、「日本人の価値観の変化」が関係しているのではないかという個人的な考えをまとめていってみます。
進む昭和の政治体制の崩壊
執筆時点は令和7年(2025年)です。日本の政治が大きな変革の時を迎えようとしています。一瞬目を疑いたくなるようなニュースが、以下の記事(Yahooニュース)に掲載されました。記事によると、一部年齢層において、自民党の支持率3位まで転落しているとのことです。
出典 : 30代の支持率、自民が3番手に転落 国民民主、れいわの後塵拝す 産経・FNN合同世論調査
昨年(2024年)の衆議院総選挙にて、自民党公明党の連立政権は大敗して大幅に議席を減らして過半数を割れてしまい、とうとう1955年自民党結党以来以降初めての「少数与党」となりました。自民党結党以降6人ほど自民党外の内閣総理大臣がいますが、自民党でもそれ以外でも、与党が過半数を取ることで政権を運営するのが政治の常識でした。しかし、その常識が覆されたことは多くの国民に大きな衝撃を与え、政治への関心が高くなっているのを感じます。
自民党を批判する声からは、根回しをし、お金や利権などを駆使して構築され人脈により、組織的に政治を回していた昭和の政治体制から脱却し、議論をしながら本当の意味で是々非々の政治が行われることを望んでいることが伺えます。特に、日本経済や日本の円相場が安くなっていることを背景にした物価高は国民生活を困窮させており、そんな状況下で政治とカネに関する不信感が我慢の限界を超えてしまっているようです。
2024年の衆院選で4倍に議席を増やした国民民主党は税制の改革を推し進めることで国民の手取り(可処分所得)を増やそうと政府と協議を続けていましたが、2025年の2月に維新が自公政権と結んで予算案に賛成することが報道され、全て水の泡になってしまう形になる見込みです。今や自民・公明と並んで、日本維新の会も「国民の敵」と、一部のSNSで批判の対象となっているようです。

国民生活を考えず、税収を上げる事ばかりに専念する政府と財務省に対する批判の声は日に日に大きくなっていき、2025年2月現在で財務省解体を求める1000人を超える規模のデモが行われたりもしています。
このままいくと、2025年の夏に予定されている参議院選挙では、2024年の衆議院総選挙を超える大きな動きがあるかもしれません。
国民の幸福度
減税をしろとか、日本の治安を回復すべきなど、今の政治に対する様々な批判の声が聞こえてきますが、それら国民の声は、究極的に考えると「個人の幸福を追求する声」に他なりません。日本の幸福度は、2024年の段階で143か国中51位で、G7の中では最低となっています。

出典 : 日本の幸福度、51位に下落 若年層低く、国連団体調査
客観的に観察すると、政府与党などが主張する「良い国」と、国民の求める「良い国」には大きな乖離があるように感じます。私の個人的な視点には、政府与党(自民・公明)などの主張する「良い国」というのは、直接的には「経済的に強い国」、間接的には「税収の多い国」というイメージに見えています。もちろん外交や国防など広い分野において良い国を目指していることは大前提ですが、最も大事にしている点が税収額だと感じられるという話です。
しかし、国民が求める「良い国」は、国の経済や税収などではなく、各個人の「生活が幸福」であることでしょう。生活に困らないお金があって、治安がよく、適度な娯楽を楽しみながら平和に過ごすことが出来る、そんな当たり前の日々こそが、今の国民に必要なのではないでしょうか。
政治というのは本来両者のバランスを考えて行われるべきもので、国民の希望ばかりを聞いていてはダメな国になるというのが一般論として知られていて、そういう政治の事はポピュリズムと呼ばれます。国民民主党の躍進について、海外では「ポピュリズム政党が勢力を伸ばした」と報道されていたことは記憶に新しいです。
現状は、国民が必要であると納得する限度を超えて、税金を無駄遣いしていると判断している人が多くなり、政局にまで影響し始めていると考えられます。
テレビしかなかった時代であれば、国民が得られる情報は少なく、都合の良い報道で民意を誘導することも容易かったものが、インターネットやSNSなどによって国民の得る情報量は増え、政府に都合の悪い情報までもが簡単に出回る時代となりました。この事も国民の意思決定に大きな影響を与えつつあるようです。情報の多い現代において厳しくなった国民の監視の前では、政府の不祥事等を煙に巻くのは至難の業でしょう。
またこの政治不信の陰には、昭和世代の考える「幸福」と、若い世代の考える「幸福」に違いがある事も一つの要因ではないかと考えられます。
「お金持ちが幸福」は古い価値観
昭和世代の日本人は、働いて金を稼ぎ、車や家を買うことで幸福を感じていた世代です。お金持ちはそれだけでステータスでもあり、承認欲求も多いに満たされたことでしょう。現在の政治を引っ張っているのは、そういった世代の人たちです。つまり、「競争して勝つことでお金持ちになることが、日本人共通の幸福である」という価値観が、日本の政治の根底にあると考えられます。
しかし、令和の日本人の価値観は昭和からは大きく変化しているように感じます。車や家を買うのは本当に好きな人だけがすることで、出世してお金を稼ぐよりも、家に帰ってゆっくり過ごしたいと考えるような人たちが多くなっていると、様々な統計などから感じ取れます。一つだけ若い世代の変化に関する記事を紹介します。
出典 : 20代の7割以上が昇進を望んでいない!?15年前は6割以上が出世志向だったのになぜ?
この記事は、20代の若い世代が昇進を望まなくなっている現状を伝えています。出世して大金を稼ぐことに魅力を感じず、生活に必要なお金さえあればよいと考え、ストレスを感じながら重責を負うよりも、平穏な日々を過ごしたいというのが、令和の20代の考え方になりつつあるようです。当たり前の話ではありますが、自分の人生は、「誰のための人生でもない、自分の人生」なのです。
この日本人の変化は、昭和の戦後復旧の「日本人全員が国の再興のために頑張る」という意識から、「頑張るかどうかは人それぞれ」という本来の資本主義思想へと回帰しているとも感じます。お金を稼ぎたい人は稼げばよいのです。
お金も出世もいらない新世代
昭和世代の価値観としては、他人よりもお金を稼いで良い生活をすることで、満足感や優越感を感じ、それらを「幸福」と考えるのが一般的だったように思います。もちろん似た様な価値観を持っている人は、今も世界中にいる事でしょう。どのようなものでも、人よりも優れていることは気持ちがいいものです。
しかし、現代の価値観は既に変わりつつあり、お金も出世も必要ないというのです。その考え方からは、「個人の絶対的な価値観」を感じずにはいられません。
昭和の価値観は「人と比較しての幸せ」であり、現代の価値観は「自分個人の幸せ」と言えるのではないでしょうか。
相対的な幸せと絶対的な幸せ
「人と違っていても、自分が良ければいいじゃない」と考えることは、昭和以前の日本人の感覚としては理解が難しいかもしれません。先輩や上司に従って、彼らの背中を追って自分も成長し、同じように出世してお金を稼ぐようになっていく。その結果として自分も裕福になっていくのが幸福だと信じて生きてきたからです。もちろん日本人として、「他人には迷惑をかけないのは大前提」なのは変わりません。人と違うことをするというのは、人が嫌がることをすることとはイコールではないのです。
この考え方を理解する簡単な方法は、「独りになっても幸せかどうか」を考えることでしょう。
お金持ちになって、高級車に乗って、豪邸に住んでいることを、誰にも知られず一人で楽しんでいて、それでいて幸福を感じられるでしょうか。他人に優越感を感じないことで幸福感が失われるのであれば、その幸福は本当の幸福ではなく「幻」と言えるでしょう。
他人と比較することで幸福を感じる「相対的な幸せ」ではなく、自分一人で幸福を感じる方法を見つけ、それを大事にしようとする「絶対的な幸せ」こそが、現代の若者たちの価値観であり、彼らが求めているものなのではないでしょうか。
国の競争力と個人の幸福度
今の日本の政治で批判の中心にある「財務省」は、日本全体のお金を取り扱って、国民の生活や将来の日本の成長など総合的な判断の基、予算を編成するなどの仕事を行う省庁です。政府としても、日本の将来や諸外国との連携のことなどを考えながら、予算案を組み立てています。
その根底には、各国との経済的な競争があり、国の収入(税収)を上げることで「国が幸福」になるという価値観があると感じられます。これは、お金持ちになって「個人が幸福」になると考えていた昭和の価値観が感じられます。
しかし、時代と共に国民の価値観は変化します。国民の考える「幸福」と政府の考える「幸福」が異なっていれば、その政府は求心力を失うことになるでしょう。令和時代の今まさに、そういった新しい価値観が国民の怒りとなり、日本の政治を変えようとしているのではないでしょうか。
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