現在報道されている様々なニュースに関する記事です。ニュースに関連した様々な情報をまとめたり、個人的な見解を述べている場合もあります。私自身はテレビを全く見ない(処分して持っていない状況の)ため、取り上げるニュース・報道は主にネットメディアになります。取り扱うニュースは個人的に興味を持ったものに限りますが、歴史や物事の由来を知るのが好きなので、政治や宗教や世界情勢など幅広い分野について興味があり、ニュースもよく見ます。人のためになる記事を作成する場合もありますが、こういった意見があるという意味で記事を執筆している場合もあります。

村山内閣とWindows95の登場 – 激動の年となった1995年
物事を考える際には、一歩引いた複数の視点から分析してみることが役に立つことがあります。今回は、政治とITという異なる分野を中心に、歴史の転換点ともいえる程に激動の一年だった1995年について振り返りながら、多角的な視野の重要性について考えてみます。

井伊直弼 – 誤解された政治批判の末に暗殺された政治家
現代と似た状況ともいえる幕末の時期に、外交交渉の最前線にいた井伊直弼は、批判する人たちの手によって暗殺されました。井伊直弼の事件は、政治的に国民の誤解を解くことができない状況下で起きた悲劇という側面があり、この事件から「政治批判に求められる冷静さ」を改めて考えてみます。

不平等条約と外国人不起訴問題の共通点 – 犯罪を裁けない日本
もはや「日本は安全」というのは過去となりつつあり、日本の世界的な評価が低下していっている現状を憂いている日本国民は多いようです。今回は、国会でも話題にあがった「外国人の不起訴」に関する問題と、幕末期の「不平等条約」の共通点についてまとめてみます。

外国人観光客のトラブルが軍事革命の引き金 – 「生麦事件」と現代の比較
およそ150年前には外国人のトラブルが発端となり、軍事衝突、そして軍事革命へと繋がった事件「生麦事件」が起きています。「政府が暴力によって倒される」という国の一大事が起きた歴史について、現代の外国人トラブルと政府の対応と比較しながら今一度考えてみます。

Last Epoch(S2) vs PoE2(0.2.0) – 2025年4月 リリース日の争いと大炎上
今回は、Last EpochのSeason2とPath of Exile2の0.2.0について、2025年4月のリリース日程に関する一連の騒動と、PoE2(0.2.0)の大炎上をまとめています。合わせて、双方のアップデートに見られる方針の違いについても比較しながら、ソフトウェアの品質や制作体制についても触れています。

「お金を差し上げる」文化 – 腐敗した日本政治の悪しき慣習
しかし近年では、この手土産として金銭や価値のあるものを贈ることで相手に利益を提供し、その見返りを期待するという行為が、ニュースなどで頻繁に報道されるようになりました。今回は、一般的な日本人にとっては考えにくい「お金を差し上げる」という慣習が蔓延っている日本の政治についてまとめながら、法令と倫理についてや、私たち有権者に必要な事を改めて考えてみます。

韓国語とハングルの関係と歴史 – 密接に関わる日本と中国
私たち日本人で韓国語が話せる人は多くありませんし、ハングルを読み書きできる人はもっと少ないでしょう。韓国のアイドルや選手に興味を持って、韓国語の勉強を始めようと考えている人もいるかもしれません。韓国語やハングル文字の歴史には、中国や私たち日本も関わっていて、とても興味深いです。今回は、それに加えて現代の日本語や韓国語の状況、そして少し政治的な状況にも触れていってみます。

支持率が低下する自民党と幸福度が低い日本の国民 – 変化する価値観
令和時代の日本では政治のニュースが絶えません。SNSでは連日のように政治に関する話題がトレンドになっているような状況です。自民党支持率は低下し続け、国民の幸福度は下がり続けています。そんな政治に関する大きなうねりの根本には、「日本人の価値観の変化」が関係しているとも考えられます。

繰り返されるオールドメディアの終焉 – 50年前のヒット曲 video killed the radio star
テレビで育ってきた世代にとっては信じられないような時代の移り変わりかもしれませんが、実は古くなったメディアが終焉を迎える歴史は繰り返されているのです。今回は、令和の現代から、現在の後期高齢者が社会で活躍していたころまで時代を遡りながら、メディアの変遷と情報社会について見つめ直してみます。

一年の計は元旦にあり – 儒教と道教に揺れる人生計画
新年には、今年の目標を立てたり、抱負を述べたりするものです。私も一人で活動しているとはいえ、何か2025年の方針というか方向性を整理しておきたいという気持ちになり、一年の最初の記事は、「論語」を題材にしたものにしてみます。儒教と道教の間で揺れ惑いながら、これからの人生設計について考えます。