💡この記事は、「江戸時代の学問・思想特集」の一部です。
江戸時代の人々は、上下関係や礼儀を非常に強く意識して生活していました。
武士から庶民まで、年齢や立場に応じた慎みが求められ、家を守ることが人生の中心にありました。この価値観は自然発生的なものではなく、背景には朱子学という思想があります。江戸社会の姿を理解するためには、この朱子学の存在が欠かせません。
朱子学という「秩序の学問」
江戸社会の価値観を裏側から支えていたのが朱子学(しゅしがく)です。
朱子学は、中国の宋代に成立した儒学の一派で、世界を“理”という原理によって説明し、秩序を重視する思想です。
この秩序観が江戸社会に非常によく適合したため、幕府によって制度として取り入れられていきました。
「理」と「名分」:朱子学の世界観
朱子学の核となる考え方は「理」と「名分」です。
理(り)とは、宇宙のあらゆるものを貫く秩序の原理を指します。
そして名分(めいぶん)とは、立場や役割は理によって定められているという考えです。
- 名=立場(肩書・身分)
- 分=役割(果たすべき務め)
上下関係は理に支えられた“自然の秩序”とされ、そこに従うことが善であり正義とされました。
これが江戸社会に上下関係が強く浸透した背景です。
朱子学における名分は、単なる役割分担ではなく、その立場に応じた「正しい生き方」まで含んでいました。「主君は主君らしく、家臣は家臣らしく」という言葉が示すように、立場から外れた行動をすることは社会の秩序を乱す行為とみなされました。
家督を中心とした家の構造も、この名分意識と深く結びついており、家を守ることは個人の責務を超えた“理に適った行為”と考えられていたのです。
妻は夫の仕事に口を出さず、夫は台所に立たない、
といった感覚も、「名に応じて分を尽くす」という考え方が、日常生活に落とし込まれた一例と見ることができるでしょう。
もちろん、こうした価値観は朱子学だけで生まれたものではありませんが、名分論はそれを「正しい秩序」として説明する理屈を与えた思想だったと言えます。
女性規範と儒教的家族観
女性についても、儒教的な家族観が江戸時代に強く作用しました。
三従の教えそのものは古い儒教に由来しますが、朱子学が家父長制を強固にし、女性を“家の秩序を支える存在”として位置づけました。武家社会との相性の良さもあり、江戸後期には女子教訓書が広がり、女性観が社会全体に一般化します。
家父長制については、以下の記事で詳しく解説しています。
💡関連記事:家父長制は悪だったのか – 制度の歴史と現代の苦悩
忠孝一致:江戸道徳の中心思想
朱子学では、親への孝と主君への忠は同じ根から生まれる徳とされました。
これが忠孝一致です。
この思想は、武士だけでなく庶民の生活にも浸透していました。
この考え方によって、家を守ることと国を守ることが重なり、個人の行動は家や社会全体と一体化します。武士の忠義観も、この思想に基づいて強化されていきました。
家長を中心とする家制度では、家を守ること、家名を汚さないことが最重要の価値となります。
家を継ぐことは個人の希望ではなく“家の理”に従う行為とされ、家族全員がその秩序の中で役割を果たしていました。
「礼」が支える日常行動
朱子学において「礼」は、単なる作法ではなく秩序を可視化するための手段です。
礼儀作法が細かく定められていたのは、社会の上下・内外を区別し、理に基づく秩序を外形化するためでした。
行動のひとつひとつに意味があり、それが江戸の人々の生活に深く刻み込まれていました。
格物致知:日本の学問にも影響を与えた探究の精神
朱子学では、世界の物事を徹底的に調べ(格物)、その背後にある“理”を理解すること(致知)が学問の根本とされました。
格物致知(かくぶつちち)=物の理(ことわり)を格(ただ)し、知を致(きわ)める
この「本質を探る」姿勢は、日本の儒者たちにも強い影響を与え、江戸時代の多くの思想形成の背景に流れています。
たとえば、垂加神道(山崎闇斎)は、日本の歴史や神話に朱子学の理を求め、
“忠=天皇への絶対の敬い”という思想を導きました。
また水戸学では、『大日本史』の大規模な編纂を通して、
歴史の背後にある「国家の理」を探り、天皇中心の歴史観を確立しました。
このように、格物致知の「徹底的に調べ、本質を明らかにする」姿勢は、近世日本の学問形成に深く影響を与えています。
朱子学と陽明学における格物致知の解釈の違いや、朱子学が尊王思想に至った背景については、以下の記事で解説していますので、関心のある方は是非ご覧ください。
朱子学は“行動哲学”ではなく“秩序哲学”
朱子学は、陽明学のように“行動”を中心とする思想ではありません。
心を整え、理に従う姿勢を重んじるため、社会の安定や均衡を重視する方向に働きます。幕府が朱子学を好んだのは、この“乱を避け、秩序を保つ”性質が治世に適していたためです。
幕府が朱子学を“国家思想”にした理由
朱子学が江戸社会全体に浸透したのは、幕府が意図的にこれを制度として採用したからです。
学問としての理解よりも、政治思想としての利用が大きな役割を果たしました。
林家の儒官化と朱子学の公式採用
江戸初期、徳川家康は朱子学者の林羅山を登用しました。
羅山とその子孫は幕府の儒官として、思想面の管理や教育を担い、朱子学を“公式の学問”として定着させます。
政策の理念や外交文書にまで朱子学の用語が用いられるようになりました。
湯島聖堂と昌平坂学問所
朱子学を体系的に教えるための教育機関として、湯島聖堂が整備され、後に昌平坂学問所として発展しました。
ここでは四書五経を朱子学の解釈で学ぶことが標準となり、全国の藩校にも影響を与えました。
四書五経とは、儒教の主要な古典をまとめた総称で、江戸時代の朱子学教育の基本テキストでした。
「四書」は論語・孟子・大学・中庸の4つの書物で、人物の徳や政治の道を説く中心文献。
「五経」は易経・書経・詩経・礼記・春秋の5つで、古代の制度・礼儀・詩歌など儒教文化の基盤を成す古典です。
朱子学は士大名の必修科目となり、出世や評価にも結びつく“官学”として位置づけられます。
陽明学・その他の思想を“排除”する政治
朱子学と対照的な陽明学は、行動重視のため反体制的な思想とみなされ、幕府は警戒しました。
他の思想も公的教育からは距離を置かれ、朱子学一強体制が続きます。幕府にとって重要だったのは、社会を安定させるための思想的な統一でした。
陽明学について詳しく知りたい方は、是非以下の記事もご覧ください。
💡関連記事:「知って行わざるは真の知にあらず」 ― 陽明学が大塩平八郎を動かした理由
寺子屋・庶民教育への浸透
朱子学の難しい部分は寺子屋教育の中で簡略化され、日常的な道徳規範として広まりました。
倹約、慎み、礼節といった価値観が庶民の常識となり、江戸社会の空気を形づくりました。
朱子学がつくった江戸社会の心理風景
朱子学は制度だけでなく、人々の心のあり方にも影響しました。
江戸時代の“世間の目”の強さや慎ましさの美徳は、朱子学の秩序観と深く関係しています。
「世間」が強くなる理由
秩序を重んじる社会では、評価は個人の内面ではなく外側にあります。
理に反した行動は“世間に顔向けできない”という感覚を生み、村落や町内の自律的な秩序を強めました。
相互監視が働きやすく、秩序の維持に大きく貢献します。
「控えめ」文化の根源
出過ぎた行動や自己主張は、理に反するとみなされることがありました。
そのため、控えめに、慎み深く行動することが美徳とされるようになります。年長者を立てる態度も、年齢が理と結びつけられるためです。
「年功序列」と「慎み」の美徳
江戸社会では、年齢や経験に基づく年功序列が自然なこととされました。
これは単なる慣習ではなく、年長者を敬い、慎んで行動することが“理にかなう”と考えられていたためです。若者が控えめに振る舞い、礼儀作法が細かく定められたのもこうした価値観の延長線上にあります。
現代日本の企業文化や学校文化にも残る「年長者を立てる」感覚は、この時代の価値観にルーツがあると言えるでしょう。
「努力」や「学問」が“道徳化”する理由
朱子学では、日々の努力や学びを続けることが“心を正しく保つ方法”とされました。そのため、仕事に励むことや倹約して暮らすことは、単なる生活態度ではなく「正しい行い」と考えられました。
こうした価値観は江戸時代の人々に深く浸透し、勤勉さや真面目さは社会の中で高く評価されるようになります。
この流れは明治の近代化や戦後の高度成長期にも受け継がれ、日本人が「よく働く民族」と言われる背景のひとつにもなっています。
明治以降にも受け継がれた江戸社会の“価値観”
江戸時代に形成された朱子学的価値観は、明治以降の近代化の中でもすぐには消えませんでした。むしろ、家制度の構築や教育理念の基礎として再編されていきます。
近代の家制度と朱子学的名残
明治の戸主制度や家長権は、江戸の家制度を踏襲したもので、朱子学的な家族観がその背景にあります。
家の継続を重んじ、家長の責任と権限を強化する仕組みは、江戸の価値観の延長線上にあります。教育勅語に見られる忠孝の思想も、その典型例です。
家父長制の歴史的背景については、以下の記事で詳しく解説しています。
💡関連記事:家父長制は悪だったのか – 制度の歴史と現代の苦悩
現代日本に残る“江戸の影”
年功序列や縦社会、礼儀正しさや“空気を読む”文化は、江戸時代の名残と言われることがあります。日本の学校や職場で当たり前のように使われる「先輩」「後輩」という序列感も、江戸時代の価値観と無関係ではありません。
年長者を立て、年少者が控えめにふるまうという感覚は、朱子学が重視した“長幼の序”と相性がよく、江戸社会の中で強く定着しました。
儒教の知識が忘れられつつある現代においても、この秩序観だけは文化として今も残っています。
英語圏には「先輩」「後輩」にあたる明確な言葉がないため、現代では Senpai や Kohai といった日本語そのままで使われることも多くなっています。
文化ごと輸出されるのは珍しく、”Kawaii” が国際語として広がったのと似た現象です。
“かわいい”の言葉の変遷については以下の記事で詳しくまとめています。
価値観として受け継がれる朱子学
現代の日本人に朱子学の知識があるわけではありません。
しかし、江戸時代に社会の隅々まで浸透した秩序観は、その後も文化として受け継がれています。思想そのものは忘れられても、価値観というかたちで残り続けているのです。
私たちに繋がっている歴史
江戸時代の朱子学は、幕府の政治的な目的から採用された面もありましたが、その教えは社会の秩序維持に大きく影響し、長い平和の時代を支える基盤にもなりました。
現代では、日本人とは異なる価値観をもつ外国や他宗教の人々との文化摩擦が、より身近な問題になりつつあります。
私たちが持つ「常識」は、古来の和を尊ぶ心、中世の武士道、そして近世の朱子学など、複数の価値観が重なり合って形成されたもので、他国の文化圏とは必ずしも一致しません。
とくに江戸時代以降の学問・思想は、現代日本人の価値観に大きな影響を与えています。
「江戸時代の学問・思想」について関心のある方は、ぜひ以下の特集記事もご覧ください。

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