【年表】江戸幕府によるキリスト教弾圧の背景と影響

家光が実権を握ると、日本のキリスト教弾圧は制度として整えられていきます。
その過程で重税信仰弾圧が重なり、島原の乱という大規模な反乱が発生しました。
この反乱は幕府の危機意識を強め、結果として鎖国体制の徹底へとつながっていきます。

本年表では、家光による制度化の時期から島原の乱後の鎖国体制の確立までを整理します。

年表:家光実権掌握から鎖国体制まで

凡例:
赤色背景 ー 「外交・鎖国」関連
黄色背景 ー 「国内制度」関連

出来事備考
1632年徳川家光が将軍として実権を掌握家光期の本格的統治が始まる。キリスト教禁制の方針が強化されていく。
1633年伴天連(バテレン)禁止令を再確認外国人宣教師の来航・滞在を厳禁。以後、全国に厳格な取締を指示。
1633年第一回渡航禁止令日本人の海外渡航・帰国を禁じ、キリシタン渡航を封じる。
1634年江戸城大修築(天守・西の丸など)幕府権威の象徴的事業。中央集権化が進む。
1635年第二回渡航禁止令(鎖国の基礎)朱印船貿易を停止。外国との往来を厳しく制限。
1635年宗門改の全国実施命令各地で宗門改帳の作成を命じ、キリシタン摘発を制度化。
1635年寺請制度の確立全国民がいずれかの寺院に属し、寺請証文を受ける仕組みが整う。
1636年長崎出島の築造開始外国人居留を制限するための人工島。キリスト教再流入防止の象徴。
1637年島原・天草一揆(島原の乱)勃発重税と弾圧への反発。キリシタンが信仰を掲げて蜂起。
1638年島原の乱鎮圧幕府軍12万人が出兵。約3万人の反乱勢力が殲滅。以後、弾圧が徹底化。
1639年ポルトガル人の来航禁止キリスト教布教再燃を恐れ、ポルトガル船の入港を全面禁止。
実質的な鎖国体制の確立へ。
1640年マカオ使節団事件通商再開を求めるポルトガル使節61名が到着。内57名が長崎で処刑
幕府の鎖国・禁教姿勢を世界に示す事件。
1641年オランダ商館を長崎・出島に移転外国との唯一の公式窓口をオランダに限定。
宗教布教を伴わない交易体制が完成。
1641年頃踏絵・宗門改の恒例化毎年の宗教調査として制度化。信仰監視が年中行事化する。
1640年代後半宗門人別帳の整備進む宗門改帳・寺請帳を統合し、人口・宗教・身分を記録する全国的台帳に発展。
1641年以降鎖国体制の完成キリシタン取締が完全に制度化。幕府による統治秩序が確立する。
家光実権掌握から鎖国体制まで

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江戸幕府が家光の時代に進めたキリスト教禁教政策。その制度化された弾圧の実態と目的を解説します。宗門改や寺請制度、踏絵などを通して、国家と信仰の関係を考えます。
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マカオ使節団事件については、「殉教の時代」の記事で触れています。