なぜ宣教師は布教をやめなかったのか ― 信念・国家・日本の禁教

なぜ宣教師は布教をやめなかったのか 歴史

江戸幕府が禁教を進める中で、宣教師たちは危険を承知で布教を続けました。
彼らは、なぜ禁じられた布教を続けたのでしょうか。

国家の制度、国際情勢、そして日本との価値観のすれ違い──。
本記事では、宣教師の行動を「善悪」ではなく、その背後にある構造から読み解きます。

時代背景の整理と本記事の目的

江戸時代の日本でキリスト教が禁止されていたことは広く知られていますが、宗教そのものが最初から排除されていたわけではありません。

今回扱うのは、禁教政策が始まった当時における「宣教師たち自身の行動と動機」です。

1612年、有馬事件の発生を受けて、江戸幕府はまず「直轄地での布教活動」を禁じました。
これは事件後のスペイン側の強硬な対応や、宣教師が現地政治に一定の影響力を持っていたことを踏まえ、日本の主権を守るための政治的判断でした。

しかし禁令後も、多くの宣教師が直轄地での布教を続けます。

その結果、幕府の警戒心はさらに強まり、1614年に全国規模の禁教令が発布されます。

禁教の後も宣教師たちの活動は止まらず、潜伏しながら布教を続けた者もいました。
その多くは幕府に捕縛され、見せしめの処刑が行われたこともあります。

命懸けの布教に対する疑問

現代の合理的な価値観で見れば、この行動には多くの疑問が湧きます。

  • なぜ宣教師たちは幕府を説得して許可を得ようとしなかったのか
  • 政治的影響を疑われるのであれば、個人の救済に留める布教に切替できなかったのか
  • 日本での布教に危険が伴うなら、いっそ撤退する選択肢はなかったのか

実際には、捕縛や処刑のリスクが高まっても、潜伏しながら命懸けで布教を続けた宣教師も多く存在しました。

彼らは何を思い、何を信じて行動していたのでしょうか。

また、日本側から“侵略の先兵”と非難されることも多い当時の宣教師たちは、本当に悪意を持って活動していたのでしょうか。

本記事では、宣教師たちの思想や裁量、置かれていた制度的背景を確認しつつ、より公平な視点を得ることを目的とします。

当時のキリスト教がめざしたもの ― 世界救済という価値観

宣教師たちの行動を理解するには、まず当時のキリスト教が持っていた世界観を知る必要があります。
彼らは単なる宗教者ではなく、「世界をより良い方向に導く使命を担った存在」であるという価値観のもとで動いていました。

世界を救うことは「普遍善」であるという信念

16〜17世紀のヨーロッパ世界では、キリスト教こそが唯一の真理であると広く信じられていました。

異教徒を救うことは、神に仕える最も尊い行いであり、布教は「善行中の善行」と位置付けられていました。

そのため宣教師にとって、

  • 布教は個人の判断で止められるものではない
  • 危険に直面することは“信仰の証”である
  • 異教徒を救うことは神から与えられた使命である

という確固たる信念がありました。

日本に滞在していた宣教師の多くは、日本人を救済したいという強い信念に基づき、危険に直面しながらも布教を続けました。彼らにとって布教をやめるという選択肢は、信仰の性質上、ほとんど考えられないものだったのです。

「政治」も「布教」も同じ方向を向いていた時代

当時のカトリック世界では、国王は“神の代理人”と考えられており、宗教と国家は対立するものではなく、互いを補い合う関係にありました。

布教が進めば国家の威信が高まり、国家が強ければ布教も守られる──
そうした価値観が一般的だったのです。

さらに、宣教師には今日的な意味での「個人の裁量」がほとんどありませんでした。

特にイエズス会では軍隊的な規律が重視され、上長の指示は絶対であり、布教地から離れることや、政治的支援を断つことを個人判断で行うことは許されませんでした。

宣教師は、ローマの教会、マカオやゴアの指導部、そして国家による布教保護の枠組み(パドロアド制度)の中で任務を負っていました。そのため、政治と距離を取るという現代的な発想は、制度的にも思想的にも成立しにくかったのです。

こうした背景があったため、宣教師たちは「政治と無関係に布教したい」と望んでいたとしても、
実際には国家との関係の外側に出る自由がありませんでした。

布教と征服が重なった背景 ― 国家と宗教の思惑の交差点

宣教師たちが政治的な支援を必要とした一方で、当時の国家は宗教を外交・通商・統治の道具として利用していました。
ここでは、布教と征服が“重なって見える”理由を整理します。

宗教の視点:救済のために政治的支援を求めた

宣教師にとって政治と協力することは、侵略ではなく「布教を成立させるための合理的な前提」でした。

  • 大名の保護があれば教会を建設できる
  • 治安が守られれば信徒を安心して集められる
  • 外国船の往来があれば宣教師も補給も確保できる

有力者との関係を作ることは、「救済のために必要な段取り」であり、
現代的な“内政干渉”のような意識はそこにはありませんでした。

一部には政治的影響力を望む宣教師もいましたが、
それは救済を広げるための合理的判断であり、征服の意図ではありません。

国家の視点:布教は統治・通商・勢力圏拡大の正当化装置

スペイン・ポルトガル王権には、布教を国家事業として支える「パドロアド制度」がありました。
そのため国家は布教を、外交・通商・支配の手段として積極的に利用しました。

  • 布教は現地統治を円滑にする
  • 改宗した住民は支配に協力的になる
  • 教会は行政機能を補助する

このように布教と征服が互いに利益をもたらした結果、
両者が“セット”で進む構造が生まれたのです。

宣教師は支配を望んだわけではありませんが、
国家の側から見れば「布教は支配を広げるための正当な手段」でもありました。

こうした構造の中で、宣教師の宗教的使命と国家の政治的利益が同じ方向に進んでしまい、
日本からは “救済と征服の区別がつかない” ように見える状況が生まれました。

日本で相容れなかった理由 ― 善意でも脅威になり得た

世界的には「布教と国家が並走する」のが当然とされた時代に、
なぜ日本ではキリスト教が受け入れられなかったのでしょうか。

ここでは、宣教師の「善意」がなぜ脅威」に見えたのかを日本側の視点から整理します。

日本の共同体秩序と権威構造に馴染まなかった

江戸初期の日本社会において重視されたのは、
村落共同体のまとまり、慣習の維持、領主への服従、公的命令への従順さでした。

しかしキリスト教信徒は、

  • 家族や共同体より信仰を優先する
  • 祭礼や神仏習合の慣習に参加しない場合がある
  • 世俗権力より神の命令を優先する

と考えられることが多く、
これは当時の社会秩序とは根本的に噛み合いませんでした

共同体の外側に“別の忠誠体系”が生まれること自体が、幕府にとっては治安と統治のリスクに映ったのです。

禁令に従わない行動は“統治不能”の象徴に見えた

1612年の直轄地禁教令の後、宣教師は布教をやめませんでした。
これは幕府にとって、

  • 外国とつながる集団が命令に従わない
  • 既存の権威構造の外側で行動する
  • 日本の法より教会の命令を優先している

と映り、“統治不安”の象徴となりました。

行動原理が善意であるかどうかではなく、
「従わないという事実」こそが問題だったのです。

国際情勢の影響 ― 布教の背後に国家が見えてしまう

東アジアの他地域では、布教と征服が連動した例が多くありました。
また日本国内でも、有馬事件やスペイン使節ビスカイノの強硬姿勢など、
宣教師と国家が不可分に見える出来事が続きました。

その結果、日本側には、

「宣教師の行動は善意でも、その背後には国家がいる」

という見方が定着します。

日本が警戒したのは、宣教師個人の悪意ではなく、彼らが属する“構造的リスク” でした。

江戸幕府初期の寛容から禁教への転換については、以下の記事で詳しく解説しています。
有馬事件やビスカイノの外交姿勢などについても触れていますので、興味のある方は是非ご覧ください。
💡関連記事:江戸幕府初期のキリスト教禁止の背景 ― 家康とプロテスタント

現代への示唆:それは本当に「正しい」のか

宣教師たちは、救済という強い使命感をもって行動していました。
幕府もまた、国家の安定を守るために合理的に判断していました。

両者はそれぞれの「正しさ」に基づいて行動していたのです。

しかし、両者の正しさは重ならず、むしろ対立を深めました。

強い信念は行動力を生むが、摩擦も生む

信念は人を突き動かし、時に社会を変える原動力にもなります。
しかしそれが強すぎると、他者の価値観を想像する余地が失われることがあります。

宣教師と幕府の衝突は、その典型例でした。

自分の正しさは、相手の正しさとは限らない

  • 善意同士でも衝突する
  • 価値観の違いが悲劇を生むことがある
  • 正しさはひとつではない

歴史が示すのは、こうした不変の事実です。

長い人類の歴史の中では、繰り返し正義と正義が衝突しています。

自分の正しさを疑う勇気

強い信念を持つことは大切ですが、それを絶対視した瞬間、すれ違いは避けられなくなります。

自らの正しさを疑う勇気、価値観の違いを想像する冷静さ──。
宣教師と日本の禁教史が残したものは、単なる宗教史の一幕ではありません。

合理主義社会ともいえる現代の日本においても、「自分は正しい」と信じて他者を批判しそうになることがあります。そんな時こそ、相手との違いを想像し、「本当にそうだろうか」と一度立ち止まる冷静さが必要なのではないでしょうか。


以下の特集では、日本のキリスト教禁教史をまとめています。
秀吉の時代から明治の禁教解除までを、歴史的な背景・実態を辿っています。

多文化共生や移民問題など、現代社会を考える際に役立つ視点を得られますので、関心のある方は是非ご覧ください。