💡この記事は、「【特集】英語から見る文化の違い ― 言葉に刻まれた価値観と世界観」の一部です。
ゲームや映画などのファンタジー作品では、Crusader(クルセイダー)やPaladin(パラディン)といった、「聖戦士」のような存在が頻繁に登場します。
いずれも鎧に身を包み、神や正義の名のもとに戦う姿が描かれることが多く、日本語ではまとめて「聖騎士」「聖戦士」と訳されることも少なくありません。しかし、英語圏ではこの二つの言葉は、異なる背景とイメージを持つものとして使い分けられています。
本記事では、CrusaderとPaladinという言葉の成り立ちと、その文化的な受け止められ方を整理しながら、なぜ日本人には違和感が生じやすいのかを考えていきます。
本記事は、クルセイダー文化を批判したり、特定の価値観に誘導することを目的としたものではありません。
CrusaderとPaladinという言葉
まずはファンタジー作品から少し距離を取り、英単語としてのCrusaderとPaladinが、本来どのような意味を持つ言葉なのかを確認します。
Crusader ― 十字軍に参加した兵士
Crusaderは、もともと「十字軍に参加した人」を指す言葉です。
語源はラテン語の「十字架(crux)」にあり、十字軍遠征という歴史的出来事に結びついた、きわめて具体的な用語です。
ここで重要なのは、Crusaderが「高潔な人物」や「理想的な騎士」を意味する言葉ではない、という点です。
十字軍には騎士や貴族だけでなく、傭兵や農民など、さまざまな立場の人々が参加していました。
信仰心から参加した者もいれば、土地や報酬、社会的立場の回復を目的とした者もいます。
つまりCrusaderとは、人格や道徳性を保証する称号ではなく、
「特定の歴史的遠征に参加した人」を示す中立的な呼称
だと言えます。
Paladin ― 史実をもとに作られた理想像
一方、Paladinは性質のまったく異なる言葉です。
Paladinは、中世ヨーロッパの叙事詩に登場する存在で、シャルルマーニュに仕えた「十二勇士」の物語に由来します。
ここで描かれるPaladinは、実在した役職や軍事階級というよりも、
忠誠心、高潔さ、自己犠牲といった徳目を体現する、理想化された騎士像
です。
現実の戦場での振る舞いや政治的判断とは切り離され、「こうあってほしい騎士」「正義を体現する存在」として物語化された存在だと言えるでしょう。
ファンタジー作品におけるCrusaderとPaladinのイメージ
現代のファンタジー作品では、CrusaderとPaladinは、史実とは異なる形で再解釈され、独自のイメージを持つようになります。
Crusader ― 歴史に理想を重ねた聖戦士
ファンタジー作品に登場するCrusaderは、見た目や名称こそ十字軍兵士を思わせますが、その中身は大きく変化しています。
彼らが戦う相手は、現実の宗教や民族ではなく、悪魔やモンスターといった架空の存在であることがほとんどです。

このときCrusaderは、現実の十字軍兵士という歴史的文脈から切り離され、
Paladin的な「正義の理想像」を重ね合わされた存在として描かれます。
言い換えれば、
外見や名称は歴史的Crusader、中身は理想化された聖戦士
という構造になっているケースが多いのです。
Paladin ― 純粋な理想像としての聖騎士
Paladinは、さらに一歩進んで、歴史的要素をほとんど背負わない存在として描かれます。
特定の戦争や民族対立と結びつくことはなく、正義や徳そのものを体現するキャラクターとして扱われます。
神や誓いといった要素も、宗教的対立を意味するものではなく、道徳的な規範や自己拘束の象徴として機能します。

英語圏では、Paladinは
誰かを排除するための存在ではなく、正しさを自らに課す存在
として受け止められていることが多いと言えるでしょう。
内向きのPaladinと外向きのCrusader
英語話者の感覚では、Crusader は Paladin より「攻撃的」に見えやすい傾向があります。
ここで重要なのは、「攻撃的に見える ≠ 排除を是とする」という点です。
Crusaderは、排除を正当化する悪役ではなく、「理想を内面化するよりも、行動として実行することを重視する正義の担い手」というニュアンスです。このどこか危ういイメージから、物語では失敗役・堕落役としても描かれることがあります。
両者の違いは善悪ではなく「正義の向き」の違いにあります。
| Paladinのイメージ | Crusaderのイメージ |
|---|---|
| ・自分が正しいかを常に問い続ける ・誓いを守れているかを自省する ・力を持つが、使わない選択も重視する | ・何かのために戦う ・使命を持って前に進む ・信じた正義を実行に移す |
こういったイメージから、「Paladinは内的倫理、Crusaderは外的使命」を象徴する存在として描かれやすい傾向があります。
十字軍の歴史とファンタジーの境界
ここで重要になるのが、「十字軍の歴史」と「ファンタジー作品の聖戦士」を、どのように切り分けて考えているかという点です。
十字軍の歴史認識
現代の英語圏やキリスト教文化圏においても、十字軍の歴史は概ね批判的に扱われています。
略奪や虐殺、宗教的正当化の危険性は、学校教育や研究の場でも繰り返し指摘されています。
ファンタジー作品でCrusaderが好意的に描かれているからといって、
十字軍そのものが肯定されているわけではありません。
ファンタジーとの境界意識
ファンタジーに登場するCrusaderやPaladinは、
現実の歴史を再現する存在ではなく、あくまで物語上の役割として再構成されたものです。
実在の宗教、民族、国家との対立構造は意図的に排除され、
「信念を持って悪と戦う戦士」という抽象的なロールとして描かれています。
この切り分けがあるからこそ、英語圏では比較的抵抗なく受け入れられているのです。
日本人が感じる違和感とその背景
一方、日本人にとっては、この感覚は直感的に理解しにくいものです。
ファンタジーとはいえ、侵略や戦争と結びつく存在を娯楽作品に登場させ、その存在を英雄的に扱う事に対して違和感を感じる日本人も少なくないでしょう。日本人には、侵略や戦争の記憶が、近代以降の歴史として比較的生々しく残っているため、これは自然な感覚といえるでしょう。
重要なのは、英語圏の人々が侵略を美化しているわけではない、という点です。
そこには、中世と近代という歴史的距離の違いが大きく影響しています。
英語圏の人たちにとっては、本来のCrusaderや十字軍の出来事ははるか昔の「歴史」なのです。
私たち日本人にとって、美化された戦国武将がファンタジー世界観で戦うゲームは許容できても、旧日本兵が美化されたゲームに対しては不謹慎だと感じる感覚が近いかもしれません。
1000年と100年では、歴史の「生々しさ」に大きな違いがあり、その距離感の差が、人々の受け取り方にも影響しているのかもしれません。
言葉に感じるイメージの違い
日本語では、CrusaderもPaladinも「聖戦士」とひとくくりにされがちです。
そのため、両者の違いが分かりにくく、どこか曖昧なイメージで受け止められることも少なくありません。
しかし英語圏では、
Crusaderは歴史を背負った言葉、
Paladinは理想を体現する言葉、
という違いが比較的はっきりと意識されています。
言葉の背景を知らなくても、十分に作品を楽しむことはできますが、その言葉の背景やイメージを知ると、作品をより深く味わうことができるのではないでしょうか。
正義を体現するPaladinと、使命を全うするCrusader――。
あなたの理想の聖戦士像はどちらでしたか。
以下の記事では、日本人では同じような意味と捉えられがちな「divineとsacred」について、その違いを解説しています。関心のある方は是非ご覧ください。


