💡この記事は、「江戸時代の学問・思想特集」の一部です。
攘夷思想は、外国を排斥しようとする単純な思想として語られることも少なくありません。
しかし実際には、その背景には尊王思想や各学問の積み重ねがあり、さらに陽明学のような「行動」を促す思想が重なり合うことで、はじめて現実の運動として現れていきました。
本記事では、尊王思想の成立を前提として、その先にどのようにして攘夷思想が形づくられていったのかを整理します。
思想がどのように行動へと変わるのか、その接続の構造を読み解いていきます。
攘夷思想とは何か
尊王思想のその先に現れる攘夷思想ですが、その意味や位置付けは単純ではありません。
まずは、その言葉の意味と性質を最低限整理しておきます。
攘夷という言葉の意味と由来
「攘夷」とは、「攘(はらう)」と「夷(えびす)」を組み合わせた言葉であり、もともとは中国古典に由来する表現です。ここでいう「夷」とは、単に外国人という意味ではなく、中華世界の外にある異民族を指す概念でした。
このような区分は、いわゆる華夷思想に基づくものであり、文化や秩序の中心と周縁を分ける考え方と結びついています。
華夷思想(かいしそう):
中国を文化の中心(中華)とし、その外側の人々を「夷狄(いてき)」として区別する世界観。
文化の内と外を分ける秩序観を示す考え方。
日本においても、この言葉は受容されましたが、その意味は単純な輸入ではありませんでした。
江戸後期の状況の中で、「攘夷」は外国勢力に対する警戒や排除を意味する言葉として再解釈されていきます。
攘夷思想の性質 ― 排外か、それとも危機対応か
江戸後期、日本は外国勢力の接近という現実的な危機に直面していました。
黒船来航に象徴されるように、それまでの秩序が揺らぐ状況の中で、どのように国を守るのかが問われていたのです。
その中で生まれた攘夷は、理念としての排外というよりも、
当時の状況の中で
「どのように対応するべきか」という問いへの一つの応答
として現れた側面を持っています。
攘夷と攘夷思想の違い
「攘夷」という言葉は、必ずしも一つの意味だけで使われているわけではありません。
江戸後期には、幕府自身も外国船の打払いや排除を試みており、
これもまた「攘夷」と呼ばれることがあります。
しかし、このような対応は、あくまで政治的・実務的な判断として行われたものです。
一方で、本記事で扱う「攘夷思想」は、そうした個別の政策とは異なり、
国家の在り方や正しさに基づいて、外国勢力を排除すべきだとする考え方を指します。
- 攘夷(行為)― 外国勢力を排除しようとする具体的な対応
- 攘夷思想(理念)― その行為を正当化する価値観や考え方
このような思想としての攘夷は、尊王思想と強く結びつくことで形成されていきました。
攘夷思想を支えた正当性の系統
攘夷は突発的に生まれたものではなく、それを支える思想的な土台が存在していました。
ここでは、その正当性の根拠となった学問や思想を整理します。
水戸学 ― 歴史的正統性からの正当化(攘夷の根拠)
水戸学は、『大日本史』の編纂を通じて、日本の歴史を体系的に整理し、皇統の正統性を強く意識した学問です。
この中で形成された国体論は、日本という国家の在り方を「万世一系の天皇を中心とするもの」として捉えました。
これにより、尊王思想は単なる観念ではなく、歴史的な正統性を伴ったものとして理解されるようになります。
攘夷思想にとって、この歴史的正統性は重要な支えとなりました。
国家の正しい在り方を守るためには、外部からの脅威を排除すべきである、という論理が成立するからです。
💡関連記事:水戸学と国体論 ― 何が欠けたら日本でなくなるか
国学 ― 神聖性からの正当化(攘夷の確信)
国学は、日本の古典や神話を重視し、中国的な価値観から離れて日本独自の精神を見出そうとした学問です。
その中で、
日本は神々の国であり、特別な存在である
という認識が強調されました。
このような神聖性の認識は、国家の在り方に対する強い確信を生み出します。
攘夷思想は、国学によって直接導かれたものではありませんが、
日本という存在に対するこのような確信が、その前提として機能していたと考えられます。
💡関連記事:江戸後期の国学 ― なぜ学問から「神の国」の思想が生まれたのか
補足:復古神道との関係
国学の流れの中で生まれた復古神道は、神道を純粋な形に戻そうとする動きでした。
この思想は、日本の神聖性をより強く打ち出す方向へと進み、尊王思想とも結びついていきます。
💡関連記事:復古神道と国学 ― 神道の純化をめざした江戸後期の思想
尊王思想は、異なる領域の学問的探究が、結果として同じ地点に辿り着いた現象でした。
💡関連記事:尊王思想とは何だったのか ― 江戸後期思想史から見た成立と輪郭
陽明学というもう一つの軸
ここまで見てきた思想は、「何が正しいのか」という基準を示すものでした。
しかし、それだけでは現実の行動には結びつきません。
その接続点として重要になるのが、陽明学です。
陽明学の基本思想(概略)
陽明学は、知行合一(ちこうごういつ)や良知(りょうち)といった概念に代表される思想です。
知行合一とは、知ることと行うことは本来一体であるという考え方です。
また良知とは、人が本来持っている正しい判断力を指します。
この思想においては、
正しいと知りながら行動しないことは不完全である
とされます。
すなわち、「正しさ」は行動によって実現されるべきものと考えられるのです。
人は正しさを知っているはずなのに、社会が良くならないのは何故なのか。
「知」と「行動」の間に隔たりを感じた人たちの間で、陽明学は注目されました。
💡関連記事:江戸中期の陽明学 ― なぜ社会は良くならないのか
尊王思想と陽明学 ― 正しさの受容
陽明学は、尊王思想の成立に直接関わるものではありませんが、
それを「良知」にかなう正しさとして受け止めることができる思想でした。
そのため、尊王思想を正しいと確信した人々は、
陽明学の行動・実践の理念に基づいて、攘夷という行動へと接続していきます。
思想はどのように行動へと変わったのか
ここまで見てきた思想は、それぞれ異なる役割を持っています。
では、それらはどのようにして攘夷という行動へと収束していったのでしょうか。
尊王思想が示した「正しさ」
尊王思想は、国家の中心を天皇に置くという明確な価値基準を示しました。
これにより、「何が正しいのか」という判断の軸が定まります。
陽明学が与えた「行動の原理」
陽明学は、正しいと知ったならば、それを実行すべきであるという考え方を提示します。
危機的な状況の中では、この考え方は強い意味を持ちます。
行動しないことは、正しさを放棄することと同義になり得るからです。
陽明学における実現可能性 ― 正しさを曲げるのか
陽明学は、無謀な行動を肯定する思想ではありません。
また、状況に応じた判断そのものを否定するものでもありません。
陽明学は、「現実として実現できない」という問題を、どのように考えるのでしょうか。
幕府は、外国勢力との力の差を踏まえ、開国や先延ばしといった現実的な対応を選択しました。
これは、実現可能性を重視した判断であったといえます。
一方で、陽明学の立場に立てば、正しいと知りながら行動しないことは問題となります。
知行合一の考え方においては、正しさは行動によって実現されるべきものだからです。
正しいと信じることを行動に移すべきか、
それとも現実との折り合いを優先するべきか。
この問いに対する答えは一つではありません。
しかし、陽明学の思想は、少なくとも前者の選択を強く後押しするものでした。
図で整理する攘夷思想への接続
尊王思想による正当性と、陽明学による実践倫理が重なったとき、
思想は現実の行動として表れます。
攘夷思想は、この二つの流れが交わることで成立したものと捉えることができます。
攘夷思想の学問・思想的な背景
学問が思想を生み、それが政治的な行動へとつながる流れの中で、
尊王思想と陽明学がどのように位置付けられるのかを図で確認します。

本記事では、上記図の中の「赤矢印」を中心に扱ってきました。
- 尊王思想から攘夷思想への接続
- 陽明学から攘夷思想への接続
という二つの流れです。
これらが交差する点に、攘夷思想が位置付けられます。
本記事で扱わなかった垂加神道は、日本の神道を朱子学的に解釈した江戸前期の思想です。
💡関連記事:垂加神道とは何か ― 朱子学と神道を結びつけた江戸前期の思想
上記図は、特集記事内の画像を再掲したものです。
特集では、江戸後期や幕末だけでなく、江戸時代全体の学問・思想を整理しています。
💡関連記事:江戸時代の学問・思想特集 ― 時代と系統で読み解く知の全体像
攘夷思想がもたらしたもの
最後に、攘夷思想がその後の歴史に与えた影響を簡単に確認しておきます。
政治運動としての展開
攘夷思想は、尊王攘夷運動として広がり、幕府との対立を深めていきます。
思想はここで、明確に政治的な運動へと変わっていきました。
攘夷から開国・倒幕へ
しかし、現実には攘夷の実行は困難でした。
その結果、方針の転換が起こり、開国や倒幕へとつながっていきます。
攘夷思想と”正しさ”への問い
攘夷思想は、単独の思想ではなく、複数の学問や思想が結びつくことで現れたものでした。
影響を与えた学問・思想を振り返ってみると、そこには
何を”正しい”とするか――。
という問いが横たわっていたように思えます。
歴史や秩序、神話や心など、出された答えは異なっていましたが、似た方向を向いていました。
“正しさ”を定めるということ
社会秩序のためにも、一定の”正しさ”を定めることは必要でしょう。
しかし、”正しさ”を定めるということは、その逆もまた定めることになります。
人は”正しさ”を追い求めますが、その答えは出るのでしょうか。
もしも答えが出てしまったら、そこから逸脱しているものはどうなるのでしょう。
そういった疑問から、人はまた学ぶのかもしれません。
本記事は江戸時代の学問・思想特集の一部です。
江戸時代の学問・思想について、「時代の変化」と「学問の系統」という二つの視点から整理し、思想がどのように広がり、相互に影響し合ったのかを分かりやすくまとめていますので、関心のある方は是非ご覧ください。
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