ふと耳にした音楽から感じることは人それぞれです。
私は物事のルーツや歴史を学ぶことが好きな人間で、日本や世界の歴史・文化など幅広く興味を持って辿っていき、意外な繋がりがあることを知って喜んだりします。そんな私は、音楽を聴いた際に変な事を考えてしまうことがあります。
今回は、有名なクラシックの音楽である「地獄のオルフェ」を私が耳にした際に、日本や世界が苦しんでいた時代の事を思い出して、複雑な感情を抱くというお話を紹介しています。
地獄のオルフェ(Orpheus in the Underworld)
地獄のオルフェとは、日本では運動会などでもお馴染みのクラシック曲で、天国と地獄と呼ばれることもあるとても有名な曲です。とても軽快で力強いイメージがあり、高揚感のある曲調が印象的です。
有名なフレーズが強調されていたので、ピアノカバーをされている以下の動画を引用させていただきます。日本人なら大体どこかで聞いたことがある曲なのではないでしょうか。
上記動画はピアノカバーですが、原曲はクラシックのオーケストラで演奏される曲で、日本では吹奏楽などでも演奏されることがあるような曲でもあります。ピアノだけのカバーというのは珍しいですが、私個人はピアノの音が「世界中の楽器の中で一番好き」なので、楽しく拝聴させてもらいました。
個人的には、数年前に「響けユーフォニアム」という日本の吹奏楽を題材にしたアニメの序盤のあたりで、顧問になる先生がこの曲を聴いていたシーンが印象的な他、私が幼いころに「あみだくじ」をする際には、この曲を鼻歌で歌っていたような気がします。
地獄のオルフェとは
地獄のオルフェとは、ジャック・オッフェンバック氏の作曲で、彼の最初の大きな成功作と言われています。1858年にフランスのパリで公開された後、日本には1914年に帝国劇場にて「天国と地獄」という邦題で公演されています。私たちが知っている運動会に流れるフレーズは序曲第三部にあたり、日本では特にその部分が有名です。
歴史好きの人なら、この情報だけで気づくことがあるかもしれません。
地獄のオルフェと日米修好通商条約
地獄のオルフェの初演が行われた1858年は、日本の歴史ではとても重要な年です。
1850年代というと、日本は江戸時代のいわゆる幕末の時期です。1853年にアメリカ海軍のペリーが浦賀にやってきて、翌1854年に日米和親条約、そして1858年には日米修好通商条約という不平等条約を締結させられています。その後日本がこの不平等条約を解消するために、時の日本政府である江戸幕府を武力によって倒し、富国強兵政策によって軍事力を高めていくという、苦しい革命・変革の時期を過ごすことになります。その過程では国内外の戦争により、多くの犠牲者も出ることになりました。
地獄のオルフェが公開された1858年は、まさに日本が不平等条約を締結させられた年です。
日本の義務教育では、アメリカ合衆国との不平等条約「日米修好通商条約」を強烈に教え込まれますが、実際の不平等条約はアメリカを含めた5か国と締結しており、安政の五カ国条約と呼ばれます。その五か国とは、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダです。
フランスでは華やかなクラシック音楽を楽しみながら優雅に日々を楽しむ人がいる一方で、日本は国の自由を奪われ植民地化の危機に瀕しているという、まさに「天国と地獄」という様相です。
私は「地獄のオルフェ」を聴く度に、フランスでの初演を楽しむ人々の笑顔と、日本で歯を食いしばりながら攘夷と倒幕を決断しなければならない苦境にいる人々の苦悶の表情が思い浮かんでしまい、複雑な感情に包まれてしまうのです。
クラシック音楽が作られた時代の世界情勢
ここまでは「地獄のオルフェ」についてのお話でしたが、そもそもクラシック音楽という音楽史上での大きな変革についても少し触れておきましょう。
クラシック音楽というと、日本の平安時代とかすごく古い時代からありそうなイメージを持たれる人もいるかもしれませんが、意外と歴史の中では中世から近代といった近い時代につくられた音楽です。日本の時代区分でいうと、江戸時代から明治時代あたりが中心です。
音楽の父と呼ばれることがある「バッハ」が活躍した時期も1700年代で、日本では江戸時代中期頃です。バッハはドイツの人です。余談ですが、日本ではヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)として知られていますが、英語圏では[Bach]をバックのように発音するため、バッハと話しても通じないことがよくあります。ドイツ語では[Bach]はバッハのように聞こえるので、日本語の読み方はオリジナルに近いともいえるでしょう。
クラシック音楽や産業革命の影
1700年代(18世紀)頃からクラシック音楽が大きな発展を遂げたように、物づくりの方法についても大きな変化が起きています。この変革を日本では産業革命と呼びます。音楽だけでなく、人々の生活全般にわたって大きな変化が起こっている激動の時代と言えるでしょう。
しかし、この産業革命やクラシック音楽といった、それまで無いような新しい変革が何もないところから生まれたりはしません。原因があって、起こるべくして起きています。
その原因は、植民地政策による莫大な富の創出です。
つまり、ヨーロッパ諸国がアフリカやアジアの国々を植民地化して搾取することにより、本国は大好景気に沸きあがり、生活が豊かになったことで、芸術や発明品などが華開いていったのです。特にイギリス・フランスでは三角貿易が有名で、本国から武器をアフリカに、アフリカから奴隷をアメリカ(新大陸)に、アメリカから綿花などを本国に大量に仕入れて大きな利益を得ていました。人を商品のようにして扱う奴隷を使って利益を得るなど、今から考えたらとんでもないことではありますが、その時代では常識だったのです。
つまり、クラシック音楽や産業革命という人類史上素晴らしい発展は、奴隷貿易を含めた非人道的な植民地政策によって成し遂げられたと言えるのです。
ピアノという楽器は18世紀から
冒頭で紹介したピアノ動画もそうですが、現代の世界ではピアノを使った演奏や楽曲がとても身近なところにあります。ピアノという楽器は、クラシック音楽の中でも度々登場し、映画などの影響からバッハやモーツァルトなどがピアノを弾いている姿を想像する人も多いのではないでしょうか。私はその昔に見たことがある「アマデウス」という、モーツァルトを題材にした映画が思い浮かびます。
ピアノという楽器は古くからあって、モーツァルトの時代頃にその楽器を使った楽曲が生み出されたように思っている人も多いかもしれませんが、ピアノという楽器自体は1709年に発明された楽器とされています。つまり日本の江戸時代中期頃であり、バッハ(1685年-)が生まれて少し経った頃に生み出された楽器です。
モーツァルトはバッハよりも少し遅い時期の人で、1756年に生まれた人です。つまり彼がこの世に生まれた時は、ピアノが発明されてから50年くらいたった時代ということになります。
平均律のピアノは19世紀
ピアノは元々純正律という調律で使われる楽器でしたが、今の時代のピアノは基本全て平均律という調律になっています。純正律は音程がもっとも美しく響き合う調律ですが、キーを変更(転調)できないという欠点があり、各調に合わせたピアノを何台も準備しておかなければなりませんでした。
平均律は、若干の音の歪を許容することで、自由に転調することができるようにした調律方法で、現在の主流となっています。ピアノは一台で良くなりました。
平均律が主流になるのは19世紀に入ってからで、それまでは純正律と平均律が入り混じっているという時代です。純正律から始まったピアノの歴史が、徐々に平均律に染まっていったと言えるでしょう。その間の過渡期は18世紀から19世紀なので100年近く掛かっていることになります。バッハの時代からドビュッシーの時代くらいの開きがあります。
そういう意味では、バッハの平均律クラヴィーアという楽曲には、バッハの平均律への感動や希望といった新しい世界への思いが詰まっているように感じ、とても感慨深いと思います。
アメリカという新しい国とクラシック音楽
少し本題からずれてしまいますが、産業革命や植民地政策、そして日本の不平等条約といった時代に起きていたアメリカ合衆国という国の誕生についても触れておきたいと思います。
アメリカという国は日本と深い関係にあって、とても古い国のように思っている人もいるかもしれませんが、実はかなり歴史の浅い、比較的新しい国です。アメリカがイギリスから独立したのは1775年から1783年の独立戦争に勝利したことによるもので、アメリカの独立宣言は1776年に出されています。
そもそもアメリカという国は、15世紀ころの大航海時代に発見された新大陸にヨーロッパの国々が開発(侵略)していって出来た国です。目覚ましい発展を遂げた新大陸側の人々が、本国イギリスの搾取から解放されるために立ち上がったのが独立戦争です。
時代の流れを俯瞰してみると、とても興味深いです。
- 1709年にピアノが生まれ、同じころに活躍したのがバッハという音楽家。
- 1756年にモーツァルトが生まれ、クラシック音楽は全盛期ともいえる時代。
- 1776年にアメリカが独立宣言
クラシック音楽の発展は、産業革命や時代の大きな変革時期に起きていたことが分かります。
アメリカに関連した有名なクラシック曲としては、個人的にはドヴォルザークの新世界よりが思い出されます。この曲は1892年頃に、アメリカ滞在中のドヴォルザークが故郷のボヘミアの事を思い出しながら作曲したと言われています。日本では「遠き山に日は落ちて」という曲としても知られています。
電気を発電する方法や送電する方法が開発されたのもこの頃で、1883年にアメリカのウォール街に電灯が灯っていることを考えると、ドヴォルザークが作ったこの曲は、まさに「新世界」と言えるような別次元レベルに発展した街で旧世界の人が作った曲ともいえるでしょう。
個人的には、響けユーフォニアムというアニメのこのシーンはとても印象的で、トランペットの音がとても暖かく懐かしい感じがして、とても好きです。高校の部活という新しい世界に入って、様々な葛藤に揺れている登場人物の心情が、この「新世界より」という曲と調和しているように感じます。
音楽も歴史の一部
今回は、「地獄のオルフェ」を中心にしながら、クラシック音楽の歴史について少し振り返ってみました。
音楽だけでなく、様々な文化や宗教など、私たちの身近にある多くの物事には歴史があり、それぞれが深く絡まり合いながら発展してきています。絵画の世界では宗教画から発展してきていたり、言語の世界ではラテン語のような使われなくなった言語が、現代のスペイン語などにも強く影響していたりします。イギリスの世界植民地計画が、結果的に英語という言語を世界中に広めることに貢献しているなど、良い面も悪い面も含めて、色々なことが結果としてもたらされています。
ただ単純に楽しむことも大事ですが、個人的にはその背景をしっかり理解した上で楽しみたいと思ってしまいます。誰かが苦しんだり、犠牲になった上で作られているものであることを理解しておかないと、失礼にあたることもあるような気がするのです。残念ながら人間に与えられた時間には限りがあるため、すべてを知ることはできませんが、可能な限りはそういったことを知っておきたいと思います。謎が一つづつ解けていくことは、それ自体が楽しみの一つでもあります。
今回は、意外と知られていない音楽の発展の影の歴史についてまとめてみましたが、こういった音楽・歴史という分野を超えた時代のすり合わせをしてみることで、新しく見えてくることもあるように思います。
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