外国人観光客のトラブル – 幕末「生麦事件」と令和の比較

生麦事件と現代の比較 歴史

令和時代の現代では、外国人に関連したトラブルが頻発しています。悪化を続ける日本の治安に対して、不安な声も多く聞かれるようになり、最近では国会などでも治安問題について議論がされる程になってきています。

およそ150年前には外国人のトラブルが発端となり、軍事衝突、そして軍事革命へと繋がった事件「生麦事件」が起きています。「政府が暴力によって倒される」という国の一大事が起きた歴史について、現代の外国人トラブルと政府の対応と比較しながら今一度考えてみます。

生麦事件とは

生麦事件とは、1862年(江戸末期)に日本で起きた「外国人観光客とのトラブル」です。

生麦事件

生麦事件の概要

ペリー来航(1853年)以降は、日本には多くの外国人観光客が訪れるようになっていました。

そんな中で、イギリス人観光客が薩摩藩の大名行列と出会い、物珍しさから観光気分で近寄ります。警護の者たちが制止しますが、観光客はそれらを無視して藩主の籠に近づいたため、藩主の安全確保のために観光客1名が切り殺されます。(「横切っただけ」とする説もあります。)

この事件は、発生した場所が現在の「武蔵国橘樹郡生麦村」という場所だったため、「生麦事件」と呼ばれます。(現在の神奈川県横浜市鶴見区生麦)

現代と当時は価値観や倫理観が異なっています。現代では「人を切り殺す」は大変な事ですが、当時はそもそも帯刀が禁止されていない時代です。現代の感覚で例を挙げるとすると、SPに守られた要人に対して不用意に一般人が近づこうとして撃たれた、という事件に近いかもしれません。

現場から逃れたイギリス人がこの事件を訴えたため、日本とイギリスの国際問題へと発展することになります。

外国での生麦事件の説明 – Namamugi Incident

日本視点だけで物事を見ると偏った判断になってしまう危険性があるため、外国で生麦事件がどのように伝えられているかも確認しておきましょう。

元の英文と共に、Google 翻訳での和訳を以下に掲載します。

Shimazu was heading in the opposite direction to Richardson and his party, who continued to ride along the side of the road without dismounting until they reached the main body of the procession, which occupied the entire width of the road. Richardson, leading his party, rode up to the middle of Shimazu’s procession and did not dismount despite being gestured repeatedly to do so. Richardson was subsequently slashed and mortally wounded by one of the Satsuma bodyguards.

島津はリチャードソン一行とは反対方向へ向かっていたが、一行は道幅いっぱいに陣取る行列の主力部隊に辿り着くまで、馬から降りることなく道沿いを走り続けた。一行を率いるリチャードソンは島津の行列の中央まで馬で近づき、何度も降りるよう合図されても降りなかった。その後、リチャードソンは薩摩の護衛兵の一人に切りつけられ、致命傷を負った。

引用 : Namamugi Incident (Wikipedia EN)

引用部分は事件発生当時の状況ですが、少なくともこの部分は、日本で伝えられている内容とほぼ同じ内容が世界的にも伝えられているようです。(事件前の、被害に遭った一行の出自や日本に来た経緯なども含め、かなり詳しい情報が伝えられています)

また、致命傷を負ったリチャードソンは、その後島津の命によって「トドメ」をさされ死亡しますが、その部分については以下の様にまとめられています。

英文 : Shimazu gave the order for todome — the coup de grâce — to be given,…
和訳 : 島津はトドメを命じ…

「coup de grâce」はフランス語で「情けの一撃」を意味し、一般的には、助からない状態の相手を苦しみから解放する、安楽死的な意味合いで使われる言葉です。

リチャードソンは亡くなってしまったので、下馬しなかった真意は判りませんが、少なくとも日本人が無実のイギリス人を襲ったような伝えられ方はしていないようです。

生麦事件の時代背景

生麦事件(1862年)は、ペリー来航の1853年から明治新政府成立の1868年までの間(幕末期)に起きています。出来事の流れを簡単な年表にすると、以下のようになります。

西暦出来事
1853年ペリー来航
1862年生麦事件
1868年明治新政府の成立
ペリー来航と生麦事件の時期

1860年は、日本の政治の中心であった井伊直弼の暗殺(桜田門外の変)事件が起きていて、幕末期の折り返し期でもあります。1860年以降は外国勢力とのトラブル・軍事衝突などが起こり始め、1862年には生麦事件、1863年には下関戦争(一回目)が起きています。

幕末後半の歴史に興味のある方は、是非以下の記事もご覧ください。

生麦事件が戦争に発展 「薩英戦争」

生麦事件の後、薩摩藩はイギリスと賠償問題などで揉める事となります。

幕府は、イギリスとの交渉において、生麦事件で犯行を行った(イギリス人を切り殺した)人間の引き渡しなどは薩摩藩と直接交渉するように伝えて責任を逃れます。イギリスは、犯人引き渡しなどを要求して薩摩に軍艦を率いて圧力を掛けますが、薩摩藩は断固として拒否したため、激しい砲撃を伴った軍事衝突が発生します。

この軍事衝突は薩摩とイギリス(英国)の間で行われたため「薩英戦争」と呼ばれます。生麦事件(1862年)の翌年、1863年に起きています。

薩英戦争では薩摩藩は多大な犠牲を払いながらも奮戦し、近代兵器を相手にしながらも、イギリス艦隊に大きな損害を与えることに成功します。補給もままならないイギリス艦隊は、犯人の引き渡しを諦め、薩摩藩と停戦・和睦することになります。

薩摩藩の行動からは、日本のルールを守らない外国人を、日本のルールに則って罰した結果なので、文句を言われる筋合いはなく、また軍事力による脅しには絶対に屈しないといった、強い信念が感じられます。

外国の近代兵器や軍事力の強さを実際に体験した薩摩藩は、薩英戦争後にはイギリスと関係を深め、武器や軍艦などをイギリスから調達し、軍備を整えていきます。

令和の現代における外国人トラブル

令和時代の現代では、外国人に関連したトラブルのニュースが絶えません。

犯罪や交通事故、税金の使い道などトラブルの種類も多く、日本人を最優先とする「日本人ファースト」を望む声も大きくなりつつあるようです。残念なことに、近年増加している犯罪数の関係で、世界の治安ランキングを低下させている日本は、もう「安全な国」とは言えない状況になりつつあります。

ここでは令和日本で起きている「外国人に関連したトラブル」をいくつか取り上げてみます。

オーバーツーリズム – 解決が難しい社会問題

外国人が日本を観光で訪れてくれることは、日本経済にとってはありがたいことです。日本の文化に興味を持ち、敬意をもって接してくれる外国人は、日本でも歓迎されます。しかし、あまりにも多い外国人が日本に訪れることで問題行動を起こす人がいたり、観光地周辺のゴミ問題や治安の悪化に繋がっているケースも少なくありません。

以下は日テレNEWSというYouTubeチャンネルの動画で、2024年のオーバーツーリズムの状況について、大変よくまとめられていたので紹介させていただきます。

この動画では、観光地に起きているゴミの問題の他にも、飲食店での注文のトラブル予約キャンセルの損失などにも触れ、それらの問題の対応として日本人と外国人で価格を分ける「二重価格」を採用しているお店などがあると紹介されています。外国人向けに案内や通訳を手配するサービスを、外国人に支払ってもらうという形ではあるものの、外国人観光客の中には差別だと感じる声があると締めくくられています。

経済的な良い影響がある一方で、観光地周辺に住む日本人の生活環境には悪影響があることも多いオーバーツーリズムは、解決が難しい問題の一つです。

交通事故 – 外国人による危険な運転

日本にいる外国人は、申請することで日本で車を運転することができます。外国人が日本の公道を運転する場合、日本人と同じように運転免許センターで試験を受けて運転免許証を取得する方法の他に、外国の運転免許証を使って手続きをする「外国免許切替(外免切替)」方法などがあります。

日本の道路交通ルールを十分に理解していない外国人が日本で運転をすることと、ドライブレコーダーや防犯カメラなどが普及したことで、近年は今まで見た事のないような悲惨な交通事故が報道されるようになりました。以下は、2024年9月に報じられたANNnewsCHのYouTubeの動画です。

この動画では、午前5時過ぎに一方通行を猛スピードで逆走してきた車が、走行中の車に衝突し、巻き込まれた51歳の日本人男性が亡くなった交通事故について報じています。事故を起こしたのは、18歳の中国籍の男で、事故当時酒気帯び状態だったとのことです。運転者以外の同乗者は、事故後に逃走したとされています。

国土交通省と公明党

日本人も交通事故や違反をすることがありますが、最低限全員試験を受けて免許を取得しています。しかし、日本の交通ルールを知らない外国人が運転する危険性は、日本人の比ではないでしょう。現在の日本では、この外面切替の制度をより簡単なものに変更されていて、ホテルの住所でも申請ができ、10問の簡単な〇×問題に7問正解することで合格となるようです。この外免切替の手続きの簡略化は公明党が要請していたようですが、公明党は「所轄は警察庁である」という言い分のようで、SNSなどでは公明党への批判が高まっているようです。(出典 : 公明党の発言に関するポスト – 産経ニュース on X)

手続きを簡略化するのもいいですが、日本人の命を守ることが最優先でないことには違和感を感じます。交通事故の問題としては、外国人の事故以外にも、高齢者による運転ミスにより若い命が失われ続けているのも大きな問題です。公明党は、10年以上も国土交通省の大臣を担っている政党でもあり、国民からの責任追及は今後も続くと思われます。

移民・難民 – 川口クルド人問題

外国人のトラブルと言えば、多くの人が埼玉県川口市のクルド人問題のことを思い浮かべるのではないでしょうか。それ程までに、この問題は長く続いており、地域住民だけでなく、日本全国の国民の関心事になっています。

過積載のクルドカーや杜撰な解体工事、暴行事件など、数多くの事件が報道されていますが、特に印象深い事件として、2024年末に起きていた以下のような性暴力に関するものがあります。

<独自>女子中生に性暴行のクルド人男、執行猶予中に別少女にも性暴行 埼玉県警発表せず 「移民」と日本人 – 産経ニュース

これはクルド人が日本人女性に暴行を働いている多くの事件の中の一件ではありますが、突出して異常性が高いものとして紹介します。このニュースは、女子中学生に性的暴行をした罪で有罪判決を受けていたクルド人が、執行猶予中に12歳の少女にも性的暴行を行った事件です。一部のニュースでは、このクルド人は裁判で容疑を否認していて、同意があったと述べているそうです。12歳の少女と同意とか、ちょっと日本人としては考えられない非常識さに驚きます。

また最近では川口から移動したクルド人が、名古屋や他の場所でも暴行事件を起こしていることが報じられています。(タクシーの運転手を殴ってケガさせ… : 東海テレビ NEWS ONE on YouTube)

不起訴問題と日本の難民申請手続きの問題

外国人の犯罪が増えているのは、単純に外国人観光客や移民(就業)などが爆発的に増えていることが要因のひとつであると考えられます。しかし国民の批判が高まっているのは、クルド人を含めた外国籍の人が犯罪を犯した場合、罪に問われず「不起訴」となってしまうケースが多い事も要因の一つです。性犯罪など被害者への配慮が必要なものがある事も理解できますが、外国人の犯罪は不起訴となる事例が多く、それらは国会などで開示を求めても一般論だけで回答を得られない状況となっています。

不起訴となった原因には様々な要因が考えられます。一つの要因としては、起訴する際に通訳が手配できなかった場合には「起訴を断念するしかない」という、検察側の事情もあるようです。過去には誤訳で冤罪となったケースもあるようで、報酬も安い上に責任重大な通訳の仕事を、安価で民間委託しようとしても「受け手がいない」という構造上の問題もあります。

また、難民申請手続きを却下された外国人が、20年以上日本に滞在して再申請を繰り返しているケースもあるという実情は、特にクルド人の諸問題と大きく関係しているという指摘もされています。しかし、政府は外国人犯罪の増加に「強い危機感」を持っていると表明するだけで、特に対策は施さないようです。以下はテレ東BIZのYouTube動画で、上記クルド人の性犯罪に関する質疑と、その後の法務大臣への囲み取材がまとめられたものです。

強い危機感と大々的に書かれてはいますが、内容としては何も回答していないのと同じで、個人的には一般論の台本を読んでいるだけのように見受けられました。残念ながら、日本人の安全はそれほど大事と考えられてなさそうです。

求められる「日本人ファースト」

現在の政府(石破内閣総理大臣)は「日本人ファースト」は差別に当たるとして、姿勢を変えようとしません。これは、諸外国との外交問題などを考慮した思慮深い判断なのかもしれませんが、SNSなどでは強い批判も聞かれます。参政党の質疑を切り抜いたYouTubeのショート動画を一本紹介します。簡潔に要点だけをまとめられているこのような政治系切り抜き動画チャンネルは、国民が政治情報を知るひとつの手段として確立しつつあるように感じます。

また、石破氏のこの方針は、前総理大臣だった岸田氏に通じるものを感じます。岸田氏が「留学生は日本の宝」と発言し、その後も続けて「日本の学生を日本の宝であると認識する」(つまり認識していなかった)と発言したことが大きな波紋を呼びました。現在でも、ネット民の間ではこの発言を揶揄して、外国人の犯罪者は「岸田の宝」という表現が使われ続ける程に、日本人の記憶に深く刻み込まれた衝撃的な発言でした。

強い政府批判に感じる恐怖

政府は「生麦事件」の事を思い出して、真摯に外国人による治安悪化と向き合うべきでしょう。

既に衆院選の大敗を受けて少数与党となっている自民・公明党ですが、その後も国民の声に耳を傾けている様子はありません。内閣総辞職や石破総理の辞任を求める声が、SNSのトレンドになることも多い日々が続いています。こんな状況でもしも大きな事件が起きてしまうと、張り詰めた風船が爆発するように、日本人全体が行動を起こすのではないかと、一国民として恐怖に近い不安を感じます。

怒らない人や冷静な人が行動を起こすと怖いものです。日本人は、普段は冷静で我慢強いですが、一度覚悟を決めると薩英戦争や戊辰戦争の様に、死ぬまで信念を貫き通すような国民性があります。平和な現代では「政府が倒される」想像が出来る人は多くないですが、クーデターや革命は歴史上何度も世界中で起きています。日本でもたった150年前に起きていて、他人事ではありません。

政治家は権力に胡坐をかくのではなく、国民と同じように緊迫感をもって役割にあたり、全力で務めを果たして欲しいものです。