白米は栄養を失った「非合理」な食べ物。
それでも私たちは、白米を主食にし続けています。
そこには、合理だけでは説明できない「おかず文化」という工夫と、歴史がありました。
なぜ玄米から白米へ ―「変化の歴史」としての白米食
日本の稲作史の大半では、玄米中心の食生活が続いてきました。
精米は手間がかかり、多くの人にとって白米は特別なものでした。
しかし江戸時代に入ると、
精米技術の発達や流通の整備によって、都市部で白米が日常的に食べられるようになります。
富の象徴だった白米が、憧れを伴いながら広がっていったのです。
| 時代 | 主食の中心 | 白米の位置づけ |
|---|---|---|
| 弥生〜中世 | 玄米+雑穀 | 祝祭・貴族の特権 |
| 江戸前期 | 都市部で徐々に白米普及 | 富の象徴、贅沢 |
精米が選ばれた歴史的理由(保存性・消化性・調理性)
米は、稲作文化を築いた日本社会にとって、命を支える最重要の食材でした。
しかし玄米のままでは、糠(ぬか)に含まれる油分が酸化しやすく、虫害も起きやすいという弱点がありました。
そこで糠を取り除く「精米」が普及し、長期保存が可能になったと考えられています。
また、玄米は硬くて消化に時間がかかるのに対して、白米は柔らかく、調理にも手間がかかりません。子どもから高齢者まで食べやすく、主食としての扱いやすさから広がっていきました。
白米は「上等な食事」 ― 象徴としての価値
精米には手間がかかるため、白米は長い間「贅沢品」でした。
豊かさの象徴として上層階級が求め、それが都市の文化にも影響しました。
江戸の町人たちが白米をありがたがり、「白い米こそ立派な食事」と信じる価値観が形成されていきます。
こうした文化的評価が高まることで、白米の普及には勢いがつきました。
合理的な理由と、豊かさを示す象徴が見事に重なったと言えるでしょう。
合理が生んだ非合理 ― 江戸患い(脚気)の教訓
精米による白米が広まる一方で、思わぬ副作用が現れました。
| 時代 | 主食の中心 | 白米の位置づけ |
|---|---|---|
| 江戸中期以降 | 江戸・大阪で白米日常化 | 脚気(江戸患い)頻発 |
| 明治〜大正 | 全国へ急速に普及 | 科学否定の中で白米信仰加速 |
失われた栄養ビタミンB1
脚気(かっけ)は、ビタミンB1不足によって発症する疾患です。
糠(ぬか)や胚芽(はいが)に栄養が多く含まれているにも関わらず、精米によりそれらを捨てることになったために、白米中心の生活を送る地域で脚気が流行しました。
江戸時代の都市部で蔓延したことから「江戸患い」とも呼ばれています。
江戸患いに効くと評判になった「蕎麦」
江戸時代には、白米中心の食生活が原因と知られないまま脚気が広がりましたが、
経験的に「蕎麦を食べると体調が良くなる」と考える人が増えていきました。
その結果、江戸の町には100万人の人口に対して3,000店以上の蕎麦屋が並んだとも言われています。
栄養学が未発達だった時代、人々は日々の生活から改善策を“発見”し、
合理では説明できない時代に、合理的な行動をとっていたのです。
現代でも、炭水化物中心の生活などにより、自覚しづらいビタミンB1不足「隠れ脚気」が問題視されています。
以下の記事では、江戸患いと蕎麦の関係に加えて、隠れ脚気の自己診断に役立つ「代表的な症状」なども紹介していますので、気になる方は是非ご覧ください。
💡関連記事:痺れや眩暈の改善に役立つ蕎麦 – ビタミンB1不足と脚気
それでも白米をやめられなかった理由
江戸患いが広まった当時、その原因は明確ではありませんでした。
医学はまだ発展途上で、「栄養」という概念も存在しません。
そのため脚気については、
- 江戸の空気が悪い
- 水質の問題
- 湿気が多い気候
- 都市疲労(ストレス説)
- 風土病説
など、さまざまな推測が飛び交っていました。
白米が原因であるという意見も、一部の医師や庶民の経験から挙げられてはいましたが、
科学的な裏付けがなかったため、俗説扱いされてしまいます。
明治に入り、軍隊で脚気が深刻化した際にも、
- 陸軍:細菌説を支持(白米→継続)
- 海軍:栄養欠乏説を採用(麦飯→改善)
という対照的な結果が生まれましたが、
権威の影響も強く働き、白米中心の食生活は容易には改められませんでした。
そこには、
「白米こそが上等な食事」という強固な文化的価値観 = 白米信仰
が根付いていたことが大きく影響しています。
科学が不確かであった時代、文化の力が合理的判断を上回った――
それが「白米をやめられなかった」背景と言えるでしょう。
| 見る立場 | 白米の評価 |
|---|---|
| 当時の人々 | 合理的で上等な食事 |
| 現代の知識 | 栄養の欠落した非合理な食事 |
| 歴史研究 | 「合理が生んだ非合理」という両義性 |
栄養の常識は意外と新しい
日露戦争の数年後、1910年に鈴木梅太郎が米ぬかから「オリザニン」を抽出し、脚気の予防に効果があることを示しました。
その後、わずか数十年の間に次々と栄養素が発見され、「生命に必須なアミン」という意味を込めて、ビタミンという呼び名が広まっていきます。
世界の分類に合わせ、鈴木のオリザニンは ビタミンB1 と名付けられました。
ここで初めて、人類は知ることになります。
合理的だと信じられてきた白米中心の食生活が、逆に健康を脅かしていたのだ、と。
現代でも、野菜をほとんど食べないなど、偏った食生活を続けてしまう人がいます。
以下の記事では、歴史上の栄養欠乏症とその対策に役立つ食品、そして栄養学が確立されるまでの流れを年表付きで解説しています。
気になる方はぜひ合わせてご覧ください。
💡関連記事:野菜なしでも平気?栄養の“常識”は意外と新しい
白米を補完する「おかず」という合理
白米が栄養面で非合理だと分かった現代でも、私たちは白米を食べ続けています。
しかし、それは玄米に戻るという選択ではなく、白米の欠点を「おかず」で補うという新たな合理を生み出したからです。
こうして白米食は、その姿を変えながらも主食の座を守り続けているのです。
| 時代 | 主食の中心 | 白米の位置づけ |
|---|---|---|
| 現代 | 白米中心、おかずで栄養補完 | 文化として定着 |
おかずが白米の欠点を補う
日本の食卓は、白米を中心に「おかず」で栄養を補う形に整えられてきました。
魚・野菜・豆類などを組み合わせることで不足する栄養を埋め、
食味・満足度も高める食文化が発展しました。
白米は「消化がよく味の主張が弱い」という特徴を持ち、それがおかず文化の発展を後押ししたと考えられます。
社会が白米中心に最適化された
農業生産、物流、調理器具、学校給食に至るまで、社会の多くが白米を前提に設計されています。
主食としての白米が揺るがないのは、人々の嗜好だけではなく、社会構造そのものが白米に適応しているためです。
玄米ブームと「逆行する合理」
近年、玄米が健康食として再評価されています。
かつて捨てていた糠や胚芽の栄養価が科学的に裏付けられたからです。
合理性を重視すれば、玄米こそ主食として理想的に思えるかもしれません。
しかし玄米は、
- 噛み応えが強い
- 消化に時間がかかる
- 調理に手間がかかる
- 味の主張が強く、おかずとの相性が異なる
という課題もあります。
つまり、合理性としての栄養面では玄米が優れているにもかかわらず、
食の満足や文化的価値という「別の合理」が白米を支持しているとも言えるのです。
合理だけでは人は生きられない ― 食の文化と意味
食事は栄養摂取だけでは成立しません。
文化や楽しさが、人を満たす重要な要素です。
味・楽しさ・食卓を囲む“心の栄養”
食べることは、身体を維持する以上の行為です。
家族と食卓を囲み、季節や地域の味を楽しむことで、人は幸福感を得ています。
どんなに完全栄養食が体を満たしても、宇宙食のような食事だけでは心は満たせません。
科学が進歩しても、食事は「栄養補給」である以上に、人々の人生を豊かにする社会的営みの核でもあるのです。
| 領域 | 満たされるニーズ |
|---|---|
| 栄養の合理性 | 科学技術で代替可能 |
| 情緒・文化・社会性 | 科学技術では代替困難 |
非合理が文化を豊かにする
白米は栄養を欠く非合理な食材です。
| 観点 | 白米の評価 |
|---|---|
| 歴史的合理性 | 保存性・消化性・調理性が高い |
| 経済的合理性 | 生産・流通が確立、安価 |
| 栄養上の非合理 | 糠(ぬか)部分の栄養を捨てている |
しかし、その欠点によって「おかず文化」が発展し、食事が豊かな体験になりました。
人はなぜ白米を食べ続けるのか――。
その一つの問いから歴史を辿ってみると、人は合理だけで生きているのではなく、ときには非合理を選択することで、人生の豊かさや楽しみを見出しているのだと気付きます。
先人の築き上げてきた歴史に合理的な答えを求めても、行きついた先には非合理な答えが待っている。何とも皮肉な話ではありますが、それがまた歴史や文化の面白いところなのかもしれません。
関連記事:森鴎外と脚気の教訓
日露戦争期、陸軍軍医総監だった森鴎外は、当時の医学常識であった「細菌が原因」という説を信じ、軍内で流行する脚気対策にあたりました。
しかし栄養学が未発達であったため、海軍で成果が出ていた「食事改善による対処」が十分に採用されず、多くの兵士が命を落とすことになってしまいました。
鴎外の判断は、当時としては“合理的”でした。
だからこそ、彼の歴史は常識を疑うことの大切さを現代に伝えてくれているのかもしれません。
以下の記事では、鴎外と脚気の歴史を振り返りながら、私たちの「科学的根拠=正しさ」が、時に人命を左右するという教訓について考えます。

