Godは神と訳していいのか ― 翻訳が生んだ認識のズレ

Godは神と訳していいのか 言語

キリスト教の God は、日本語では「神」と訳されるのが当たり前のように受け止められています。

しかし、この訳語は本当に適切なのでしょうか。

本記事では、God がなぜ「神」と訳されるようになったのか、その歴史的経緯をたどりながら、翻訳によって生まれた認識のズレについて整理します。

「神」という言葉は、もともと何を指していたのか

まず、日本語の「神」という言葉が、本来どのような概念を含んでいたのかを確認します。

日本語の「神」は抽象概念ではなかった

日本語の「神」は、もともと単一の定義を持つ抽象概念ではありませんでした。
自然現象、土地、祖霊、優れた人物など、さまざまな対象が「神」と呼ばれてきました。

重要なのは、「神」が世界の外にいる絶対的存在として想定されていなかった点です。
人の生活圏と連続し、身近な場所に存在するものとして捉えられていました。

神と人が連続しているという日本的感覚

付喪神祖霊信仰に見られるように、日本では神と人の境界が比較的曖昧に捉えられてきました。
神は崇拝の対象ではありますが、必ずしも全知全能の創造主ではありません。

この「連続性」は、日本語の「神」という言葉が持つ大きな特徴です。

日本語の「神」という語の幅広さ

「神」という言葉は、あらかじめ意味を厳密に限定しない、非常に包摂力の高い語でした。
この性質が、後の翻訳に大きな影響を与えることになります。

日本に伝わった最初のキリスト教と「デウス」

次に、日本に最初に伝わったキリスト教が、どのような形だったのかを見ていきます。

最初のキリスト教は英語ではなかった

16世紀に日本へ伝わったキリスト教は、英語圏のものではありませんでした。
ポルトガルスペインの宣教師によって伝えられ、日常的なやり取りはポルトガル語、教義はラテン語が中心でした。

この時、神を指す言葉として使われていたのが「デウス」です。

「デウス」はなぜ定着しなかったのか

「デウス」は外来語であり、日本人にとって意味が直感的に伝わる言葉ではありませんでした。
生活世界や既存の宗教観とも接続しづらく、理解の壁となっていました。

そのため、宣教師たちは、日本語の既存語彙を使って説明する必要に迫られます。

「デウス様」という表現について

史料や創作作品で見かける「デウス様」という表現は、この過渡期的な状況を反映したものです。ただし、これは定着した呼称というより、説明上の便宜でした。

布教のために「当て語」として選ばれた「神」

宣教師にとって重要だったのは、概念を正確に区別することではなく、「伝わること」でした。
外来語をそのまま使うよりも、日本人がすでに知っている言葉を使う方が、理解されやすかったのです。

こうして、「デウス」や後の God は、「」という日本語で説明されるようになります。

この時点では意味は固定されていなかった

この翻訳は、学術的に厳密なものではありませんでした。
「神=唯一神」という理解が、日本語として明確に定着していたわけではなく、あくまで実用的・暫定的な対応でした。

近代日本で再確定された「God=神」

現在私たちが前提としている「God=神」という理解は、近代以降に固められたものです。

開国後に必要になった概念整理

19世紀後半、日本は西洋社会と本格的に接触するようになります。
聖書の翻訳や、西洋思想の紹介が進み、言葉の体系的な整理が必要になりました。

この過程で、God は「神」と訳される存在として、制度的に位置づけられていきます。

日本が幕末期に列強と結んだ不平等条約には、宗教に関する条項が含まれていました。
以下の記事では、そうした条約の宗教条項と、禁教政策への影響などについて詳しく解説しています。
💡関連記事:キリスト教禁教の崩壊序章 ― ペリー来航と不平等条約の宗教条項

「宗教」という言葉が必要になった時代との共通点

同じ時代に、「宗教」という言葉も新たに整備されました。
ただし、宗教が新しい言葉として作られたのに対し、「神」は既存の言葉が流用されています。

近代的な意味での「宗教」という言葉が作られた過程については、以下の記事に詳しくまとめています。
💡関連記事:意外と新しい「宗教」という言葉・概念 ― religionの翻訳史

新語と既存語の違い

新しい概念に新しい言葉を与えた場合と、既存の言葉に異質な概念を当てた場合では、後に残る影響が大きく異なります。

翻訳によって生まれた認識のズレ

この翻訳構造が、現代の理解に影響を与えています。

ここで言う「認識のズレ」とは、日本語の「神」と英語の God が、
似た言葉として訳されながら、実際にはまったく異なる前提で使われている点にあります。

英語のGodとgod/godsの違いと、日本語の神の比較

日本語では「神」は広い概念名として使われますが、
英語圏、とりわけ一神教文化において God は、
分類や比較の対象にならない固有名詞として理解されています。

観点英語の God英語の god / gods日本語の 神
文法上の扱い固有名詞一般名詞一般名詞
単数のみ単数・複数単数・複数
位置づけ唯一・絶対神話的存在自然・祖霊・人格神
比較・分類されないされるされる
人との関係超越的相対的連続的
英語のGodおよびgod/godsと、日本語の神の比較

日本では、God は「神一般」を指す言葉のように受け取られる傾向があります。
しかし、大文字で書かれる God は、キリスト教における固有名詞であり、唯一絶対の存在を指します。

それは、神々全般をまとめる分類名ではありません。

また、神々を表すgodsは、Godの複数形のように見えますが、実際には一般名詞であるgodの複数形であり、固有名詞 God が複数形になっているわけではない、という点に注意が必要です。

Godが「神一般」のように理解されてしまう理由

日本語では、「神」という言葉が一般概念個別の存在の両方を担っています。
そのため、God が「神という分類の一つ」のように受け取られやすくなりました。

これは翻訳としての失敗というより、言語構造上の必然とも言えます。

Godsという紛らわしい表記

さらに誤解を助長しやすい要因として、英語における表記上の問題があります。

英語では、文頭見出し作品タイトルなどで一般名詞も大文字化されるため、
本来は gods と書かれる語が Gods と表記されることがあります。

この Gods は、固有名詞である God の複数形ではなく、あくまで一般名詞 god の複数形にすぎません。しかし、日本語には大文字・小文字の区別がないため、見た目だけを見ると「God に s が付いた形」のように誤解されやすくなります。

こうした表記上の事情も、God が「神一般」を指す言葉のように理解されてしまう一因になっています。

日本の神はGodなのか

ここまでの整理を踏まえると、単純な同一視には無理があることが見えてきます。

同じ訳語が生む誤解

「神」という訳語は、日本語話者にとって理解しやすい一方で、God の固有名詞的な性格を見えにくくしました。

日本人がキリスト教の概念を理解することを助けることに繋がったため、翻訳としては成功だったものの、副作用も大きかったと言えるでしょう。

日本の神を訳すなら

日本の神を英語に訳す場合、God は固有名詞であるため、適切とは言えません。
god/godsのような英単語を使って説明することも可能ですが、日本の「人と神が共存している」といった宗教観は正確に伝わらない懸念があります。

文脈によって、spiritdeityのような別の単語も使い分けて説明する必要があるでしょう。

問題は誤訳ではなく「前提の違い」

これは誤訳というより、文化的な再解釈の問題です。
日本語の神観という器に、God という概念を流し込んだ結果、意味が変容したのです。

身近な言葉だからこそ、問い直してみる

英語と日本語は異なる言語であり、その言語が育まれてきた文化や宗教、歴史にはちがいがあります。そのため、単語の一つ一つに適切な訳が出来るような、対照的な構造にもなっていません。

God は「神」と訳されたことで、認識のズレは生じながらも、それはお互いの宗教観を理解する手掛かりとなりました。
翻訳とは、単に言葉を置き換える行為ではなく、世界の見方を移し替える行為でもあります。

God は神と訳していいのか──この問いを立ち止まって考えることは、私たち自身の文化や価値観を見つめ直すきっかけにもなるのではないでしょうか。


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