💡この記事は、「江戸時代の学問・思想特集」の一部です。
人はなぜ学ぶのか。
朱子学と陽明学の「知」の違いをたどることで、江戸時代の学問が問い続けた「学びの意味」が見えてきます。
同じ儒学で異なる学問 ― 朱子学と陽明学
朱子学と陽明学は、ともに孔子の儒教をルーツとする学問体系です。
『論語』や『大学』といった同じ経典を学びながらも、江戸時代においては、両者はまったく異なる学問として受け取られてきました。
朱子学は、秩序や合理を重んじる学問として幕府の官学となり、陽明学は実践や行動を重視する思想として、時に危険視されることもありました。同じ儒学でありながら、なぜこれほど異なる性格を持つ学問として展開していったのでしょうか。
解釈の異なる「格物致知」
この違いを理解する鍵となるのが、「格物致知(かくぶつちち)」という概念です。
格物致知は、儒教経典『大学』に示された言葉であり、朱子学と陽明学の双方が重視した重要な思想でもあります。
しかし、この格物致知は、両者においてまったく異なる意味で解釈されました。その解釈の違いは、「知とは何か」「学ぶとは何か」という学問観の違いに直結しています。
以降の節では、朱子学と陽明学がそれぞれ格物致知をどのように理解し、そこからどのような学問観を形作っていったのかを見ていきます。
この違いを辿ることで、江戸時代の思想がどのように分岐し、後の歴史に影響を与えていったのかが、より立体的に見えてくるはずです。
朱子学における「知」― 世界に満ちる理
江戸幕府が官学として採用した朱子学では、「知」は人の外に存在するものとして理解されていました。
朱子学の世界観 ― 万物に宿る「理」
朱子学では、この世界は普遍的な「理(ことわり)」によって成り立っていると考えられます。
自然現象にも社会秩序にも、人間関係にも、それぞれ固有の理が存在し、それらは合理的に理解可能なものだとされました。
知とは、この理を明らかにすることで得られるものです。
朱子学の格物致知 ― 知は外から積み上げられる
朱子学における格物致知は、しばしば
「知を致すは物に格(いた)るに在り」
と整理され、事物を調べ、その背後にある理を究めることを意味します。
一つひとつの事象を丁寧に観察し、分析し、理解を積み重ねていくことで、知は徐々に深まっていきます。知は内側から湧き上がるものではなく、外界との関わりの中で獲得されるものと考えられていました。
朱子学における「学ぶ」とは何か
朱子学における学びは、読書や注釈、議論を通じて知識を体系化していく行為です。
学問とは、理を理解し、秩序を把握するための手段であり、社会の安定と道徳の維持に寄与するものとされました。この点で朱子学は、幕府による統治思想とも高い親和性を持っていました。
陽明学における「知」― 心に宿る良知
一方、明代中国の王陽明が唱えた陽明学は、朱子学の「理は外にある」という前提そのものを問い直しました。
陽明学の世界観 ― 心に宿る「理」と心即理
陽明学では、理は万物の中にあるのではなく、人の心そのものにあると考えます。
この考え方は「心即理(しんそくり)」と呼ばれ、心と理は本来分かたれるものではない、という立場を示しています。
人は生まれながらにして「良知」と呼ばれる善悪を判断する力を備えており、知の源泉は外界ではなく内面にあるとされました。
理を外に探し求めるのではなく、自らの心に備わる良知を曇らせずに生きることが、陽明学における学びの出発点となります。
陽明学の格物致知 ― 知は内から現れる
陽明学における格物致知は、しばしば
「知を致すは物を格(ただ)すに在り」
と整理され、朱子学のように外界の理を探究するのではなく、自身を正し、行動をもって示すことを意味します。
格物とは、外の事物を調べることではなく、私欲や恐怖、打算といった心の曇りを正すことを指します。致知とは、新たに知識を増やすことではなく、本来備わっている良知を発揮することです。
知行合一 ― 知は行動に現れてこそ意味を持つ
陽明学では、知ること(知)と行うこと(行)は表裏一体(合一)であり、本来切り離して考えることはできないとされます。この考え方は「知行合一(ちこうごういつ)」と呼ばれます。
正しいと分かっていながら行わないのであれば、それはまだ真に知っているとは言えない、という考え方です。
正しいと知ったことが行動として現れてこそ、知は完成すると考えられたのです。
この知行合一の考え方によって、陽明学は理論にとどまらず、実践と行動を重視する学問として受け取られるようになりました。
知行合一については、自身も陽明学を学び・教えていた「大塩平八郎」が起こした乱についてまとめた、以下の記事でも詳しく解説しています。
陽明学における「学ぶ」とは何か
陽明学における学びは、知識を外から積み上げていくことではなく、自らの心を省み、正しいと知ったことに背かずに生きようとする姿勢そのものにあります。
学問とは、良知を曇らせる私欲や恐怖を取り除き、日々の判断や選択を通して自分自身を正していくための営みであると考えられました。そのため陽明学の学びは、書物の理解にとどまらず、日常の生き方そのものへと深く結びついていきます。
朱子学と陽明学の比較表(小まとめ)
ここまで見てきた朱子学と陽明学の考え方を、「知の所在」「学びの方法」という観点から整理すると、両者の違いはよりはっきりと見えてきます。
以下の表は、これまでの内容を小まとめとして整理したものです。
| 観点 | 朱子学 | 陽明学 |
|---|---|---|
| 知の所在 | 世界に満ちる理 | 心に宿る良知 |
| 世界観 | 万物に普遍的な秩序がある | 心と理は分かたれない(心即理) |
| 格物致知 | 事物を調べ、理を究める | 心の曇りを正し、良知を発揮する |
| 知の性格 | 外から積み上げるもの | 内から現れるもの |
| 知と行動 | 知と行は区別されうる | 知と行は合一(知行合一) |
| 学ぶとは | 読書・注釈・議論による理解 | 内省と日常の判断を通じた自己修養 |
| 学問の性格 | 理解と秩序を重んじる | 生き方と実践を重んじる |
| 江戸時代での位置 | 官学として採用 | 異学とされ、私塾・在野で学ばれた |
朱子学と陽明学は、ともに儒教を基盤とする学問でありながら、「知はどこにあるのか」「人はどのように学ぶのか」という点で、対照的な答えを示しました。
朱子学が世界に満ちる理を学び取る学問であったのに対し、陽明学は心に宿る良知を生き方として実践する学問であったと言えるでしょう。
この違いは、単なる学派の差にとどまらず、江戸時代後期の思想や行動、さらには幕末の動きにも大きな影響を与えていくことになります。
江戸時代思想史における「知」の分岐と影響
朱子学と陽明学の知の捉え方の違いは、江戸時代後期の思想や政治運動にも影響を与えました。
朱子学的知が生んだ学問の流れ
朱子学の合理的な知の枠組みは、水戸学や垂加神道へと引き継がれ、尊王思想の理論的基盤となっていきます。知を理論として磨く姿勢は、思想の体系化に大きく貢献しました。
幕府統治の安定化のために奨励された朱子学から尊王思想が生まれた「学問の皮肉」については、以下の記事で詳しく解説しています。
陽明学的知が生んだ行動の流れ
一方、陽明学の知行合一の思想は、大塩平八郎や吉田松陰といった行動的思想家に影響を与えました。知は行動に現れるべきだという考えは、社会変革への原動力となっていきます。
日本では忘れられつつある陽明学は、中国では「現代にも使える人生哲学」として再評価されています。この背景については、以下の記事で詳しく紹介・解説しています。
学ぶとは何なのか
朱子学と陽明学の違いは、単なる学派の違いではありません。それは、「人はなぜ学ぶのか」「知とは何か」という根本的な問いに対する異なる答えでした。
江戸時代の学問と現代
朱子学は世界の理を理解する学びを重視し、陽明学は心の良知を生きる学びを重視しました。どちらも、人間がよりよく生きるための知を追求した学問です。
知識と行動、合理と意味、学問と社会。この対立と緊張関係は、現代に生きる私たちにとっても無関係ではありません。江戸時代の学問は、今なお「学ぶとは何か」という問いを投げかけ続けています。
私たちと朱子学・陽明学
現状を理解するだけでは、自分や社会は大きく変わりません。
本来どうあるべきなのかを考え、行動に移してこそ、はじめて変化が生まれます。
江戸時代の官学だった朱子学は、社会秩序を守ることに大きく貢献しました。
しかし時代が進むにつれ、その枠組みだけでは応えきれない課題も現れ、陽明学を含むさまざまな学問が発展していくことになります。
朱子学的な、いわゆる「勉強」としての学びは今も大切です。一方で、常識を問い直し、行動によって示す陽明学的な学びがなければ、人生や社会は停滞してしまうのかもしれません。とはいえ、背景を理解せず、自分勝手な主張をするだけでは、誰の理解も得られないでしょう。
伝統や常識であっても、否定も妄信もせず、その背景を理解したうえで提案し、議論していく――。
朱子学と陽明学のどちらかではなく、「両方の学び」があってこそ、私たちは前に進めるのではないでしょうか。
本記事は、以下の特集記事の一部です。
江戸時代の学問や思想に興味のある方は、是非ご覧ください。



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