社会問題では「そんなのあり得ない」と強い言葉で否定する人がいます。
しかし、後に科学的な証明がなされ、責任の所在が問われた歴史もあります。
本記事では、水俣病と森鴎外の脚気問題を通じて、「否定者の責任」について考えます。
強い言葉の危うさ
議論の場では、断定的な否定の言葉を耳にすることがあります。
それは一見頼もしく響くかもしれませんが、歴史を振り返ると危うさを伴うことが分かります。
陰謀論と嘲笑う否定者
因果関係の証明が容易な問題は、すでに現代では多くが解決に向かっています。
しかし、今なお揺れている社会問題の多くは「因果関係の証明が難しいもの」ばかりです。
そうした議論の場では、「そんなのは間違いだ」「根拠がない」と、一方的に切り捨てるような言葉を耳にすることがあります。
危険性を訴える声が、科学的に裏づけがないという理由で「陰謀論」と片づけられ、討論番組などで嘲笑される光景すらあります。
科学の証明後に「否定の責任」は問われるべきか
けれども、科学的な証明が得られない間も、犠牲は出続けます。
否定する側は「因果関係が立証されていない」として認めませんが、やがて科学が進歩し、因果関係が明らかになることがあります。
そのとき、かつて否定していた人は「発言の責任」を問われるべきなのでしょうか。
それとも「当時は分からなかったのだから仕方がない」と済ませてよいのでしょうか。
歴史は、この問いに対していくつかの事例を示しています。
以下では「水俣病」と「脚気問題」を取り上げて、それぞれを見ていきましょう。
水俣病 ― 否定から補償への道
水俣病は、日本の公害史を象徴する出来事です。
最初は因果関係が否定され、被害が放置されましたが、やがて科学的に証明され、国と企業が責任を問われることになりました。
発見と否定の時代
1956年、熊本県水俣市で原因不明の病気が公式に確認されました。
患者は手足のしびれや震え、視野の狭まりなど、生活に深刻な影響を受けていました。
しかし、原因企業であるチッソや行政は「因果関係は不明」として、長らく被害を認めようとはしませんでした。
犠牲は拡大していたのに、科学的に立証されていないという理由で、対応が遅れたのです。
科学的証明と裁判
やがて研究が進み、病気の原因が工場排水に含まれる有機水銀であることが突き止められました。
チッソ水俣工場では、アセトアルデヒドを製造する過程で水銀を触媒として使用しており、その副産物として有機水銀(メチル水銀)が生成されていました。
この有機水銀を含む排水が長年にわたり海へ流され、魚介類に蓄積。地域住民は日常的に海の幸を食べていたため、体内に高濃度の有機水銀を取り込み、深刻な症状を引き起こしたのです。
この事実が科学的に明らかになると、国の政策や裁判の判断を大きく動かしていきました。
補償とその課題
1973年、最高裁判所は「国とチッソが責任を負う」と明確に判断しました。
否定から一転、社会全体として責任を引き受けざるを得なくなった瞬間でした。
💡重要
当時、チッソの排出していた有機水銀は規制制度の対象外であり、違法ではありませんでした。「合法」ではあったのですが、裁判では「法に規制がなくても被害を予見し、防止する責任があった」と判断されたのです。
これは刑事罰の遡及ではなく、民事責任の確認にあたります。
この判決を機に、被害者への補償制度が整備され、多くの人々が救済の対象となりました。
しかし、対応が遅れたことで、すでに多くの人々が命を落としており、その命が戻ることはありません。また、認定基準が厳しく、救済から外れる人も少なくありませんでした。
補償をめぐって地域社会が分断されるなど、課題は今も尾を引いています。
参考:水俣病 被害認定と補償の概数
区分 | 人数 (概数) | 備考 |
---|---|---|
認定患者総数 | 約3,000人 | 熊本・鹿児島・新潟の合計 |
認定患者のうち死亡者 | 約1,500人 | 認定時にはすでに亡くなっていた方も多数 |
未認定患者(申請者含む) | 数万人規模 | 厳しい基準により認定されず |
未認定のまま亡くなった方 | 不明(多数) | 記録が残らず、人数は推定できない |
特別措置法(2009年以降)申請者 | 約6万人 | 救済範囲を拡大して受付 |
特別措置法で救済された人数 | 約4万5千人 | 一時金と医療手帳の交付対象 |
数字を見ても、補償の遅れと限界が浮き彫りになります。
認定をめぐる線引きの厳しさが、多くの人を「救済の外側」に置き続けたことは否定できません。
チッソ株式会社は、現在も補償や裁判への対応を続けています。
同社の取り組みは公式サイトで公開されていますので、興味のある方は以下からご確認ください。
参考URL : 特措法に基づく水俣病問題の解決にあたって | 水俣病問題について|チッソ株式会社
雑学:チッソと「昭和の成長」
チッソは、肥料や化学製品を通じて日本の高度経済成長を支えた企業でもありました。
「成長の象徴」が同時に「公害の象徴」となったことは、日本の近代化の光と影を物語っています。
なお、高度経済成長期の日本で起きた「四大公害病」については、以下の記事でも詳しく紹介しています。興味のある方はぜひご覧ください。
森鴎外と脚気問題 ― 誤診と責任回避
水俣病と対比できる事例として、明治時代の陸軍で広がった脚気問題があります。
ここでも多くの犠牲が出ましたが、最終的に「補償」や「反省」には結びつきませんでした。
陸軍と脚気の惨禍
19世紀末、日本陸軍では脚気が深刻な問題となっていました。日清戦争や日露戦争では、戦死者に匹敵、あるいは上回るほどの兵士が脚気で命を落としたとされています。
日露戦争だけでも、脚気による死者は約2万7千人にのぼりました。
しかし、陸軍はこの犠牲を「戦場の不可避なもの」とみなし、根本的な対策を怠っていました。
鴎外の仮説と固執
当時の陸軍軍医総監(陸軍医療体制の最高責任者)であった森鴎外は、脚気の原因を「細菌による感染症」とする説を強く支持しました。その一方で、海軍が食事改善(麦飯や肉食の導入)によって脚気を克服していた事例を軽視し、陸軍に広めることを拒んだのです。
結果として、栄養不足に基づく予防策を取る機会を逃し、脚気による犠牲は拡大しました。
軍種 | 脚気患者数 | 脚気死者数 | 食事方針 |
---|---|---|---|
陸軍 | 約25万人 | 約2万7千人 | 白米中心、対策なし |
海軍 | ほぼゼロ | ほぼゼロ | 麦飯の他に、パンなど 近代的な洋食スタイルの食事を導入 |
陸軍と海軍の対応の差とビタミンの発見
1904年の日露戦争から数年後、1910年に日本人研究者(鈴木梅太郎)によって発見された「オリザニン」は、後に「ビタミン」と名付けられ、現代の栄養学にも大きな影響を与えています。
脚気も、オリザニン(ビタミンB1)の欠乏症であることが科学的に証明されます。
陸軍の森鴎外と海軍の高木兼寛の脚気対応の違いについては、以下の記事で詳しく紹介しています。
反省なき晩年
鴎外は晩年になっても「当時の判断としてはやむを得なかった」と主張し続けました。
脚気で亡くなった兵士の遺族が、鴎外や国に責任を直接追及した動きは確認されていません。当時は軍や国家に異を唱えること自体が難しく、また因果関係の科学的理解も不足していたためです。
そのため、遺族は「戦病死者遺族」として一般的な補償を受けるにとどまりました。
鴎外や陸軍の判断が厳しく批判されるようになったのは、ずっと後になってからのことです。
また、陸軍や政府も公式に反省を示すことはなく、脚気死は「戦病死」として処理され、特別な補償や検証が行われることはありませんでした。
こうして責任を明確にせず、補償も制度化されないまま、多くの犠牲が歴史に埋もれてしまったのです。
雑学:軍医鴎外と文学
森鴎外は文学者として名を残しましたが、軍医としての経験も彼の作品に影を落としています。
小説『高瀬舟』には「死や責任回避」といったテーマが描かれており、医学と軍隊での体験が彼の文学的関心に影響を与えたと考えられます。
犠牲への向き合い方の違い
水俣病と脚気問題を並べてみると、犠牲への向き合い方に大きな違いがあることが分かります。
以下の表は、その主な違いを整理したものです。
観点 | 水俣病 | 脚気問題(森鴎外・陸軍) |
---|---|---|
因果関係の認定 | 科学的証明後に認定。 国と企業の責任が明確化 | 科学的証明が進んでも、 鴎外は仮説に固執し認めず |
補償・救済 | 補償制度を整備。 不十分ながらも被害者・遺族に対応 | 一般的な戦病死者補償のみ。 脚気特有の補償は制度化されず |
遺族の声 | 遺族や被害者が裁判で声を上げ、 社会を動かした | 遺族による直接的な追及は 確認されず。 当時の社会環境では困難 |
社会的評価 | 公害行政の教訓として後世に活かされる | 後世に「失策」として批判。 歴史に埋もれた犠牲も多い |
否定者の責任は問われるべきなのか
今回紹介した水俣病と脚気の事例では、「因果関係を否定した」後に科学的に証明された点では共通し、その後の対応・責任の取り方には明確な違いがありました。
読者の皆様はどのように感じたでしょうか?
森鴎外の態度に対し、チッソの対応に誠意を感じる方もいるでしょう。合法行為だったにも関わらず責任を問われたチッソに、どこか釈然としない思いを抱く方もいるかもしれません。しかし、その“釈然としなさ”こそ、社会が抱えるジレンマを示しているのかもしれません。
発言する前の「ひと呼吸」
今日も気候変動や環境破壊、新技術のリスクなど、因果関係が完全には分からない問題が存在します。そうした中で「まだ証明されていない」と否定する声が上がるのは、当然の事でしょう。
しかし、そんな声をあげる時には、私たちは「ひと呼吸」おいて冷静になるべきではないでしょうか。同じ過ちを繰り返さないためにも、歴史を振り返って考えを巡らせるのです。もし将来、科学的に因果関係が証明されたとき、責任はどうするのかと。
水俣病のように責任を引き受ける社会とするのか、鴎外のように言い訳で終わるのか――その選択は私たち次第です。
未来に同じ過ちを残さないために、いま何を語り、どう行動するのかが問われています。
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