💡この記事は、【特集】英語から見る文化の違い の一部です。
英語で「努力する」と言いたいとき、どんな表現が思い浮かぶでしょうか。
effortやstriveといった言葉が思い当たるかもしれませんが、どこかしっくりこないと感じたことはないでしょうか。
本記事では、「努力」という言葉を英語に訳す過程で生まれる違和感を手がかりに、日本語の中に含まれている価値観や背景を整理していきます。
単なる訳語の確認にとどまらず、言葉の奥にある構造に目を向けるきっかけになれば幸いです。
努力は英語で何と言う?
英語に訳す場面を具体的に想定しながら、「努力する」という表現がどのように言い換えられているのかを見ていきます。
effortやstriveで表せるのか
英語で「努力」に近い表現としては、effortやstriveがよく挙げられます。
effortは「力を使うこと」「労力」といった意味を持つ名詞で、
make an effortといった形で「努力する」「頑張る」といった意味になります。
日常的にもよく使われる、比較的柔らかい表現です。
一方のstriveは、「目標に向かって努力し続ける」「懸命に取り組む」といった意味を持つ動詞で、やや硬く、継続的な取り組みを表すニュアンスがあります。
日本語でいう「研鑽する」に近い側面もある表現です。
どちらも「努力する」と訳すことは可能であり、場面によっては適切に対応しています。
しかし、日本語の「努力する」と完全に一致しているかと言われると、少し違和感が残ることがあります。
それでも感じる違和感
たとえば、「これからも努力します」といった表現を英語にしようとすると、どの言葉を選べばよいのか迷うことがあります。
make an effortでは少し軽く感じられ、striveではやや大げさに聞こえる。
どちらも意味としては近いはずなのに、しっくりこない感覚が残ります。
この違和感は、単語の選択の問題というよりも、「努力」という言葉が何を含んでいるのか、その前提の違いから生じている可能性があります。
日本語の「努力する」は何を含んでいるのか
英語との比較に入る前に、日本語の「努力する」という言葉がどのようなニュアンスを持っているのかを整理してみます。
「頑張る」「研鑽する」との違い
似たような場面で使われる言葉として、「頑張る」や「研鑽する」があります。
「頑張る」は、前向きに取り組む姿勢や意志を表す言葉です。
目標に向かって踏ん張るような、感情的な力の向きが感じられます。
「研鑽する」は、自分を高めるために学び続けることを意味します。
結果よりも、自己の向上そのものに焦点が当たる言葉です。
それに対して「努力する」は、これらを含みながらも、少し異なるニュアンスを持っています。
努力するに含まれる価値観
「努力する」という言葉からは、
結果がどうなるか分からない中でも続ける行為
というニュアンスが感じられます。
必ずしも成功が約束されているわけではない。
それでもなお続けることに意味があるとされる。
この「行為そのものが評価される」という点が、「努力」という言葉の特徴のひとつです。
そのため、日本語では結果が伴わなかった場合でも、「努力したこと」が一定の価値として認められる場面があります。
補足:なぜ「努力します」は曖昧に聞こえるのか
この性質は、ビジネスの場面では少し異なる印象を生むことがあります。
「努力します」という表現は、行為の意思を示しているものの、結果については明確にしていません。そのため、場合によっては曖昧に聞こえることがあります。
一方で、日本語の中ではそれでも一定の誠実さを感じさせる表現として受け取られることもあり、この点にも言葉の持つ価値観の違いが表れています。
effortとの違いから見える構造のズレ
ここで改めて、英語のeffortと日本語の「努力」を比較してみます。
effortは「行為」を表す言葉
effortは基本的に、「何かを達成するために力を使うこと」を表す言葉です。
そこには、成功したかどうか、結果がどうだったかといった評価は含まれていません。必要であれば、successfulやwastedといった形で、後から評価が付け加えられます。
つまり、effortはあくまで中立的な「行為」を表す言葉です。
日本語の努力は「価値」を含む言葉
一方で、日本語の「努力」は、行為そのものに価値があるとする前提を含んでいます。
結果が出たかどうかとは別に、「努力した」という事実が評価の対象となる。
このように、言葉の中に価値判断が組み込まれている点が特徴的です。
「訳せるが一致しない」という状態
この違いから、
effortを「努力」と訳すこと自体は可能であっても、
完全に同じ意味を持つわけではない
という状況が生まれます。
意味としては対応しているが、前提となる考え方や評価の軸が異なる。そのため、翻訳したときに一部のニュアンスが抜け落ちるように感じられるのです。
補足:striveはどのような位置づけの言葉か
striveは「目標に向かって努力し続ける」という意味を持ち、方向性や継続性を強く含む表現です。そのため、単に行為を指すeffortとは異なり、「どこへ向かっているか」という前提が含まれています。
ただし、それでもなお、日本語の「努力」に見られるような「行為そのものに価値がある」という意味までは含まれていません。
この点において、striveもまた「努力」と完全に一致する言葉ではないといえます。
なぜ努力には価値が含まれるのか
このような違いは、日本語の言葉がどのような背景のもとで形作られてきたのかと関係しています。
仏教的な修行観
仏教には、結果そのものではなく、過程に意味を見出す考え方があります。
修行は必ずしも分かりやすい成果を伴うものではありませんが、それでも続けること自体に意味があるとされます。このような考え方は、「報われない可能性を含んだ行為」に価値を見出す感覚につながっています。
- 結果に関係なく続ける価値
- 行為そのものの意味
儒学的な自己修養
儒学において重視されるのは、「修養」という考え方です。
修養とは、人としての徳を高めるために、日々の行いを通じて自分を整えていくことを指します。ここでの関心は、単に結果を出すことではなく、「どのような人間であるか」という点にあります。
このような考え方のもとでは、継続して自分を磨く行為そのものに意味が見出されます。
社会の中で役割を果たすためにも、人は自己を高め続けるべきであるとされます。
こうした「修養」の価値観は、後に日本語の「努力」という言葉に含まれる、「続けること自体に意味がある」という感覚と重なる部分を持っています。
- 人として努力すべきという規範
- 継続によって何かに至るという前提
朱子学が広がった江戸社会では、控えめに慎み深く行動することが重んじられました。
こうした価値観の中で、努力や勤勉さも評価の対象となっていきます。
💡関連記事:朱子学で読み解く江戸社会 ― 忠義と秩序の時代
「努力」における仏教と儒学の整理
儒学における修養と、仏教における修行は、いずれも継続的な営みを重視する点で共通しています。しかし、その意味づけには違いがあります。
仏教では、結果への執着を離れることが重視され、行為そのものに意味が見出されます。一方で儒学では、徳を高めるという到達の方向性が前提とされ、その過程として継続が位置づけられます。
- 共通点:継続に意味がある
- 仏教:結果を手放す
- 儒学:結果に向かう
- 努力:両方を内包する
この二つの考え方が重なることで、日本語の「努力」には、「続けること自体に意味がある」と同時に、「そうあるべきである」という価値観が含まれるようになっていると考えられます。
近代以降の「努力は美徳」という価値観
近代以降の教育を通じて、「努力は良いことである」という価値観が広く共有されるようになりました。こうした考え方は、明治期の教育制度の整備を起点に、戦前・戦後を通じて形を変えながら現在に至るまで受け継がれています。
勤勉さや継続が評価される社会的な風土の中で、「努力」という言葉は、行為だけでなく倫理的な意味合いも持つようになっていきます。
日本では、教育を通じて「望ましい行動や考え方」が共有されてきました。
こうした価値観がどのように形作られてきたのかについては、修身や道徳教育の変化を手がかりに見ることができます。
💡関連記事:道徳教育は宗教か思想か ― 倫理・修身との違いから考える
補足:努力が評価される理由
結果だけでは測ることが難しい行為を評価するための基準として、「努力」は機能してきたとも考えられます。
個人の行為と社会の評価をつなぐ役割を担うことで、「努力」という言葉は現在のような意味合いを持つようになったのかもしれません。
言葉の違いは世界の見え方の違い
単語の意味だけであれば、effortを「努力」と訳すことは可能です。
しかし、その言葉に含まれている価値観や前提まですべてを移し替えることはできません。
翻訳は対応関係を示すことはできても、言葉の背後にある構造までは完全には再現できないのです。
言語を通して見える文化の違い
今回の「努力」という言葉のように、言語の違いはそのまま文化や考え方の違いを反映しています。英語と日本語に限らず、他の言語でも同様のズレが存在している可能性があります。
普段何気なく使っている言葉にも、その背景には歴史や思想が積み重なっています。
翻訳の違和感をきっかけに、言葉の構造や前提を見直してみることで、これまで当たり前だと思っていたものを別の視点から捉えることができるかもしれません。
本記事は「英語から見る文化の違い」特集の一部です。
この特集では、英語の言葉を手がかりに、文化や宗教観の違いを読み解いていきます。

