Belgiumなのになぜベルギー? ― オランダを通して見る歴史と由来

ベルギーとオランダ 言語

英語での国名「Belgium」を見ると「ベルジェム」のような読み方になりそうです。
しかし日本では「ベルギー」と呼ばれています。

この呼称はどこから来たのでしょうか。

正確な由来は分かっていませんが、その背景を辿っていくと、ベルギー建国の歴史や、鎖国時代の日本がどのようにヨーロッパを認識していたのかが見えてきます。

ベルギーとオランダはもともと同じ地域だった

現在では別々の国として知られるベルギーオランダですが、歴史を遡ると、両国はもともと同じ地域に属していました。

その歴史を理解すると、なぜベルギーという国が誕生したのか、そして日本がどのような形でこの国を認識したのかが見えてきます。

ネーデルラント地方とは何か

ベルギーやオランダ、ルクセンブルク周辺の地域は、歴史的に「ネーデルラント」と呼ばれていました。

ネーデルラントとは「低い土地」を意味する言葉で、その名の通り海抜の低い平坦な土地が広がっています。北海に面したこの地域は古くから商業海運が盛んで、ヨーロッパ有数の豊かな地域として発展しました。

現在では国境によって分けられていますが、中世の人々にとっては一つの経済圏としての性格が強く、文化的にも多くの共通点を持っていました。

カトリックとプロテスタントの対立

16世紀になると、ヨーロッパでは宗教改革が広がります。

ドイツで始まった宗教改革はネーデルラント地方にも大きな影響を与えました。特に北部ではプロテスタントが広まり、スペイン王家と結びついたカトリック勢力との対立が深まっていきます。

当時のネーデルラント地方はスペイン・ハプスブルク家の支配下にありました。スペイン王フェリペ2世はカトリック信仰を重視し、異端とみなしたプロテスタントへの弾圧を強化します。

しかし商業都市が発達していた北部では反発が強まり、やがて独立運動へと発展していきました。

スペインとオランダの戦争は1648年に終結し、オランダ共和国の独立が正式に承認されました。
江戸時代初期の日本が交流を始めたオランダは、独立戦争を戦っていた時代の国家でした。
💡関連記事:江戸時代のオランダの宗教観 ― スペインから独立した国家の選択

異なる道を歩んだ北部と南部

宗教対立の結果、ネーデルラント地方は次第に北部南部で異なる道を歩むようになります。

北部ではプロテスタント勢力が優勢となり、後のオランダ共和国へとつながる独立運動が進みました。

一方、南部ではカトリックの影響が強く残り、スペインの支配下にとどまります。

この南部地域が、後のベルギーの基礎となる地域です。

現在のベルギーとオランダは隣国ですが、その背景には宗教改革時代から続く長い歴史があります。

補足:オランダが宗教的寛容へ向かった理由

オランダは独立後、ヨーロッパの中でも比較的宗教に寛容な国として知られるようになります。

その背景には、カトリックとプロテスタントの対立を経験した歴史や、国際貿易によって様々な人々と共存する必要があった事情がありました。

日本が鎖国時代に交流を続けたヨーロッパ国家がオランダだったことも、こうした歴史と無関係ではありません。

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ナポレオン戦争が生んだ再統合

18世紀末から19世紀初頭にかけて、フランス革命ナポレオン戦争によってヨーロッパの政治地図は大きく変化します。

ネーデルラント地方もフランスの支配下に置かれ、北部と南部は再び同じ政治体制のもとに組み込まれました。

ナポレオン失脚後の1815年、ヨーロッパ列強はフランスへの対抗勢力として、北部と南部を統合した「ネーデルラント連合王国」を成立させます。

しかし、この再統合は長くは続きませんでした。

ベルギーはなぜ独立したのか

北部と南部は長い歴史の中で異なる発展を遂げていました。

宗教では北部が主にプロテスタント、南部が主にカトリックでした。
また言語や経済構造にも違いがあり、統一国家の運営には多くの課題がありました。

こうした不満が積み重なり、1830年にベルギー独立革命が発生します。

その結果、南部地域はネーデルラント連合王国から離脱し、ベルギー王国として独立しました。

現在のベルギーは、この1830年の独立によって誕生した比較的新しい国家なのです。

補足:日本から見たベルギー独立の時期

ベルギーの建国は1830年です。
日本ではまだ江戸時代後期にあたり、ペリー来航よりも20年以上前の出来事でした。
つまりベルギーという国は、日本が本格的に開国する前に誕生した国だったのです。

ベルギーが建国された頃の日本

1830年にベルギーが独立した頃、日本はまだ江戸幕府による鎖国体制のもとにありました。

しかし、海外との接触が完全に途絶えていたわけではありません。むしろ幕府は限られた窓口を通じて海外情勢の把握に努めており、その中心にいたのがオランダでした。

ペリー来航前の日本の対外関係

1853年のペリー来航は、日本が初めて西洋と接触した出来事のように語られることがあります。

しかし実際には、その以前から日本はロシアイギリスなどとの接触を経験していました。

18世紀末にはロシア船が来航し、19世紀に入るとイギリス船も日本近海に現れるようになります。

日本は1806年から1807年にかけて、通商交渉が決裂したロシアから攻撃を受けますが十分な対応が行えませんでした。(文化露寇)
また、1808年にはイギリス軍艦が長崎港に侵入して人質を取り、日本は要求された物資を提供するしかありませんでした。(フェートン号事件)
💡関連記事:ペリー来航前の外圧 ― 露・英との接触と衝突

幕府はこうした動きを警戒しながらも、海外情勢の情報収集を続けていました。

その際に重要な役割を果たしたのが、長崎・出島を通じたオランダとの交流です。

江戸時代の外国語事情

鎖国時代の日本において、西洋の知識を学ぶための主要な言語はオランダ語でした。

医学や天文学、地理学などの知識は、主にオランダ語の書物を通じて伝わりました。こうした学問は「蘭学」と呼ばれ、多くの知識人たちが学んでいます。

蘭学とはオランダの学問ではなく、オランダを通じて入ってきた西洋の学問全般でした。
💡関連記事:蘭学とは ― 西洋科学に揺れた江戸社会の「警戒」と「受容」

そのため、幕末の日本人にとって最も身近なヨーロッパ言語は英語ではなく、むしろオランダ語だったと言えるでしょう。

実際にペリー来航の際にも、当初はオランダ語を介して交渉が行われた場面がありました。

アメリカ人は日本語が分からず、日本人も英語が分からない幕末の時代、
両国が共通で通訳できるオランダ語は交渉において重要な役割を担いました。
💡関連記事:ペリーとの交渉はオランダ語? ― 英語と日本語を繋いだ鎖国日本のヨーロッパ言語

明治維新後に広がったヨーロッパとの交流

1868年の明治維新以降、日本は急速に西洋諸国との関係を拡大していきます。

それまで限られていた外国との交流は一気に広がり、多くの国々と外交関係が結ばれるようになりました。

もちろんベルギーもその一つです。

近代国家として歩み始めた日本は、ヨーロッパ各国との修好通商条約を締結しながら国際社会への参加を進めていきました。

日本の国際社会との関係構築は、各国と不平等条約を結ぶことから始まっていきます。
ベルギーとの間には、1871年(明治4年)に日白修好通商条約が結ばれます。
💡関連記事:オーストリアやスイスとも? ― 明治に結んだ追加の不平等条約

現在ではベルギーは小国という印象を持たれることもありますが、当時はヨーロッパ有数の工業国の一つとして存在感を持っていました。

日本が近代国家として国際社会へ参加していく過程で、ベルギーもまた重要な交流相手の一つだったのです。

補足:当時の日本人が学んだ外国語

現代では英語が圧倒的な存在感を持っていますが、明治初期の日本では複数のヨーロッパ言語が重要視されていました。

オランダ語は蘭学の伝統を受け継ぎ、医学や学術分野で大きな影響力を持っていました。
フランス語は法律や外交の分野で重視されます。
ドイツ語は医学や軍事分野で存在感を高めました。
そして英語は、イギリスやアメリカの影響力の拡大とともに徐々に主流となっていきます。

現在の日本語には、こうした複数の言語から取り入れられた言葉が数多く残されています。

近代国家のモデルとされたフランスの影響は、服飾関係の外来語にも見ることができます。
💡関連記事:ズボンやボタンはフランス語? 語源でたどる明治日本の西洋化

Belgiumはなぜ「ベルギー」になったのか

ここまで見てきたように、日本がベルギーという国を認識した時代には、英語だけでなくオランダ語やドイツ語、フランス語など様々な言語が使われていました。

では、「ベルギー」という呼称はどこから生まれたのでしょうか。

英語のBelgiumの発音

英語の Belgium は /ˈbel.dʒəm/ と発音されます。

語尾の「-ium」は日本語の「イアム」ほど明確には発音されず、「ベルジャム」「ベルジェム」の中間のような響きになります。

この英語の発音は、日本語の「ベルギー」とはかなり異なる印象を受けます。

日本語の「ベルギー」が、英語の発音から定着したと考えるのは少し難しいと感じます。
それでは他の言語ではどうなのでしょうか。

オランダ語・ドイツ語・フランス語では何と呼ばれているのか

日本がベルギーを認識し始めた時代、ヨーロッパの情報は英語だけを通じて入ってきたわけではありません。

江戸時代にはオランダ語が重要な外国語であり、明治時代になるとドイツ語やフランス語も広く学ばれるようになります。

そこで、ベルギーという国名が各言語でどのように呼ばれているのかを見てみましょう。

言語表記発音の目安
英語Belgiumベルジャム、ベルジェム
オランダ語Belgiëベルヒエ、ベルギエ
ドイツ語Belgienベルギーン
フランス語Belgiqueベルジック
各言語でのベルギーの国名表記とその発音

※発音は日本語で近い音を表したものであり、実際の発音とは異なります。

このように並べてみると、日本語の「ベルギー」は英語よりもオランダ語やドイツ語に近い印象を受けます。

もちろん、これだけで語源を断定することはできません。

しかし、江戸時代から明治初期の日本人が主にオランダ語やドイツ語の資料に触れていたことを考えると、「ベルギー」という呼称が定着した背景を想像することはできそうです。

補足:日本語の国名には英語由来ではないものも多い

実は、日本語の国名には英語以外の言語から定着したものが少なくありません。

例えば日本語で「ドイツ」と呼ぶ国は、英語ではGermanyと呼ばれます。
日本語のドイツは、ドイツ語の Deutsch に由来すると考えられています。

「ベルギー」という呼称はどこから来たのか

現在のところ、「ベルギー」という日本語表記がどの言語から生まれたのかを断定できる資料は見つかっていません。

しかし、日本がベルギーを認識し始めた時代背景を考えると、オランダ語やドイツ語などの影響を受けた可能性は十分に考えられます。

少なくとも、日本人がベルギーという国を知った時代は、まだ英語だけが圧倒的な地位を持つ時代ではありませんでした。

国名の疑問から繋がる世界と歴史

Belgiumなのになぜベルギーなのだろう――。
そんな身近な疑問からも、ヨーロッパや日本の歴史や、宗教の歴史などが見えてきます。

歴史を知り、日本と密接な関係にあったオランダを通して「ベルギー」を見ると、遠いヨーロッパの国も決して無関係な存在ではなく、日本の歴史ともつながる身近な国のように思えてきます。