💡この記事は、「【特集】英語から見る文化の違い ― 言葉に刻まれた価値観と世界観」の一部です。
英語の justice は、日本語では一般に「正義」と訳されます。
現代では、どちらも宗教的な言葉として意識されることはほとんどありません。
しかし、その言葉が辿ってきた歴史や背景を見ていくと、
同じように見える justice と「正義」には、異なる前提や感覚があることが分かります。
本記事では、英語という視点から「正義」という言葉の由来と意味を整理し、
言葉の違いから文化の違いを読み解いていきます。
justiceと正義は同じ意味なのか
まず最初に、justiceと正義が同じ意味として使われているのかを確認します。
辞書上の説明比較
justiceと正義は、一般的な辞書で以下のような言葉で説明されます。
- justice
「正義」「公正」「公平」 - 正義
「正しい道理」「不正を正すこと」
英語の justice は一般に「正義」と訳され、日本語の正義もまた justice と訳されます。
現代の辞書においては、概ね両者は同じ意味として扱われていると言えるでしょう。
実際の使われ方
実際のニュースや法律、日常的な文脈においても、
justice と「正義」は、ほぼ同じ意味の言葉として使われています。
ほぼ同じ意味として使われているjusticeと正義という言葉の関係はどうなっているのでしょうか。
まずは日本語の「正義」という言葉の由来を辿ります。
正義という言葉とjusticeの翻訳史
「正義」という言葉は、近代に新しく作られた言葉ではありません。
しかし、現在私たちが使っている意味合いは、歴史の中で形づくられたものです。
漢語としての「正義」
「正義」は、「正」と「義」という二つの漢字から成り立っています。
「正」は、まっすぐであること、秩序にかなっていることを意味します。
「義」は、道理や筋、人として踏み外してはならない在り方を指します。
この組み合わせとしての「正義」は、
宇宙や社会の秩序に照らして筋が通っているかどうか
という意味合いが強い言葉でした。
この時点では、少なくとも、誰かを裁き、断罪するための概念として前面に出ていたわけではありません。
翻訳によって意味づけされた正義
近代に入り、西洋思想が流入する中で、justice という概念を日本語で表現する必要が生じました。その際、既に存在していた「正義」という語が、justice の訳語として用いられます。
ここで起きたのは、新しい言葉の創造ではなく、既存の語に新しい意味が重ねられるという変化でした。
「正義」という言葉は、
justice の背景を受け止める器として選ばれ、その意味づけが再編されていきます。
その結果、現代においてjusticeと正義は、「表面上整合がとれている」状況にあるといえます。
同じような背景を持った言葉に、「宗教」という言葉があります。
以下の記事では、religionの翻訳史を辿り、その言葉と概念を確認します。
💡関連記事:意外と新しい「宗教」という言葉・概念 ― religionの翻訳史
それではそもそもjusticeという英単語はどういった言葉なのでしょうか。
justiceという言葉の成り立ち
英語の justice は、単なる「正しさ」を表す言葉ではありません。
その背景には、長い宗教的・思想的な蓄積があります。
語源から見る justice
justice は、ラテン語 iustitia に由来します。
この語は、「法」「権利」「正当性」といった概念と結びついて発展してきました。
重要なのは、この「正しさ」が、
人間同士の合意や状況判断によって決まるものではなかった、
という点です。
正しさとは人が作るものではなく、客観的に存在するものであり、人の感情や都合で変えてよいものではないと考えられました。
ストア派の自然法思想や、ロゴス(理性・宇宙秩序)などと深く結びつき、「人を超えた正しさ」という発想が、すでに強く共有されていました。
この時点では、
少なくともキリスト教的な人格神を前提とした概念ではありませんでした。
神が定める正しさという前提
ラテン語の iustitia は、キリスト教の価値観の影響を受けて変化していきます。
キリスト教文化圏では、神が究極の裁定者であるという世界観が共有されてきました。
そういった中で、iustitia の
「客観的正しさ」「人を超えた正しさ」という根拠は、
次第に「神」に置き換えて解釈
されるようになります。
justice は、こうした前提のもとで育った言葉です。
正しさは神や神的秩序に照らして判断され、人間はそれを執行する立場に置かれていました。
日本語の「神」と英語の「God」の認識のズレ
日本語の神と、英語のGodにはそのニュアンスに大きな違いがあります。
以下の記事で詳しくまとめていますので、関心のある方は是非ご覧ください。
正義が定める不正義という構造
正義が明確に定義されるということは、同時に「正しくないもの」も定義されるということです。
善悪二分が生み出す力
善と悪をはっきりと分ける構造は、秩序や統治において強い力を持ちます。
何が正しく、何が誤っているのかを明確に示すことは、社会を安定させるための有効な手段でもあります。
一方で、この構造は、排除や断罪を正当化しやすい側面も持っています。
正義が絶対的なものとして扱われるほど、その影響力は大きくなります。
justiceが持つ重さ
justice という言葉が強い響きを持つのは、その歴史と無関係ではありません。
裁きや価値判断と結びついてきた背景が、この言葉に独特の重さを与えています。
現代におけるjustice / 正義
現代社会において、英語のjustice, 日本語の正義はどのように使われているのでしょうか。
宗教性が薄れた現代的用法
ニュースや法律の場面で使われる justice は、神や信仰を前提とした言葉ではありません。
この意味で、justice は世俗化した概念だと言えるでしょう。
日本語の正義は、そもそも宗教を前提とした言葉としては認識されていないと言えます。
正しさに従って行動することを表す場面で、広く使われています。
変わらない構造
正義の宗教性は薄れても、その構造は変わりません。
絶対的な正しさを定めれば、必ずその対極には正されるべき考え方や存在が定められます。
娯楽コンテンツなどでは、正義のヒーローが悪を退治する、勧善懲悪の構造がよく見られます。
英語と日本語の「正しさ」の前提
日本では、正しさは状況や関係性に応じて判断されるものとして扱われてきました。
法と正義、正しさと裁きは、必ずしも一致しないという感覚が根付いています。
一方、英語圏(特にキリスト教文化圏)では、「法の正しさ」に従うことが前提の現代社会においても、その法は絶対的な正しさに準拠しているという前提意識が残っています。
言語から文化を理解する視点
言語の違いは文化の違いでもあります。
justice / 正義は、翻訳によって表面的に揃えられた言葉といえます。
現代ではその宗教性も薄れています。
しかしその言葉の前提意識は異なっており、必ずしも同じニュアンスで感じ取られるとは限りません。
これは、どちらが正解という話ではなく、ただ歴史や文化によって言葉の受け取り方に違いが生じているに過ぎません。
言葉の違いを単純な語彙の違いと受け止めるのではなく、その言葉に感じる文化的背景も理解すれば、相手の考え方を尊重することにも役立つのではないでしょうか。
本記事は「英語から見る文化の違い」特集の一部です。
この特集では、英語の言葉を手がかりに、文化や宗教観の違いを読み解いていきます。



