「宗教」という言葉は、私たちの生活や法律、国際ニュースの中で当たり前のように使われています。しかし、この言葉が現在の意味で日本社会に定着したのは、実はそれほど古いことではありません。
本記事では、「宗教」という言葉がもともと持っていた意味と、近代日本でどのように再定義されたのかを、翻訳史の視点から整理していきます。
意味が変化した「宗教」という言葉
「宗教」という言葉は、日本で新しく作られた完全な造語ではありません。
漢字文化圏、とくに仏教の世界では、古くから使われてきた語です。
ただし、その意味は、私たちが現在使っている「宗教」とは大きく異なっていました。
中国・仏教文脈で使われていた「宗教」
中国や日本の仏教文献において、「宗教」という語は、主に宗派の教えや教義を指す言葉でした。
ここでの「宗」は宗派や根本的な立場を、「教」はその教えの内容を意味します。
つまり本来の「宗教」とは、
- 仏教内部での分類語
- ある宗派がどのような教えを説くかを示す言葉
であり、社会全体を包括する抽象概念ではありませんでした。
日本語としての「宗教」 ― 現代的意味との違い
一方、現代日本語の「宗教」は、
- 信仰の有無
- 教義の内容
- 教団や組織
- 儀礼や戒律
といった要素をまとめて指す、非常に広い概念として使われています。
同じ漢字を用いていても、指している範囲や役割は、近代以前とはまったく異なっているのです。
ここで重要なのは、
「宗教」という語は存在していたが、
現在の意味での「宗教」という概念は存在していなかった
という点です。
日本に取り入れられた「宗教」という概念
この意味の転換が起こった背景には、日本が西洋社会と本格的に接触し、近代国家として再編されていく過程があります。
江戸時代の対外交渉と翻訳の問題
江戸時代後期、日本は欧米諸国との条約交渉に直面します。
その中で頻繁に現れたのが、英語の religion という語でした。
しかし当時の日本には、religion に対応する包括的な概念がありませんでした。
そのため通訳たちは、状況に応じて、
- 宗
- 宗旨
- 教え
- 信心
- 法
といった語を使い分けて対応します。
幕末に締結した日米修好通商条約では、第8条が宗教に関する条項となっています。
この条項により、居留外国人の信仰の自由が認められ、日本国内における教会(礼拝施設)の建設も、条約相手国の権利として容認されました。
不平等条約とキリスト教禁止政策の関係については、以下の記事で詳しく解説しています。
💡関連記事:キリスト教禁教の崩壊序章 ― ペリー来航と不平等条約の宗教条項
「訳せなかった」のではなく「概念がなかった」
ここで起きていたのは、単なる語彙不足ではありません。
日本社会には、
- 信仰を社会制度として一括りにする発想
- 個人の内面としての信仰を法的に保障する考え方
そのものが存在していなかったのです。
そのため religion をどう訳すかは、言葉の問題である以前に、社会の前提が共有されていない問題でした。
明治時代に行われた「宗教」の再定義
明治維新後、日本は近代国家としての制度を急速に整えていきます。
その中で、西洋由来の概念を翻訳し、整理する作業が行われました。
この過程で、「宗教」という語は religion の訳語として再定義され、
社会制度上の概念として定着していきます。
この整理に大きな影響を与えたのが、西周(にし あまね) をはじめとする明治期の思想家たちでした。
西周は、西洋哲学や思想を日本語で理解可能な形に整理する過程で、多くの新しい訳語を生み出しました。philosophy の訳語としての「哲学」も、その代表的な例の一つです。
以下の記事では、「テーゼ」という外来語から、明治期の翻訳の歴史を振り返っています。
💡関連記事:「テーゼ」という外来語 ― 明治日本に取り入れられた西洋哲学
仏教は「宗教」へ
仏教は、近代国家の枠組みの中で、明確に「宗教」として位置づけられました。
教団、教義、信仰を持つ存在として、religion の定義に当てはめられていきます。
神道の特殊な扱い
一方で神道は、単純に「宗教」とは整理されませんでした。
明治政府は神道を、
- 国家の祭祀
- 道徳や国体の基盤
と位置づけ、「宗教ではないもの」として制度化します。
いわゆる国家神道の成立です。
この整理は、後に「神道は宗教なのか」という議論や、政教分離をめぐる複雑さを生むことになります。
宗教という訳語や概念が社会に十分浸透する以前の、明治初期の日本では、依然としてキリスト教は禁止されていました。
仏教の整理や神道・キリスト教の扱いなどについては、以下の記事で解説しています。
💡関連記事:明治新政府によるキリスト教の禁止 ― 五榜の掲示と宗教再編
政教分離と信教の自由へ
明治期に日本で導入された政教分離や信教の自由は、しばしば「近代的価値観の導入」として語られます。しかし実際には、それらは思想的成熟の結果というよりも、国際社会との関係や条約改正を見据えた、政治的判断として採用された側面が強いものでした。
ただし、こうした制度を成立させるためには、前提となる「宗教」という概念の整理が不可欠でした。
政教分離とは、政治と宗教を分ける制度であり、信教の自由とは、宗教を信じるか否かを国家が強制しないという原理です。いずれも、「宗教とは何を指すのか」が定義されていなければ、制度として運用することはできません。
江戸時代までの日本では、信仰・慣習・国家祭祀が明確に分離されておらず、宗教を一つの社会的領域として切り出す発想自体が存在していませんでした。
明治期に religion の訳語として「宗教」という言葉が再定義され、信仰や教義、教団をまとめて指す概念として整理されたことで、はじめて政教分離や信教の自由といった制度を語る土台が整えられたと言えます。
制度的な経緯や禁教解除との関係については、以下の記事で詳しく解説しています。
💡関連記事:明治のキリスト教禁教解除 ― 「信教の自由」を認めた背景と影響
日本と世界における「宗教」の捉え方
近代以降、「宗教」と religion は、制度や法律の上ではほぼ同じ意味で使われています。
現代では近づいた religion と 宗教
国際条約、憲法、学術分野において、「宗教」は religion の訳語として問題なく機能しています。
実務的には、両者はほぼ同義と言ってよいでしょう。
辞書的な意味 ― 英語のreligionと日本語の宗教
英語の religion という単語は、一般的な英英辞書では、
神や神々といった超越的な存在への信仰や崇拝を指す
として説明されています。
一方、日本語の辞書においても「宗教」は、
神や神聖なものへの信仰、その教えや行いを含む概念
として定義されています。
辞書によって表現の違いはあるものの、現代の辞書的な意味に限って見れば、英語の religion と日本語の「宗教」は、ほぼ同じ概念として説明されていると言えるでしょう。
それでも残るズレと違和感
しかし、日本社会では、宗教が生活習慣や文化と深く混ざり合っています。
- 初詣に行く
- 葬儀は仏式
- 結婚式は神前や教会風
といった行動をしながら、「宗教は特にない」と答える人が多いのも、この背景によるものです。
これは無宗教というよりも、英語的な religion の枠に当てはまらない感覚と言えるでしょう。
私たちは「宗教」をどこまで理解しているのか
宗教とは何か、信仰とは何かという問いは、日本では近代になって初めて本格的に導入されたものでした。
近代西洋における religion は、起源や基準をキリスト教に置きつつも、すでにキリスト教以外の信仰体系を含めて指す一般概念として用いられていました。
ただし、その中には明確な価値序列が存在していたことも見逃せません。キリスト教を「religion = 宗教」と定義し、その他の信仰を「その価値観に当てはめた」ともいえるでしょう。
私たちは現代でも、宗教という言葉を使い続けていますが、その言葉の意味をどこまで理解しているのでしょうか。
言語の成り立ちを学ぶと、日本人が思い描く八百万の神々や、自然への感謝への思いは、西洋から翻訳された宗教という言葉・概念と同じものなのか、改めて考えさせられます。
近年では、「いただきます」という日本の食前の挨拶が宗教だという意見も耳にします。
以下の記事では、日本と西洋の食前の祈りについて、宗教・文化的な観点から比較しています。
関心のある方は、是非合わせてご覧ください。

