韓国の文字体系の歴史 – 漢字からハングルへの変遷と日本の関与

ハングル文字と日本 歴史

日本と韓国は海を挟んでお隣の国で、歴史的にも文化的にも様々な繋がりがあります。

日本でも、韓国でハングル文字が使われていることが知られています。韓国は元々漢字が使われていた国ですが、近代に入ってからハングル文字へと移行しており、その変遷には「日本」も大きく関わっています。今回は、韓国の文字の歴史と共に日本との関係もまとめて紹介します。

韓国語とハングル文字

ハングルは韓国語や朝鮮語の文字体系であり、日本語における平仮名片仮名と同じ関係性にあるものといえるでしょう。

ハングル文字
言語文字体系
日本語漢字・平仮名・片仮名
韓国語ハングル
日本語と韓国語 – 言語と文字体系の関係性

ハングルの歴史

ハングルという文字体系は、日本人が知っているアルファベットや漢字のような文字体系とは違い、目的を持った人の手によって創られました

西暦主な歴史
1443年ハングルが創られる
1886年ハングル活字が創られ、出版物に使われ始める
1948年ハングルの公文書への使用が認められる

作られたのは中世に入った頃の事なので、比較的歴史の浅い文字体系と言えるでしょう。

ハングルという文字は、文明が発達した後に整備して創られた文字体系であることから、とても合理的便利な構造になっています。日本の漢字には音読み・訓読みがあって複雑な上、平仮名表記すると長くなってしまうといった諸問題がありますが、ハングルにはそういった問題が存在しません。

李氏朝鮮時代に創られた「ハングル文字」

「話し言葉」と「書き言葉」が異なることはよくある事ですが、15世紀の韓国では韓国語が話されていて、文字に記す際には漢字が用いられていました。

漢字だけでは韓国語の構造や特徴を十分に表現できなかったため、朝鮮王朝の第4代王 世宗(セジョン)が独自の文字体系「ハングル」を創りました。

ハングル文字を創った朝鮮王朝は、日本の義務教育でも習う「李氏朝鮮」で、李世宗はその4代目の国王ということになります。世宗(セジョン)は「朝鮮王朝第一の名君」とも言われ、ハングル文字を創っただけでなく、とても慈悲深い政治を行ったとされています。

ハングルが普及しなかった理由

1443年に創られ、1446年に公布されたハングルですが、思ったほど普及しませんでした

ハングルが普及しなかった理由は、「簡単すぎる」ために当時の人たちから蔑まれたと考えられています。

日本にも似たように「文字が普及しなかった」事例があります。

日本で十分な教育を受けられなかった女性が使っていた「ひらがな」は、女性の間で使われる女文字と呼ばれており、公的な文書などに使われることはなかった文字体系で、ハングルの歴史と非常に似通っています。

日本の上杉謙信は「ひらがな」を使った文書を残していることで、実は女性だったのではないかというがあります。当時は、男性が公的な文書などで「ひらがな」を使うことは考えられないことでした。

日本人も貢献した「ハングルの活字」制作

近代に入った韓国(朝鮮)は、近代化されていく周辺諸国に飲み込まれていく激動の時代を迎えます。日本は韓国のために、韓国の近代化と中国(清)からの外交的な独立が必要と考えており、政治的に関与していきました。

日本の福沢諭吉の弟子である井上角五郎は、諭吉の「韓国近代化」という考えに有用と考え、1886年にハングルの活字を制作します。

少し時代背景を確認しておきましょう。

西暦出来事
1886年ハングルの活字が創られる
1894年日清戦争
1910年日韓併合 (日韓併合条約)
ハングル活字制作と日韓の歴史

上記表からも分かるように、日本は日清戦争よりも前に、韓国の活字制作や出版物の制作に関与していました。文化的な変動と政治的な変動は同期しておらず、並列に進行しているもので、両者の流れは単純ではありません。

日清戦争と韓国(朝鮮)の関係性

朝鮮半島の政治的な独立を巡って、宗主国である清との対立が表面化したのが日清戦争です。

朝鮮という言葉自体が朝(中国王朝)に鮮(従う)となっている通り、韓国・朝鮮は長い間中国に庇護されてきた朝貢国(冊封国)でしたが、そこに日本やロシア・欧米列強などが割って入ったことで、中国と争うことになりました。

「漢字とハングル混合」の出版物と日本の教育

韓国内でもハングルの使用を推し進めることについて意見は割れていましたが、開化派の朴泳孝(パク・ヨンヒョ)達によって漢字とハングル混合の初めての出版物が発行されました。

ハングル漢字混合

日本による統治後は、ハングルと共に漢字の教育も行われていました。

日本人からすると想像が難しいかもしれませんが、日本統治時代(1910年)の韓国では、韓国国民の識字率は6%ほどで、ほとんどの人が「文字が読めない」という状況でした。日本が進めた教育の効果もあり、1943年には22%まで韓国の識字率は向上しています。

韓国で「漢字」が使われなくなった理由

大戦が終わって独立を果たした韓国では、中国や日本から完全に独立をするという機運が高まっており、中国との冊法体制や日本の統治時代を思い出す「漢字」の使用をやめて、国語をハングルにしていく動きが強まります。

西暦出来事
1948年ハングル専用法
1970年漢字廃止宣言
1972年漢字廃止宣言の撤回
近代韓国での「漢字からの独立」の動き

戦後にハングルを国語にする動きからハングル専用法が制定されましたが、定義や罰則規定などが制定されておらず曖昧だったため、法律家の中にはこれを「宣言だけ」と解釈する人もいるようです。この時点では、括弧で漢字を併記することを定めていました。2005年に国語基本法が定められて以降、大統領令を除いて漢字表記は必要なくなっています。

変化した教育により「低下した漢字への依存」

1970年に、第5代大統領の朴 正煕(パク・チョンヒ)は漢字廃止を宣言しましたが、言論界などからの強い反発にあって、1972年には宣言を撤回しています。漢字廃止宣言では、学校の教科書で漢字を使用しないことを定め、漢字の教育などが禁止されていました。

少し補足しておくと、この頃の韓国はまだ不安定な時期で、政権交代 = 軍事クーデターという時代です。漢字廃止を宣言した朴 正煕(パク・チョンヒ)も軍人(陸軍大将)で、軍事クーデーターによって政権を奪った人物の一人です。

韓国の民主化は1987年の盧 泰愚(ノ・テウ)大統領以降となります。

漢字廃止宣言は撤回されましたが、一度禁止された「漢字の教育」は復活した後も「選択科目」となりました。また、漢字は受験でも必要なかったことなどから、韓国国民の漢字への依存率は低下していきました

教育が変わったことによって、結果的に国全体で「漢字の廃止」が進んでいる状況といえるでしょう。

「現在と未来」の韓国における漢字

2025年現在の韓国でも、漢字は使われることがあります。道路の標識やニュースの見出しなど、特定の分野において、未だ漢字の表記がされています。

また、韓国の人は漢字の個人名があることが知られています。これは韓国の法律で出生時に漢字名を届け出る必要があるためで、日常的に使うものではないようです。人によっては、「自分の名前の漢字」を書けない人がいるという話も聞くことがあるので、よほど使用頻度が低い文字になっていると考えられます。

一方で、現代の韓国では「漢字教育の必要性」も議論されています。

一度手放した「漢字」ではありますが、中国や日本といった近隣諸国との関係性などを考慮した際に、漢字教育が韓国の未来に一定の利益をもたらすのではないかと一部で考えられているようです。

独立のためのハングル、協調のための漢字、どちらも国家として重要なものには違いないでしょう。今後の韓国の言語や文化は、現代を生きる人たちの手に委ねられています。

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