大航海時代と聞くと、ゲームやアニメなどで表現されているような、船をいっぱい作って楽しそうな冒険をしているイメージをしてしまいそうですが、現実の大航海時代の始まっていく要因の一つは「安いスパイス」を買い求めるといった、現代の私たちにも共通する分かりやすい人間の欲求からでした。
大航海時代は今から600年-400年程前に実際にあった海への挑戦が盛んにおこなわれた時期の名称で、この時代の人類の挑戦がアメリカ大陸を発見し、船で地球が一周できることを証明したという、人類にとって非常に大きな変革をもたらしました。
私が大航海時代について、本当の意味で興味を持ったのは、「トウモロコシ」がコロンブス交換によってもたらされ、今や世界で最も生産・収穫されている主食穀物と知った時でした。トウモロコシは、家畜の飼料として使われていて、私たちが日常的に食している肉・卵などが、コロンブスの大発見によって得られていると考えると、感慨深いものがあります。
今回は、その前と後で人類全体の社会や生活などを大きく変えた大航海時代の人々の探求について、少し振り返ってみたいと思います。
大航海時代の流れを振り返る
大航海時代の大筋の流れを抜き出すと、概ね以下のような流れではないかと思います。
細かく述べるときりがないので、今回は歴史上で重要な功績があったとされる3人の探検家「ヴァスコ・ダ・ガマ」「コロンブス」「マゼラン」を中心に全体の流れを追っていってみることにします。
「安いスパイスを求める」となった原因
大航海時代の話をするときには必ず出てくる「スパイス」については、私たちの感覚では理解しづらい部分もあると思います。個人的には以下の事実を念頭に置くと、一層イメージが湧くのではないかと思います。
大航海時代に冷蔵庫はなく、スパイスの香りで腐りかけの肉の匂いをごまかす必要があった。
肉などの生鮮食料品は、今の時代でも常温だと2日もすると異臭を放っていることでしょう。それは当時でも同じで、腐りにくいように塩漬けにするなどの工夫がされていたのですが、それでも常温保存された肉からは強烈な匂いが放たれていたことでしょう。コショウなどのスパイスはその匂いを消して、香しく食欲をそそる匂いを与える魔法の粉だったことでしょう。
そんなスパイスはインドを中心としたアジア諸国で生産が盛んで、ヨーロッパ諸国には陸路で運ばれていました。しかし、運搬の際に必ず経由することになる「イスラム国によって高額な関税」がかけられていたため、ヨーロッパに届く時には黄金並みの価格になってしまっていたのです。
なんとかして安くスパイスを入手したい
ヨーロッパの人たちの思いが、時代を大きく動かし始めるのです。
「ポルトガル」 – 最もインドに近いヨーロッパが動く
ポルトガルというと、ヨーロッパから遠い極東の地である日本に住む私たちからはイメージしにくく、国の場所も分からないという人もいるかもしれません。ポルトガルは大航海時代のトップバッターといってもよいので、大航海時代を知るとポルトガルの場所を忘れることはなくなるでしょう。
以下は大航海時代当時の地図と伝えられている画像ですが、赤い四角で囲まれているのが大航海時代に活躍したポルトガル・スペインの位置です。残念ながら我らの日本は地図の右端の外で、見切れてしまっています。
ポルトガルはヨーロッパの南西、イベリア半島の西側に位置しています。スエズ運河(後述)がない時代、ヨーロッパからアジアを目指す海路は、アフリカを回る以外ありませんでした。その航路に最も近かったのがポルトガルです。
こうして地図を改めてみると、大航海時代前の世界の何と狭い事でしょうか。この数年後にはヨーロッパを中心に植民地争奪戦が始まっていくのですが、この地図の文明レベルの人たちが世界の反対まで領土を獲得しに来ていたのかと思うと、不思議な違和感のようなものを感じます。
「ヴァスコ・ダ・ガマ」 – ポルトガルからアフリカを南に迂回してインドへ
ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルの探検家で、人類最初にアフリカの南端を廻る航路に挑戦し、見事インドに到着した人です。
もちろん一度の航海で達成した訳ではなく、ヴァスコ・ダ・ガマ以外の航海士も含めて何度もアフリカの南を目指して引き返すということを繰り返しながら、やっとの思いで南端(喜望峰)を折り返すことができています。人類未踏の大冒険ですが、アフリカ大陸という陸地を辿りながらの旅で、後のコロンブスやマゼランが行った「果ての見えない大海原への挑戦」と比較すると、冒険の序章という感じが否めません。
無事にインドに到着したものの、インドとは交渉が決裂してスパイスを入手することができず、その後周辺の海を捜索した結果、現在のインドネシア付近でスパイスの一大生産地「スパイス諸島」を発見し、当初の「安いスパイスを入手する」という目的は達成されます。
「コロンブス」 – ポルトガルに対抗して西回りに挑戦するスペイン
ポルトガルとスペインは大航海時代の重要な二国で、ポルトガルと同じイベリア半島の東側に位置するスペインは、ポルトガルがスパイス諸島を発見したことで大きな焦りを感じることになります。何しろヨーロッパのスパイス市場を隣国に全て奪われるということになるので、大変な騒ぎだったことでしょう。
スペインがポルトガルの東回り航路に対抗して西回り航路を進めるにあたって、イタリア人のコロンブスが名乗りをあげ、スペインは彼に国の一大事業を任せます。
コロンブスは人類の誰も挑戦したことがなかった大西洋を横切るという挑戦を行います。
その結果無事に陸地を発見し、本国に「インドの東に位置する島」を発見したと報告したため、アメリカ大陸の東に何故か東インド諸島という名前がついてしまいました。しかし、コロンブスが発見した島の先にあったのは、インドやアジアではなく人類の知らない大陸でした。
新大陸「アメリカ」 – 想像を絶する大発見
新大陸発見というと凄く軽く感じるのですが、現代で考えると恐ろしすぎる大発見だと感じます。
見たこともない広大な土地が発見され、見知らぬ人種、見知らぬ生物、見知らぬ植物が同時にもたらされるのです。今は、人類にとって知らない地球上の陸地は存在しないのかもしれませんが、現代の私たちの感覚で表現すると以下のような感じではないかと思うのです。
「深海1000メートル付近に、高度な知能を持った生物が生息する広大な地域が発見されました」
個人的には相当な恐怖だと思うのです。何もないと思っていた空間に、知的生命体が生息する広大な土地や空間が見つかると、私たちの安全保障の観点からも不安になることでしょう。
ただ、実際に発見されたアメリカ大陸の原住民は、文明レベルがヨーロッパ諸国よりも劣っていたこともあり、逆にヨーロッパ諸国が彼らの安全保障を打ち破り、侵略していくことになります。
「マゼラン」 – 南に迂回して今度こそスパイスを
マゼランが大冒険に挑戦するのは、コロンブスが発見した新大陸に世界中が揺れ動いている時で、スペインの当初の目標は達成できていないままでした。スパイスの入手です。
コロンブスの後にスペインから出発した探検家「マゼラン」は元々ポルトガルの探検家ですが、ポルトガルの国王と仲が悪かったために、スペイン国王の支援を受けて西回りに挑戦したという経歴があります。スペインは大航海時代の立役者ですが、大きな功績を残した探検家は外国人ばかりというのがまた不思議です。
マゼランは探検が進められている新大陸を、丸ごと南に迂回すれば、今度こそインド(スパイス諸島)に到着できるという仮説を立て、挑戦していくことになります。マゼランが超えたアメリカ大陸最南端の海峡は、彼の偉業を称えて「マゼラン海峡」と名付けられています。
太平洋横断 – 想像を絶する「果ての見えない海」への航海
マゼランは太平洋横断をした人物と知られています。私たちの時代では「太平洋」が世界最大の海であり、東西に非常に広いということを多くの人が知っていますが、マゼランが生きた時代では完全に未知の世界であり、果てがあるのかさえも分からない巨大な海です。
頼れる地図もなく、来る日も来る日も見渡す限り海ばかり、いつ陸地が見えるのかもわからない、備蓄の食料は日に日に減って、船員たちの間では病気が流行するという、まさに想像を絶する旅と言えるでしょう。スマホどころか地図もなく、誰もいない全く知らない土地を彷徨うようなものとでもいうのでしょうか。想像すると、恐怖です。
しかしマゼランは無事に現在のフィリピン辺りに到着します。残念ながら原住民と争いになってしまい、スパイス諸島に到着する前に命を落としてしまいます。その後、残った航海士たちが無事スパイス諸島に辿り着いた後なんとか本国に帰国しますが、太平洋の広さと潮の流れなどの関係で、当時の技術力では平常利用することが難しい航路とされてしまいます。
スパイス諸島までの西回り航路を得ることはできませんでしたが、この太平洋を横断したという一大事業を成し遂げたマゼランの勇気と行動力は、人類史上の中でもとても輝いて見えます。地球は丸く、東西に繋がっている。今では常識ですが、彼らはそれを知らず、海の果てに挑戦したのです。
現代風に言うと「帰りの事を考えずに宇宙に飛び出した結果、地球と同じような星に到着した」くらいの偉業だと思うのです。その偉業の後の世界の変化は想像もできません。
大航海時代の発見で変わった私たちの生活
大航海時代の人々による様々な挑戦の結果多くの発見があり、その後の私たちには多くのものがもたらされています。ここではその中から特に興味深い点について紹介してみます。
地球を横断する航路を支える2つの運河 (スエズ運河、パナマ運河)
大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマやマゼランは本当に遠回りで過酷な航路を使ってインドを目指しました。しかし、現代ではこれらの不便な海運を改善するために世界的に大きな運河があります。
スエズ運河は中東エジプトの東側にあって、ヨーロッパ(地中海)からアジア(インド洋)に抜けることができるようになっています。ヴァスコ・ダ・ガマの航路(アフリカ最南端経由/喜望峰航路)と比較して大幅に日数を短縮することができています。
パナマ運河は南北アメリカ大陸の中央を横切るように作られた運河で、大西洋から太平洋へのショートカットができるようになっています。マゼランのようにアメリカ最南端を回らずに太平洋に抜けることで、アメリカ大陸東西の実質的な距離を縮めています。
現代では地上・航空の輸送についても大きな発展を遂げていますが、主要な物資輸送は海運にかかっており、スエズ・パナマの両運河は人類の大動脈とも言える状況です。アメリカが覇権国と言われる所以は、この両運河を抑えているからだという見方ができる程、私たちの生きる世界では重要なポイントになっています。
コロンブス交換 – 人類にもたらされた新物資
コロンブスが発見したアメリカ大陸からは、私たちの知らない新しいものが多くもたらされ、逆に現地には私たちの世界から宗教や病気等が持ち込まれ、この一連の物資や思想等の交換を「コロンブス交換」といいます。
コロンブス交換では非常に多くのものがもたらされていますが、個人的に最も興味を惹いたのは「トウモロコシ(corn)」です。
トウモロコシは、現在地球上でもっとも沢山生産・収穫されている穀物です。主食として消費するほか、日本でも家畜の飼料として欠かすことができない重要な穀物となっています。コロンブスが新大陸を発見していなければ、私たちの食生活の中には、肉も卵も乳製品は殆どなく、魚と米という江戸時代頃の食事のままだったでしょう。
この「トウモロコシ」については謎が多く、自生しない植物で進化の過程も不明なうえ、不思議な形状をしていたため、当時のヨーロッパでは気味悪がられていたらしいですが、税金を逃れることができる穀物だったことから徐々に広まったそうです。現代でも不明なことが多いのに収穫量が最も多い穀物になっているトウモロコシについて、興味が湧いた方は是非調べてみてください。
人間の欲はいつだって人類発展の大きな原動力
安いものが欲しい、相手に負けたくない、そんな気持ちが後の世界の在り方さえも変えてしまった「大航海時代」は、人類の長い歴史の中でも特に興味深い時代です。特に食に関する欲求は、人類にとって非常に重要で強力な原動力となりうるのだと、色々と考えさせられます。
私たちの世界も日々少しずつ変化していっており、近年では情報産業分野では驚くような発展がみられています。遠くの人と連絡できるようになりたい、遠隔地の映像をリアルタイムで観たいなど、今も昔も変わらず人々の欲が世界を変えていっていることに、人々の根源的な力を感じずにはいられません。
そう考えながら人々の積み重ねてきた歴史の数々を振り返ってみると、また新しい発見があるかもしれません。