文化財保護制度の歴史的な背景 ― 誰が伝統を破壊していたのか

文化財保護制度の歴史的な背景 歴史

現代の文化財保護制度は、歴史ある建造物や伝統的な文化を守り、保存・活用するための制度です。指定文化財の損壊や無許可の現状変更などについては、罰則も定められています。

法的に文化財が保護される以前の日本では、歴史ある寺院や仏像などが、政策や社会運動の中で破壊・散逸することもありました。

一体誰が日本の伝統を破壊していたのでしょうか。

本記事では、文化財を保護する法制度がどのように整えられてきたのか、その歴史的な背景を辿ります。人がどういった状況で伝統を破壊することがあるのかも見えてきます。

文化財保護制度の概略

現代の保護制度の中核となるのが、1950年(昭和25年)に制定された文化財保護法です。

この法律は、戦後間もなく発生した法隆寺金堂壁画の焼損などを契機として整備されました。
法律の目的は、「文化財を保存し、その活用を図ること」にあります。

本記事は、制度の歴史的な背景を辿ることを目的にしているため、法制度の概要だけを簡単に整理します。

現在の文化財保護制度

現在の文化財保護制度は、大きく整理すると、次の3つが制度の柱です。

  • 何を文化財として保護するか(対象の指定)
  • 文化財に対してどのような制限を設けるか
  • 違反した場合の罰則

指定文化財を損壊した場合などについては、刑事罰も定められています。

歴史的な経緯 ― 文化財保護法までの主な流れ

文化財の保護は、簡略化すると

  • 1871年頃:古器旧物保存方
  • 1897年:古社寺保存法
  • 1919年:史蹟名勝天然紀念物保存法
  • 1929年:国宝保存法
  • 1933年:重要美術品等ノ保存ニ関スル法律
  • 1950年:文化財保護法(現在に至る)

といった流れで、段階的に制度が整備されてきました。

1950年の文化財保護法は、従来の国宝保存法、史蹟名勝天然紀念物保存法、重要美術品等保存法を整理・統合する性格を持っていました。


文化財保存に関する最初期の政府措置となる古器旧物保存方が制定された時期、
1871年(明治4年)の日本では、どのような事が起きていたのでしょうか。

なぜ保存制度が必要になったのか

明治維新直後の政府は、

  • 近代国家の建設
  • 神仏分離
  • 中央集権化
  • 財政の立て直し

などを進めていました。

この中で文化財の保護制度に大きく関係してくるのが「神仏分離」です。

明治政府の神仏分離政策

江戸時代までの日本では「神仏習合」が長く続けられており、神道と仏教、神社と寺院の境界が曖昧な状態でした。神仏分離はそれらを分離させる政策です。

政府の目的は、大きく三つに整理できます。

  1. 神社と仏教寺院の制度的分離
  2. 神社から仏教的要素を除く
  3. 神社を天皇中心の国家祭祀へ再編する

当時の寺は、幕府の寺請制度などと結びついており、戸籍(の原型)を管理する準行政機関のような存在でもありました。寺社の整理は近世の宗教統治秩序を再編し、中央集権化の意味合いもありました。

政府は、神社から仏教的要素を取り除くため、

  • 仏教用語を用いた神号の整理
  • 神体や本地仏として神社に安置されていた仏像の撤去
  • 鰐口・梵鐘など仏具の取り外し
  • 神職と僧侶の身分的分離

などを命じました。

神仏分離は制度上の分離でしたが、それは既存の宗教秩序を大きく解体・変容させる性質も持っていました。千年以上にわたって神社と寺院が混ざり合っていた社会の中で、制度上・物理的に急速に切り離せば、単なる看板の付け替えでは済みませんでした。

土地、建物、仏像、祭礼、職員、収入源を「神社側か寺院側か」に分割する必要が生じていきます。

明治新政府は、仏教だけでなくキリスト教の整理も進めます。
神道を国家の中心に位置付けるため、宗教の再編が行われた時代でした。
💡関連記事:明治新政府によるキリスト教の禁止 ― 五榜の掲示と宗教再編

地方行政による実施の違い

中央政府によって示された神仏分離は、それぞれの地方で実施されていきます。

地方行政では、財政事情や政治事情に応じて政策が解釈され、それぞれの形で実施されました。
多数の寺院が無住・廃寺となった地域もありました。(松本藩では74%が失われたともいわれます。)

地域によっても異なりますが、地方官側には、

  • 尊王・復古神道思想への共鳴
  • 新政府への忠誠の誇示
  • 寺院財産や土地の接収
  • 僧侶人口の削減と労働力への転換
  • 地方財政の立て直し
  • 旧権力との関係を断つ政治的意思

など、様々な思いが重なっていたと考えられます。

財産・土地・人員を再配分するという、現実的な判断も大きかったでしょう。

廃仏毀釈に参加した人・守った人

民衆の思いは一律ではなく、

  • 神仏分離の理念と行政の動きに従う人
  • 尊王思想や神道的な復古理念に共鳴した人
  • 寺院制度や僧侶階層への社会的不満を持つ人
  • 新しい時代へ熱狂する人
  • 仏教を守りたいと考える人

など、様々な受け止め方があったと考えられます。

葬儀、墓、先祖供養、地域祭礼など、寺院は人々の生活に深く組み込まれていましたが、地方官や神職が神仏分離を過激に実施した地域では、一部の民衆もこれに参加・便乗し、寺院や仏像の破壊、仏具の処分などが進みました。

このような、明治初期に起きた仏教を排斥する運動は、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と呼ばれます。

ただし、廃仏毀釈に積極的に加わった人々がいた一方、仏像を隠したり、寺院を守ったり、後に再建したりした住民もいました。また、同じ壊された仏像であっても、思想的な偶像破壊なのか、財産処分なのかは分けて考える必要があります。
史料が残っていない個々の事例について、破壊者の内心を一律に特定することはできません。

すべて人が同じ思いだったわけではありませんが、当時の日本国内では、歴史ある寺や仏像の破棄・破壊は進んでいきました。

誰が何のために破壊したのか

以下の表に、主体ごとに破壊との関係を整理します。

主体主な目的・感情破壊との関係
中央政府天皇中心の国家建設、神社制度の独立、旧幕府宗教秩序の解体直接の全国破壊命令ではないが、(結果として)構造的に誘発
地方官・旧藩政府方針の徹底、財政・土地整理、尊王思想、旧勢力排除廃寺・還俗・財産処分を積極化した地域あり
神職寺院支配からの独立、地位回復、神道純化仏教的要素の排除を推進
一部民衆僧侶への不満、新時代への熱狂、仏具・土地などをめぐる経済的利益、同調破壊・略奪・仏具処分に参加
別の民衆生活信仰、先祖供養、地域寺院への愛着仏像の隠匿、寺院保護、再建
廃仏毀釈運動の主体と破壊との関係

廃仏毀釈の運動自体は、

  • 中央政府による国家宗教秩序の再編が、
  • 地方の政治・財政事情、神職の地位回復、民衆の反感や利益、新時代への熱狂と結び付き、
  • 地域ごとに異なる排仏・破壊運動へ変質した現象

と整理できるでしょう。

明治初期の時代、日本人自らの手によって歴史や伝統を持った寺や仏像が破壊されていきました。

人はなぜ伝統を守ろうと考えるのでしょうか。
それが分かると、明治の廃仏毀釈の動きで「何が失われれていたのか」も見えてきます。
💡関連記事:なぜ伝統を守ろうとするのか ― それは合理か感情か


廃仏毀釈や社会変動によって古器旧物の破壊・散逸が進むなか、政府もその保存と把握に動き始めます。1871年には「古器旧物保存方」が出され、各地の古器旧物について、品目や所有者などを調査・報告することが命じられました。

これは後の文化財保護政策につながる初期の措置でした。

文化財保護の制度化の背景と変遷整理

文化財保護の制度化は、廃仏毀釈だけが理由だけではありません。

制度化の背景整理と廃仏毀釈の位置付け

文化財保護が進んだ理由は複数考えられます。

  • 廃仏毀釈による文化財の大量喪失
  • 西洋諸国で文化財保護制度が発達していたこと
  • 万国博覧会などを通じ、日本美術が海外で高く評価されたこと
  • 日本人自身が「日本文化とは何か」を考え始めたこと

これらが重なって、

「文化財は宗教施設だからではなく、日本の歴史・文化そのものだから守る」

といった、文化財保護の考え方が形成されていきました。

この整理の中では、

廃仏毀釈は、文化財保護の必要性を認識させた重要な背景の一つ

だったと位置付けられるでしょう。

宗教施設から文化財の保護へ ― 制度の変遷

1897年の古社寺保存法は、古社寺が所有する建造物や宝物類のうち、歴史・美術上重要なものを指定して保護する制度でした。社寺以外の所有物が対象外であるという限界もありました。
廃仏毀釈や社会変動、修理費の不足などによって失われるおそれのある古社寺の建造物・宝物を守ることに重心が置かれた制度だったといえるでしょう。

1929年の国宝保存法になると、対象は社寺だけではなくなります。
宗教施設の保護から、文化財の保護に広がる中間段階といえるでしょう。
古社寺所有に限られていた保護は、国・地方公共団体・個人などが所有する建造物や宝物にも広げられます。

1950年の文化財保護法では、さらに発想が一般化します。
保護対象は非常に広くなり、文化財の類型が大きく拡張されました。

戦後の文化財保護法は、法隆寺金堂壁画の火災を直接の契機として、従来の保存法制を統合・拡充したものです。宗教施設は、その信仰内容ゆえに保護されるのではなく、歴史上・芸術上・学術上の文化財として、信教の自由や政教分離と両立する形で保護されることになりました。

現在も、宗教施設の補修などには国のお金が使われています。
司法がどのように政教分離の合憲性を判断しているのかは、裁判例からも読み解けます。
💡関連記事:政教分離の法的根拠と裁判例 ― 日本の政治と宗教

誰が伝統を破壊するのか

現代の日本では、文化財保護法に守られているもの以外でも、歴史ある建築物や伝統的な文化を守りたいと考える人も多いでしょう。

しかし保護の歴史を辿ってみると、破壊した側も、守った側も、同じ時代を生きた日本人でした。


廃仏毀釈の歴史は、

特定の歴史的・政治的状況の中では、伝統を守りたい思いは変化しうる

と教えてくれているようにも思えます。

神聖なものと認識されている間は壊しにくいものも、再分類されることで

その神聖性が揺らぐと、「破壊への抵抗が失われる」

という構造があるようにも見えます。

伝統や文化を守るためには、物理的な対策以上に、人々がそれを大切に思う環境や対象の位置付け(分類)を守ることも重要なのかもしれません。

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